ACT.9 ヒガシズム、ソノサキ


  構えていた割には波は随分穏やかだった。長いことぼんやり海原を眺めていた一行、島に近づくにつれて会話も減り皆生気のない 顔である。島、サンセットアイランドは既に視界に入っているが誰一人としてはしゃぐ者はいなかった。
「ド田舎に続いてド田舎じゃなぁ……。蚊とか蛇とかいねえだろうな、え?」
中には都会育ちぶりをアピールしまくる者もいるが大半の者は単なる披露故のだんまりだ。休息も有りすぎると暇という世にも恐ろし い単語に進化する。そして連中はその人一倍嫌いな奴らだった。
  連絡船が停止するのを待って、レキは上陸用のボートへ軽快に飛んだ。
「行こうぜ、日が暮れる」
「プッ!洒落?」
ジェイのくだらないつっこみをとかく無視して、レキはテキパキとボートに乗り込む。
  砂浜は予想以上に白い。内心早く踏み締めて、その感触を確かめたいとうずうずしていたのはジェイだ。裏付けるように上機嫌で ビーチに飛び降りた。スナック菓子を踏みつぶしたような快感に思わず口笛を鳴らす。
「すげぇなサクサクしてるよっ。シーズンだったら海水浴とかできたのになあ」
「……ビキニか」
都会派気取りだったテンガロンハットが呟く。白い砂浜、青い空青い海、光る波、そして光水着姿のシオとラヴェンダー、想像しただけ でパラダイスだ。しかし現実は、泳ぐには水温が低いし何より遊びに来たわけではない。
  所詮想像止まりの楽園に終止符を打ったのは、砂浜にも海にもさっぱり興味を示さないレキだった。さっさと一人で先を急ぐあたり、 先刻とはうって変わって冷めている。
「……ちょ、ちょっと待てよー。気分屋だな、おい」
小走りに後を追うジェイ。後ろで肩を竦めるラヴェンダーとエース。潮の匂いを背に、小さく見える家々の方へ彼らも足を進めた。
  辛気くさい雨降らしの隠れ里(一部偏見)とは対照的にこちらは活気が溢れている。一歩村らしき場所へ足を踏み入れた途端、波の 音やら虫の声をさしおいて行き交う人々の話し声や笑い声が飛び交った。頭の上に器用に籠を乗せて野菜を運ぶ女性、撓った椰子の葉 を持って走り回る少年たち、歌いながら外で料理をする商人たち、カヌーを三人がかりで引きずる男たち、皆肌はこんがり焼けて風通 しの良さそうな衣服を軽く纏っている。あるいは男性ならば上半身裸、女性ならば奴らが夢見たビキニ姿でそこら中をうろうろしている。
「……ど田舎万歳だな」
「いい……!島暮らしいいっ」
感動に打ち震えるエースとジェイ、そこへ唇の分厚い少々小太り気味の女性が籠を頭に乗せて寄ってくる。
「あんたたち外から来たのかい?今の時期は泳げないだろうに物好きだねぇ。何にもないけどのんびりしていきなぁ、今はいい魚が 捕れるよっ」
ジェイが快く返事をしようとした、のを半ば遮るようにレキが不躾に女性の肩を掴んだ。一歩間違えばセクハラだが、運良く女性は気に 留めるような性格ではないようだった。
「人を捜してる。たぶんおばさんくらいの年齢だと思うんだけど」
「人捜しかい?言うほど楽じゃないよ、島は広いからね。大爺さんに聞いてみたら早いかもしれないよ、島一の長生きだっ」
よぎる一抹の不安-島一の長生き?それは話になるのだろうか。誰も口にしないが同じ事を瞬時に考えたらしい、見事に全員凝固する。
レキなど女性の肩を掴んだままだ。明らかに不審がっている若者たちの気持ちを察して、女性は軽快に笑ってレキの背中を加減なしに ブッ叩いた。勢い余って前方によろける。勿論彼女に他意はない。
「いやだよーもうっ!心配しなくても大爺さんは島一番のえーらい学者さんでもあったんだから。ボケちゃいないよ、ほらあの上の家、 あれさ」
  村全体を見下ろすように小高い崖の上に、おそらく結構な大きさの家が見える。椰子の木を周囲に生やして、まるでバリケードのよ うだ。島一番の長生きで島一番の賢者、思うに加えて島一番の金持ちで島一番の変わり者のような気がする。
  レキは女性に適当に礼を言うと、目で皆に合図した。律儀にシオとハルが頷いてくれる。島に到着して一時間もしない内に、レキたち は足早にその学者の家へと向かうことにした。
「ナガヒゲ(じじい)に続いて学者(じじい)か。まさかベッド争奪まで続きゃしねえだろうな……」
「勘弁してくれよ……。でかい家なら寝床くらいいっぱいあるだろ」
目的の屋敷まで続く、段の浅い石階段を上りながら随分勝手なことを言う。暴言だらけのエースと、無意識に厚かましい台詞を吐くハル、 二人だけでなく皆ここ、サンセットアイランドに一泊するつもりはあるらしい。学者がやたら偏屈だったらとか、留守だったらとかは 視野に無いらしい。全員揃って温厚なのんびりじーさんを期待しているあたり幸せな連中である。が、それも当然かもしれない。
  島の住人は先ほどの女性をはじめ皆穏やかだ、知らない人が皆笑顔でレキたちに挨拶をしてくる。中にはオレンジやマンゴーを親切に くれる人もいた。こんな柔らかな空気の中で偏屈爺さんはないだろう、階段を上りきって家が目の前に現れたときにはハルの両手は 南国フルーツで一杯になっていた。ラヴェンダーが景気づけに両手を腰に当てて伸びをする。
「素敵ね、屋根も椰子の葉でしょ?」
ドアや窓は無い。と言うより壁そのものが無い。高床式の土台に柱、そして椰子の葉をふんだんに使った屋根。広さだけはやけにある、 外から丸見えの家の中を覗き込むも人影はない。
「出掛けてんのかな?待たしてもらうか?」
ハルの問にレキが頷こうとした矢先、南国の花々が乱れ咲くこれまた広い庭の奥から、小柄な人影がゆっくり近づいて来るのが見えた。
とりあえず目を見張って待つ。人影はハイビスカスの花を手先に持って、皺だらけの笑顔でこちらに会釈した。
「お客さんかな?うちに何か用じゃろうか?」
「人探しを……ここに来りゃ手っ取り早いって言われて」
皆の期待通りの、おっとりした老人だ。島の女性が言ったようにボケてもいない、足取りもしっかりしているし世話係のような人も 見当たらなかった。レキの無礼な態度も笑って許してくれる。
「そうかそうか。力になれるかは分からんがまぁ、何、とりあえず上がって下さい。椰子の実ジュースでもいかがかな?」
中身も、随分おっとり系だ。持っていたハイビスカスをシオとラヴェンダーの頭にさりげなくつけて、笑いながら家の中へ入っていった。
  毒気を抜かれる。図々しく上がり込んで村の活気を見下ろしながら大爺さん特製の椰子の実ジュースを飲んでいると、気分は気楽な 観光客だ。楽な態勢で床に座り込んで各々くつろいだ。もらったフルーツは彼にプレゼントして、切って出されたそのいくつかを摘む。
すっかりまどろんだ一行、レキだけがフルーツに手を着けずにただ村を見下ろしていた。
  と、不意に肩を叩かれる。ラヴェンダーが半眼で彼女を指さしていた。そちらに更に視線を移すと、
《食べないの?》
そう口を動かすシオが目に入る。ラヴェンダーは中継係だったようだ。
「ああ……いや、食うけど」
「うまいじゃろ?折角この島に来たなら食べておかんと。季節がもう少し早ければ海水浴もできたのに残念じゃったな」
ジェイと似たようなことを言っている。誰も彼も本来の目的をすっかり忘れているようだ、このまどろんだ空気の中でよもや話を 切り出すこともできず、レキは盛られたライチを指先で摘んで渋々口に入れた。甘くてジューシーである。
「学者って聞いたんですけど何を研究してたんですか?」
レキが人知れずハルに賞賛を送る。白々しく探りを入れてくれたあたり腐ってもサブヘッドだ、頼りになる。この際マンゴーを夢中で 吸いながらだったことは見て見ぬ振りをする。レキが身を乗り出した。
「いやあ……何十年も前の話じゃよ、つまらん研究じゃった。若い頃は生物学者なんのをやっとってな、当時流行だった……ブレイマーを 研究しとったんじゃよ。こんな話はいささか面白くないじゃろ?……この島の恵まれた動植物を調べる方が価値がある。今となっては そう思っておるよ」