SAVE: 11 浦島介に関する例の事件

─Part.2─




 法務課長の可児から夜勤のオペレーション課へ、オペレーション課から今日に限って早々に全員退社していた保安課の面々へ、連絡は滞りなく行われた。可児が持っていた情報が余りに少なかったせいもあり、呼び出された者は皆、緊張に顔を強張らせて乙女の自宅マンションへ向かった。可児と金熊、二人の課長がいち早く現場へ到着したがそこは既に多くの先客が占有しており、人垣を作っていた。近隣住民の層、パトカーによるバリケード、その奥に刑事らしき人影がちらほら。課長二人組の横を放送機材を担いだ報道陣が駆け抜けて行った。ざわめきよりも際立つ、スマートフォンカメラのシャッター音。苛立ちを顕わにした可児が舌打ちをした瞬間、二人の携帯電話が同時に唸った。
「はい、可児」「金熊だ」
着信表示はオペレーション課だ、どちらの携帯にも同じ内容が流れている。乙女は既に病院に搬送されていること、重症ではあるが命に別状はないことなどが淡々と報告された。双方同じタイミングで顔を見合わせて同じタイミングで通話を終えると、仲良く同時に嘆息する。
 居心地が悪そうに、金熊は軽く眉を潜める。
「聞いたか。こっちは俺と荒木あたりで引き受けるから、可児は病院の方へ迎え。すぐ行けそうなのを何人かそっちに向かわせる」
「偉そうに言うな、もちろんそうさせてもらう。……これがお前のところのボンクラに関係してのことだったらただじゃおかんぞ」
「……まあ気に留めておく」
 言うまでもなく京のことだ。心から否定できないところが虚しい。鼻を鳴らして踵を返す可児の後ろ姿を、申し訳なさそうに見送りながら金熊は再び携帯電話を取り出した。


「シンです、今到着しました。京を待った方がいいですか」
 去っていくタクシーを尻目に、シンは病院の夜間出入り口のドアを押し開いた。金熊から、現場ではなく病院に向かうように指示されてから十分足らず、距離的に近いシンが一番乗りとなる。
『いや必要ない。可児課長が居るはずだから見つけて話を聞いてくれ』
「了解」
探す必要はなかった。長々しい廊下の手前に、法務課長の姿を見つけてシンはモバイルを耳に当てたまま会釈した。 
 金熊よりもいくらか若く頭の上にはまだ黒いものの割合の方が高い可児だが、一晩で一気に老けこんだように見えた。顔色が良くないせいかもしれない。必要以上に明るい廊下は彼の疲労のにじんだ顔を浮き立たせていた。
「お疲れ様です」
「ああ、保安課の」
「桃山です。……辰宮主任は」
シンは廊下の奥で怪しく光る「手術中」の扉に視線を移した。と、可児が呆れたような渋い顔つきで顔の前で手を振った。
「違う違うっ、それはさっき運び込まれた交通事故かなんかの人だ。辰宮は上、話せるから本人に直接聞いてくれ。……俺はもう帰る。明日も早いからな」
「え? あ、はい。お疲れ様でーす」
 可児は踵を返しながら「おつかれ」と短く言うと、どっぷりと疲労のこもった嘆息をして去って行った。
「え……話せるの」
シンはここぞとばかりに疑問符を浮かべ、小首を傾げながら階段を上った。病室を聞き忘れたと思ったが、確かめる必要はなかった。踊り場を過ぎたところで刑事らしき男が数人立ち話をしている。シンはそれらを横目に明かりのついている個室を覗き込んだ。
 病室の中でも見知らぬ男女が立ったまま会話をしていた。刑事、医者、それから看護師、その奥のベッドに上半身だけを起こした乙女がいる。いつもはきちんと夜会巻きにしてある長い髪が、当然のことながら下ろされていた。
「シンくん? やっだ着くの早いじゃない。悪いわねータクシー飛ばしてきたんでしょう?」
患者衣であることと髪がおろされていることを除けば、乙女は普段通りのように見えた。勝気な笑みも健康的な顔色もいつも通り、顔色云々で言うなら可児課長の方が心配なほどだ。
「話せるんですね? っていうより、ひょっとして心配無用でしたか」
「そんなことないわよ。見てよ、これ」
乙女がシーツをめくる、更に患者衣をめくって太股を顕わにした。あっけらかんと痴女まがいな行為に及ぶ乙女を横から慌てて看護師が制す。そんなことでいちいち動じるようなシンではないが、ミイラのようにぐるぐる巻かれた包帯には一瞬たじろいだ。
「辰宮さんっ、何なさってるんですか」
「大丈夫よーこんなの彼見慣れてるから。それより見てよ、信じられる? 太股貫通、しかも二発。リハビリとかしないといけないのよこれ。完治までえーっと、何ヶ月でしったっけ?」
「……半年は見ていただかないと」
 刑事の存在に委縮している、というよりは乙女のテンションに驚愕している看護師。シンもその点については同様だったが、よくよく考えれば好都合でもあった。
「ねーえ? 刑事さんたち。ちょーっと彼と二人で話したいんだけど、席外してもらって構わないかしら」
入り口付近で蠢いていた刑事に向けて乙女が遠回しに退出を促した。医者も看護師も気を利かせたつもりらしい、刑事たちに次いで病室を後にする。これだけ元気に憎まれ口を叩ける患者であるから、特に張り付いている必要もないのだろう。
 シンは黙って乙女がつくる流れに身を任せた。刹那、刑事が廊下側から扉を閉めると同時に乙女がシンの腕を強引に引き寄せた。バランスを失ってベッドに片手をつく。乙女の顔がすぐ傍にあった。
「……いい? そのままで聞きなさい。シンくんにどうしても言っておくことが」
「びっくりした。誘われてるのかと思いました」
全く動じた様子もなく調子を合わせてくるシンに、乙女の方が苦笑いだ。但しそれも一瞬、すぐに神妙な顔つきに戻る。
「私も含めた一連の事件。やっぱり京は無関係じゃない、あいつを関わらせちゃ駄目よ」
「……どういう意味ですか」
「シンくんは……京の追ってる事件について、どこまで知ってる?」
至近距離で見つめ合ったままだった乙女の視線が、ふと伏せられた。長い睫毛が影を落とす。シンは廊下で待機している刑事の背中を一瞥した後、遊んでいた左手をベッドについた。これで完全に廊下側から乙女の唇を読むことはできない。
「黒いファイルのやつですよね。知りませんよ、何も。堂々と置いてある割には何も話したがらないから、詮索しない方がいいのかと。今回の件と関係が?」
「……黒いファイルの事件の被害者が、今回の加害者よ。そう言えば金熊課長には伝わるから、追って指示を仰いで。それから──」
乙女の白い手がシンの頬に触れる。
「次に狙われるのが誰かは、もう分かるわね?」
「……白姫小雪?」
「であれば、君が全力で守りなさい。彼女の場合足一本じゃ済まないわよ」
冗談でも脅しでもなかった。乙女の言う「一連の事件」の始まりは、眼球をえぐり取られた惨殺死体だったのだから。
 シンは一瞬間両の手に体重をかけると元通りベッドサイドに立った。そんな神がかったタイミングで引き戸が軽快に開けられる。軽快に、だ。
「乙女ぇ! 生きてるか!?」
「静かにしてください! 病院ですよ!」
間髪いれずに看護師の怒号が飛ぶ。そんなものは耳に入っていないかのように、話題の中心人物が血相を変えて病室に飛び込んできた。
「あれ! 生きてるじゃんっ! ってか、シン? 早いな」
「近いからね、うち」
「だったな。……で、どうなの。足だったか? うわ、見せんなよ……」
 再び行われるストリップ行為に後ずさる京。それに渇いた笑いを送ってシンは引き戸を引いた。

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