SAVE: 11 浦島介に関する例の事件

─Part.2─


「シン。どこ行くんだよ」
「報告。課長に」
モバイル片手に病室を出るシン。カンパニーで京が居ない隙を窺うより、乙女が京の相手をしてくれている間に電話した方が確実だ。念入りに屋外まで出て、寒空の下通話ボタンを押した。
 金熊はすぐに電話に出た。現場、つまり乙女のマンション、そこから一番近いコンビニエンスストアで荒木、城戸組と共に暖をとっている最中だった。シンの声がやけに強張っているのに気づいて、金熊も一旦駐車場に出る。白い息が上がった。今夜はかなり冷える。
「容体は……そうか、良かった。とは言い難いが最悪のケースも想定していたからな。浦島はそっちに着いたか」
『その京のことで、辰宮主任からいくつか伝言が』
 わざわざ役職名を使ったのはシンからの牽制だった。特に省かず脚色することもなく、シンはありのままを金熊に報告する。
『──と言えば、課長には分かるからってことでした。間違いありませんか』
シンの報告がいつもの数倍他人行儀だ。彼は彼なりに、おそらく疎外感を覚えている。というより今それを全面に出して抗議してきているのだ。コンビニの喫煙スペースに、暇な学生のようにしゃがみこんで、金熊は大きく息を吐いた。
『課長?』
「んー、ああ、そうだな。間違いない、彼女の言ってることは分かる」
 後は課長に指示を仰げ、辺りがいささか気にくわないが。
『そうですか、良かったです。で、僕はいつまでメッセンジャーやってればいいんですかね?
 意味も分からず小雪さんのガードなんて、ちょっとお断りなんですけど』
 ついに、というかようやくというか、シンが露骨に嫌味を口にした。これには金熊も苦虫をつぶす。電話越しでなければ説教をかましたいところだったが、シンはシンでこれ以上小馬鹿にされるのは我慢ならないといった様子だ。
 金熊は腕時計を見た。23時。とんでもない残業である。
「シン、お前これからカンパニーの方に出てこられるか。一杯付き合え、奢るから」
『……それ、課長が明日から京に無視され始めるとかいう事態にはならないんですか』
「俺が俺の、事件について話すだけだ。問題ない」
『課長』
「~なんだっ。文句は会ってから聞く!」
『いえ、すみません。生意気な口を聞きました』
 金熊は立ちあがろうと中腰になったままの状態で目を見開いた。幻聴にしてはやけにはっきりとしたもの言いだった。それからすぐに思い直して咳払いした。桃山心太郎は、もともとこういう男だと自分は当の昔に知っていたはずだ。知っていたから京のバディに抜擢した。
 一方のシンは急に黙り込んだ金熊に不審を募らせていた。本人至って飄々としたものだ。
「えーと、とりあえず京の方は適当に言いくるめてカンパニーに向かいます。で、いいんですよね……?」
「ああ、そうしてくれ」
電話越しの部下が戸惑っているのを察して、金熊はいつも通りの落ち着き払った声で告げた。


 翌日の保安課は、打って変わって慌ただしかった。始業早々、朝礼途中で出動ベルが鳴り響いたのを皮切りに、やれ窃盗だ傷害だで午前中だけで三件のセイブ業務が発生。昼時を過ぎてから、すっかり体力を消耗した主任バディと浦島バディが上がりのエスカレーターで合流する。
 揃って保安課のドアをくぐるも、やはり安らぎとは程遠い空気がここにも流れていた。みちるは外線の応対中、金熊も受話器を耳に押し当てたまま書類を掻き分けて何か怒声を発している。「お疲れ様、おかえりなさいっ」からの温かいお茶にはありつけそうにない。
 どかりと自分の椅子の背に体重を預けた京、を視界に入れた金熊が電話を中断した。
「浦島っ、のんびりしてないで午前中分の報告書あげろ。法務課がテンパってる」
「えぇ? テンパってるって、また──」
言いかけて、思いだす。今の法務課にはペースメーカーの乙女がいない。一人で三人分働くミサイル主任が不在なのだから、当然上も下も回らなくなるのは必至だ。金熊の通話相手は法務課長の可児で、ほとんど小学生の喧嘩のようなしょうもない応酬になっていた。それを半ば強制終了させるような形で受話器を置く。京に続いて腰かけようとするシンと小雪に待ったをかけた。
「桃山・白姫組は巡回に行ってくれ。コースは桃山に伝えてある」
「えーっ。パトロールだったら俺も……」
反射的に応答したのは京だった。面倒だ、果てしなく。そう思ったのはあからさまに頭を抱えて見せた金熊である。
「お、ま、え、はやるべきことをやるべき時間までにやってくれっ。たったそれだけで救われる命があるんだよ、主にほの字がつく部署の連中がなっ」
「やだなー課長。ほの字なんてっ。誰が誰にです? 俺? 最近モテモテの?」
金熊だけでなく、小雪が、そしてシンまでもが半眼で、このスーパー空気読まずの男に白々しい視線を送った。溜息までおまけでついてくる。しかも発信者はシンだ、これには京も愕然とする。
「何、今日に限ってそのついていけませんみたいな態度……」
「別にー? 呪われてる説の方が日に日に有力になっていってることを知らぬは本人ばかりかと思うと、なんだか可哀そうで」 
 ぶはっ! ──給湯室から城戸が吹きだした音が響く。いつもならここから笑い上戸の本領発揮というところだが、今日はやはりそれが許されない日らしい。内線を示す長いコール音が鳴り響く。みちるが別の電話の応対をしているため、城戸が自分のデスクから受話器を取り上げた。
 視界が目まぐるしい。社用車の鍵を手に出て行くシン、その後を追う小雪を実に羨ましそうに眺めながら、京は先の二件の調書を手にとって深々と嘆息した。
 いつになくシンは口数が少ない。そう思うのは小雪の偏見なのかもしれないが、それにしてもどこか上の空である。シンが運転席に、そして小雪が助手席に乗り込んでドアを閉めると同時に、シンはスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。小雪に差し出す。
「この人を探す。警察より早く」
 小雪は写真を受け取った。風化したのか四隅が少し欠けている。しかし写真の古さも、その中で笑う女性も、ひとまず差し置いて目を引く存在がそこには写されていた。
「シンくん……こ、これって」
 シンは何も補足せずエンジンをかけた。
 古ぼけた写真の中で、腰まであるウェーブの髪を揺らして女性が笑っていた。スプラウトだ、間違いなく。彼女の眼──アイは、ダイヤモンドかクリスタルか、それらにも勝る宝石のように輝いていた。小雪と同じ、「プリズム・アイ」を持つスプラウト。そしてその隣で、やはり宝石をこぼしたように笑う少年がいる。よく知っている人物だ。彼は今、この建物の5階でデスクにへばりついて泣き言を言っている。
 シンはゆっくりと車を発進させた。小雪は不気味なほど黙ったままだ。写真だけで十分察することができる事実と、これだけでは全く見えない真実がある。後者のいくつかは伝えておかなければならないだろう。車道に出たあたりで、シンが口を開いた。

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