12月21日。某所。
京は最後に入室して、障子を閉めきる前に一度周囲に目を配った。一瞥したところではセイバーズの人間は見当たらない。既に座敷に胡坐をかいている金熊、荒木、城戸に頷いて合図をした。
六畳ほどの狭いスペースに、随分と幅を占める大きな天板のテーブルがある。室内にはそれだけだ。立派なのか質素なのか判別しがたい生け花と、優れたものなのか落書きなのか見当も付かない掛け軸があるにはあるが、ここに集まった四人にとってそれらは注意を向けるに値しないものだった。
「それでは保安課特別チーム特別会議を始める。城戸」
金熊が若干声を顰めて仕切る。城戸は黙って頷いた。
「遺体安置所の手引きをした者ですが十中八九、内部の人間とみて間違いありません。受付の老年男性が相当に記憶力が良くて、定期的に見舞いに来る連中はもちろん一回こっきりで音沙汰なしって奴まで名前と顔を覚えています。そっちの調べで臭うものはないですね、……浦島の名前があがるくらいで」
荒木の視線が京を捕らえる。
「え、俺ですか」
「騒動聞いて心配してたぞ。あのじーさん、なかなか情報通だ」
京は苦笑いするばかりだ。話が一瞬で本筋が逸れていくのを感じて金熊が咳払いをした。
「で、気になるのがシステム課です。……出入り自由なんですよ“緊急時”って名目ならなんでも」
「システム課、ねぇ……」
唸る京。
「正直、無関係って方が不自然だな。アイを入れ替えるだのブレイクを誘発させるだの、どう考えたって素人仕事じゃ無理だろ」
半眼で茶をすする荒木。その風流とも呼べる音は場を幾分和ませてはくれたが、必要な緊張を取り去るまではしなかった。金熊も自分が落ち着くために湯飲みに口をつける。
「それがなー……例のウルフ。大神良治な。一年間だけシステム課への在籍経験があることが分かった」
「一年、ですか」
目をむきながらもその短期間に何ができるだろうと冷静に考える。
「そう、一年。アイ治療の基礎くらいは盗める。後は、コネクション作り。もちろんその事実が判明した時点で当時のシステム課やら書類は調査が入ってるがな。どうもこう……臭い物に蓋をしてる印象がな」
今度は全員が腕組みをしたまま反り返って、唸った。城戸さえも珍しくネクタイの結び目を緩める。
「蓋を閉じてるのがピラミッドの上の方だったとしたら、お手上げってことですかね」
「んー、実はそっちについてはいろいろ考えてあるんだ。浦島の処分が良い方に働くかもしれん」
顔を見合わせる荒木と城戸をよそに、金熊もおもむろにネクタイを緩める。そして何故か腕まくり。京も黙って金熊に続く。それすなわち、腕まくりである。
「とにかくこの話も、今から起こることも一切他言無用だ。いいな」
「心得ております」
最後に静かに、荒木がネクタイを緩めた。
乱暴な足音がこの小さな座敷に迫っていた。皆が障子の向こうのシルエットを威嚇する。半分腰を浮かせた京を、制すように城戸が真顔で頷いた。
「……主役の到着だな。いいか、手加減するな」
「了解……!」
固唾を呑む一同、その眼前でシルエットは立ち止まり、軽やかな身のこなしで跪いたようだった。刹那、障子は豪快に開け放たれる。
「お待たせしましたぁっ! トッピング全部乗せ五倍ラーメン『森羅万象』! 制限時間二十分ね~! 頑張ってぇ!」
刺客、いや店員四名が次々とすり足で座敷に上がってくる。その手から優勝杯かと突っ込みたくなる巨大どんぶり──どうやら通常の五倍の容量らしい──が恭しくテーブルに献上されていく。辺りは一瞬にしてトンコツ臭に満たされた。
「いいか! 残した奴は当然自腹だ! 心してかかれよ、全力セイブだっ!」
金熊が息巻いている途中で、若者連中はフライング気味に割り箸を割った。エベレストのように盛られたもやしをかき分けて五人前の麺を掘り返す。のびる前に始末しなければ地獄を見ることになるだろう。ストップウォッチ片手に満面の笑みを浮かべる店主には目もくれず、四人は黙々と、しかし全生命力を以て眼前のターゲットに挑んだ。
二十分後──。試合終了を告げる店主の勇ましい声が響き渡る。合図と同時に倒れこむ者、ベルトを緩めて喀血するかのようにげっぷを繰り返す者、既に死骸のようにうつ伏せになって動かない者、実に凄惨な光景である。噎せかえるようなトンコツ臭はもはや毒ガス並みの威力をもって座敷内に漂っていた。
「残念アンドありがとうございま~す! 皆様完食ならず! お一人様三千円で、ございま~すっ」
屍さながらの客とは対照的に喜色満面、意気揚々と店主はレシートを差し出した。ままならぬ思考回路で各々財布を漁っていると、心なしか申し訳なさそうな音量で金熊の携帯が鳴った。ディスプレイを見て、通話ボタンを押すより前にネクタイを締めなおす。そういう相手のようだった。
「はい、藤和支社、金熊でございます。はっ、……いえいえいえいえいえ……はっ? 今から、ですか。いえいえいえいえいえ! はっ、ただちに」
満腹を通り越してキャパシティオーバーの部下たちの耳には、「家々」と「歯」しか聞こえなかったが、金熊としてはそれで会話は事足りたらしい。通話を終えると溜息混じりに京を見た。
「なんです? 俺?」
今回彼はまだ何もしでかしていない。したがってその心外そうな反応も妥当といえば妥当だ。
「荒木と城戸はこのまま帰社。……俺は浦島を連れて本社に行く。大神良治が浦島に面会希望だそうだ」
京は自分を指差したまま固まっていた。理由はいたってシンプル、金熊が多少し渋ったのも同じ理屈だ。なぜ、よりによって今日なのだ。
「金熊くん……」
「は」
「その、だね」
「はあ」
「なんとかならんかね。その、トンコツ臭は」
清掃が行き届いた本社の廊下を歩きながら頭を垂れる。本社に着いてから金熊は異なる人物に四、五回ほど平謝りしている。今案内してくれている生活安全統括部長の指摘が一番直球だったように思われた。付いて歩いている京は気が楽だ。前の方では「これだから保安課は」だとか「藤和はそもそも君がこんなだから」だとかのお小言が始まっているが全て他人事のように流す。そもそも「今」と指定されたからこそこうして馳せ参じたのである。とんこつ臭かろうがニンニク臭かろうが文句を言われる筋合いはない。などと鼻息を荒くしたのも束の間、誰に頼んでいたのやら統括部長は消臭スプレーを受け取ると金熊と京に直接吹きかけ始めた。
「とにかく、そんなんで宇崎部長の前に通したら私が恥をかく。君もトンコツ課長なんて呼ばれたくはないだろう」
統括部長は至って真面目だ。真面目に、細やかにスプレーをしてくれる。生返事をする金熊の後ろで京はひたすら笑いを吹き出さないようにこらえていた。その俯き加減が反省と捉えられたらしい、最後には「しっかりな」などと背中を押され送り出してくれた。