SAVE: 13 僕らのデー

─Dec.24th─


 12月24日【8:30】スプラウトセイバーズ藤和支社、エントランスロビー。
 とにかく究極に寒い朝だった。エントランスの自動ドアは、誰でもかれでも見境なく「ようこそ」とばかりに開いては閉まる。この時間は電車で出社してくる者がこぞって小走りに駆けこんでくるものだから、ロビー内は絶えず吹きさらしの状態だった。その、大して暖かくもない社内に京も同じように駆け込む。一昔前の刑事さながらにコートの襟をにたてて、首を竦めていた。
「おーはよーございまーす。寒いねー、地獄だねー」
いつもと同じように受付に寄って、いつもと同じようにコートのポケットからカイロを取り出すと受付カウンターに恭しく献上した。12月に入ってから、藤和駅の前で配られている広告入りのカイロだ。駅からカンパニーまでの道のりでは重宝するが、一度社内に入ってしまえば不必要な代物である。そういうわけで、屋内にも関わらず吹きさらしの刑にさらされている受付嬢たちに毎朝マメにプレゼントすることにしている。
「おはようございます、浦島さん。毎朝ありがとうございます」
「俺らは寒いのも朝のうちだけだからね」
「そうそう、これ。今日受付に立ち寄って頂いた方にお配りするんですけど、浦島さんも良かったら」
カウンターに乗せられたのは透明フィルムでラッピングされたジンジャーブレッドマンだ。
「元気がないようなので」
 京の顔に即座に苦笑がにじんだ。彼のポーカーフェイスは、数秒の会話で見破られるほどのお粗末なものだったようだ。どことなく愛嬌のあるジンジャーブレッドマンを掲げて礼を言うと、そそくさとカウンターを後にした。
 ──クリスマスイブだ。繰り返される365日の中で一番、忘れてしまいたい日だ。そして、忘れてはならない、忘れられない日。
 色とりどりに飾られたクリスマスツリー、街中でケーキを売りさばくサンタクロース(たまにミニスカート)、トナカイの角を生やしたコンビニ店員、流れてくる「もろびとこぞりて」、駅からカンパニーまでの短い道のりだけでも、それらが「今日は特別な日」だと訴えかけてきた。特別に楽しくて、特別に幸せな日なのだと。京にとっては単に「怜奈が死んだ日」だ。それを全世界が総力を挙げて祝っているように見えて、気持ちが悪かった。だから12月の雰囲気は嫌いだし、とりわけ24日は本音を言えば作り笑いをするのも億劫な日だった。
 例年この日はさっさと仕事を切り上げてスプラウト保養・研究所に足を運ぶ。が、今年はそれすらかなわない。怜奈の遺体は未だ本社の研究施設に置かれ、モルモットさながらに解剖を受けている。つまり今年は本当の意味で独りなのだ。しかしながら生憎彼は、そうやって感傷に浸り、改めて孤独を噛みしめるような悠長な状況に置かれていなかった。
 笑顔のジンジャーブレッドマンをぼんやり見つめながら、京は昨夜のことを思った。
「浦島……っ!」
 思い始めたところで、どこからともなく現れた金熊の声に呼び止められる。
「あ、課長。おはようござい──」
「ちょっと来い、話がある」
金熊は京の腕を掴んで、ロビーの奥にある男性用トイレへ強引に引きずった。一階トイレはほとんど来客用で、朝早いこの時間は人気が無い。ごくたまに、朝から腹を下した哀れな社員が籠っていたりもするが、それもないようだった。つまり無人だ。
「か、課長……っ。落ち着きましょうよ、これどういう展開に持っていくつもりです?」
本能的に身の危険を察知して、引きつった笑みを浮かべて青ざめる京。金熊は扉を閉めるなり、京を放り投げるように壁にたたきつけた。まさかの「壁ドン」である。
「白姫くんに緊急検査命令が出た」
金熊が早口に告げたその言葉に、京の顔色が変わる。意味を理解しているからこその反応だ、金熊は奥歯を噛みしめた。
 「緊急検査命令」は、ブレイクの疑いが濃厚なスプラウトに対してセイバーズが発するもので、対象に拒否権は与えられない。セイブ現場において、理性や知性が残っているブレイクスプラウトに発令されるのが基本である。それが小雪に発令された、金熊の言い回しを以てすれば発令元は本社だろう。リークした人間がいなければこうはならない。
「……誰が」
「監査のどっちかだろう、そんなことはこの際どうでもいい。問題は、白姫くんが電話に出ないってことだ。電源は入ってるのに留守電にもならん。……お前、何か知ってるんじゃないのか」
 京は咄嗟に言葉が出ず、そのまま馬鹿みたいに目を見開いていた。金熊はそれを肯定ととる。自分が落ち着くために一度深々と嘆息した。
「本社側には荒木が対応して適当に取り繕ってる状態だ。が、このまま検査命令に応じなければ『セイブ命令』に切り替わることになる。……俺としてはな、訳が分からないんだよはっきり言って。だからお前に確認してるんだ。何か知ってるんじゃないのか」
念を押すように一言一句をはっきりと口にした。金熊は、京が何か隠していると確信しているからこうして強行手段に出ているのだ。そうでなくとも穏便に事をすすめている段階ではないということだろう。互いに手のひらに汗がにじんでいた。
 京はゆっくりと口を開き、昨夜のことをかいつまんで説明した。更に小雪のパソコンをチェックし、意味の無い文字の羅列や大量の空のデータファイルを発見していることも話した。金熊はそれを黙って聞いていたが、やがて一際大きく嘆息すると京の途切れ途切れの報告を遮断した。呆れていたのではない、こみ上げてくる憤怒を少しでも外に吐き出すためだ。そうやって吐き出したはずの感情を金熊はすぐさま勢いよく吸い込んだ。
「くぉんっの、馬鹿野郎がぁあああっ!!」
 その怒声は、無人のトイレの壁を突き抜けてロビー全体に響き渡った。来客準備に勤しんでいた受付嬢たちはもちろんのこと、入り口近くに居を構える生活相談課の面々、エレベーター待ちをしていた法務課連中、自動ドアをくぐったばかりのI-システム課職員まで、皆等しく体を強張らせて何事かと辺りを見回す。
「何で早く俺に報告しない! お前はそれでもスプラウトセイバーズか!!」
次の一喝で、それがフロアの男性用トイレからで、保安課長金熊のものらしいということが皆に知れた。そうなると例え一部始終を見ていなかったとしても、怒鳴られている相手が誰かは容易に想像がつくのが藤和支社の古参社員たちだ。5階で日々繰り広げられている光景が、今朝はたまたま1階トイレに出張してきたのだろう程度で片づけて、皆それぞれの業務に意識を戻していった。
 金熊は携帯電話を弾き開けた。リダイヤルボタンを押す、その数秒すら惜しいのか舌打ちが漏れた。彼の苛立ちが伝わるはずもないのだが、かけた先の相手は空気を読んでワンコール鳴り終わる前に電話に出る。
「荒木、全員集めろ。白姫くんの捜索が最優先だ、彼女はブレイクの可能性がある。発見時症状が確認されるようなら直ちにセイブ」
金熊の口から当然のように発せられるいくつかの単語に、その組み合わせに、京は違和感を覚えずにはいられなかった。砂利を噛んだような苦々しい気持ちで、金熊と電話の向こうの荒木のやりとりを黙って見守る。
(直ちに“セイブ”か……)
日常的に使用してきたその言葉が今になって、具体的にどうするという指示のないひどく都合の良いもののように思えた。具体的にどうするかは、自分が一番よく知っている。もはや理解不能の思考をさらけだす対象をなだめすかして、力づくで押さえつけるだけだ。それがスプラウトセイバーズの花形と呼ばれる保安課の主な業務、今日まで数限りなくこなしてきた京自身の職務だ。
 金熊は荒木に指示を出しながら視線だけを俯く京へ向けた。
「──とにかくすぐ上がるから捜索エリアを割り振ってくれ。……白姫くんは我々の仲間だ、なんとしても『守る』ぞ」
京が顔をあげると通話を終えた金熊としっかりと目が合った。
「お前、迷ったのか」
唐突なようでいても、その質問の意味を京はすんなり解することができた。おそらくは小雪をセイブするか否かをという意味合いだろう。ただ答えには窮した。

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