SAVE: 13 僕らのデー

─Dec.24th─


「俺たちの考える“セイブ”が彼女にとっても果たしてそうか──」
「そう思うなら来るな。大神良治の言うアップグレード、か? そういうのにすがっておけばいいさ。ただほっておけば彼女は苦しみながら狂い腐って死ぬ。人も傷つけるだろう。……それを我々は許すわけにはいかない。彼女のためにも」
金熊は言いながらトイレのドアを反対側にたたきつけてロビーに出た。いかり肩を更に怒らせて大股でエレベーターに乗り込む。順番待ちをしていた法務課職員たちは思わず道を開けた。
 5階に到着するなり金熊の耳に荒木の怒声が聞こえてきた。
「だぁかぁら! あんた方もほんっとに石頭だな! もともと白姫は半休とってんですよ、午前中に電話がつながらないからって目くじら立てられるもんでもないでしょうが!」
彼も言うほど気が長い方ではない、相手が融通の効かない監査畑の人間ならなおさらだ。金熊は小走りに保安課のドアを目指した。
「ですから。白姫さんが本日半休である旨を我々は伺っていないと言っているのです。監査中は極力、通常業務を通常通りこなしていただくよう申し上げているはずですが」
「だ~か~らぁぁ! クリスマスイブに職員が半休とってなぁにが悪いってんだよ! 俺だってケーキ買ってさっさとかわいい娘のところに帰りてーんだ! それをぐちぐちぐちぐちとねちっこい連中だなお宅らは!」
「荒木さ~ん、落ち着いてくださいよ……あ。課長」
 今にも手が出そうな荒木と能面のような監査職員二名の間で、城戸が似非スマイルを振りまいていた。なるほど荒木の機転で、小雪は半休扱いになっているらしい。当然のことながらそんな申請は誰も受けていない。金熊は、半ばわざとらしくキレている荒木に目配せをして廊下まで呼び寄せた。
「課長、すみません。エリア割りがまだ……というか浦島は、何か」
「巡回ルート通りでいいから全員単独で捜索だ。浦島は、今回は出さん。当てにするな」
金熊の有無を言わさぬ口ぶりに、荒木もそれ以上は追及しないことにした。
「あっちはどうしますか」
ちらりと監査組の二人に視線を送る。
「……そのままほっとけ。本社には俺から連絡して昼までもたせる、それまでに何としても白姫くんを見つけるぞ……!」
荒木が無言で頷き、今度は城戸とシンに手招きする。入れ替わりに金熊が入室し、わき目も振らず自分のデスクに設置してある固定電話から受話器を取り上げた。


 金熊が5階に駆け上がってから数分、京はまだ身動きがとれずにいた。幸か不幸か、始業前の1階トイレは本当に人気が無い。金熊が出ていったきり、トレイのドアは全く以て開く気配を見せない。きっかけがなければ、いつまででもここで立ち尽くしていそうな気がする。
 スプラウトは恐怖でバグるのさ──大神の、人をくったよなうすら笑いが蘇った。植え付けられた恐怖感で細胞のアップグレードを拒んだ場合に「ブレイク」という現象が起こる、そうだとして小雪なら、あるいは──昨夜から今まで、京はそんなことを断続的に考えていた。金熊の言葉を借りるなら、すがっていたということになる。
 視界も思考も虚ろな中で、トイレの入り口ドアが引き開けられた。顔をのぞかせたのはシンだ。
「長くない? 下痢?」
「シン……」
「っていうか、まさか行かないつもりじゃないよね? ここは整腸剤に頼ってでも行くところでしょ」
シンの冗談とも本気ともつかない言い草に、京は無意識に笑みをこぼした。
「シンお前、さ。もし……ブレイクが精神的ってか、気の持ちようみたいなもので何とかなるもんだとしたら、どう、思う」
「どうって?」
「小雪なら……何とかなる、とか」
「いや、万に一つも思わないけど。なんでこの期に及んでそういう馬鹿らしい発想が出てきちゃうわけ? 僕は小雪さんのことを特別強い人だとも思わないし、ブレイクしてるかもって言われて平静でなんていられないでしょ。人生最初からあきらめてれば……そういうこともあるのかもしれないけどね、少なくとも僕は無理」
 京はゆっくり目を見開いた。自らの都合の良い勘違いに、ようやく気が付いたからである。ブレイクへの引き金となる恐怖感をぬぐい去るのは、単純に強い心だと思っていた。精神力と呼ばれるような、揺るがない、強い、こころの力。そう思いながら違和感を抱き続けていた。そうじゃない。恐怖を感じないのは、はじめから絶望している者だけだ。失うものが残されていない、本当の孤独に支配されている者──例えば15年前のクリスマスイブ、唯一の家族を永遠に失った少年のように。
 京はロビーに飛び出した。押しのけられたシンは不服そうに眉をしかめていた。が、必要情報は忘れずに投げる。
「京! みんな巡回ルートに沿って動くから! 城戸さんが車で流す!」
「分かった! 頼む!」
 男子トイレから絶叫するシンと、ロビーを全力疾走する京。出社間もない他部署の連中が何事かと目を丸くするその中に、コートを着直しながら今まさにエントランスを出ようとしていた荒木と城戸の姿もあった。京は視線だけで会釈して二人を追い越すと、上着も無しに寒空の中へ飛び出していった。呆然とする二人の横を更に小走りのシンが追いこしていく。荒木と城戸は同じタイミングで揃って顔を見合わせた。
「俺たちもこうしちゃいらんねーな、行くか」
「あいつらより先に白姫見つけて、悔しがらせてやりますかっ」
 荒木にしろ城戸にしろ、このときはまだ事態をそう深刻には捉えていなかった。楽観視していたわけではない、ただ先の見通しが甘かった。管轄内を隈なく捜索すれば、正午までには事態は収拾すると踏んでいた。こうした捜索は日常茶飯事で、彼らはそのプロだと言う自負があった。おまけに小雪は不正規のスプラウトでも闇社会の人間でもない。システム課に協力を依頼し、登録されているスプラウト反応を追えば発見は造作もないことだ。手配は既に済ませてあり、足を使って捜索している間に情報が入るだろうと考えていた。
 金熊は、城戸が乗る社用車の無線から、京が捜索に合流した旨の報告を受けた。合流といっても実際は野ばなし状態だ。説得したのがシンなのだから仕方が無い。
「ということで、浦島自身からの密な報告ってのは期待しないでください。相当余裕ない状態ですっ飛んでいきましたから」
 城戸はいつもの巡回と同じように周囲に視線を走らせながら、法定速度で国道を進んでいた。意識してスピードを落とさなくても、今日は特別混んでいる。半渋滞のような状態だ。無線の向こうで金熊が「そうか」と気のない返事をしていた。
「間違わないと思いますよ。俺たちより、いろんな意味で奴の方が白姫に近いですから。課長にも」
車の流れが完全に止まる。金熊からは先刻と同じ生返事があるだけで、新たな指示も情報もなかった。
 停車した前方車両の後部座席に、大きなテディベアを抱きしめてはしゃぐ女の子の姿が見えた。職務中に不謹慎だとは思いながらも、思わず微笑が漏れる。歩道には腕を組んで歩くカップル、時折ショーウィンドウの前で立ち止まって楽しそうに会話を交わしていた。
「こんな中一人で、なにやってんのかね白姫は……」
腕時計を一瞥して城戸は表情を曇らせた。間もなく午前11時をまわろうとしていた。


 同日、午後2時。
『荒木だ。悪い報せが入ったぞ。白姫の奴、スプラウト反応が検索できないように端末ロックしていったらしいっ。豆塚に解除依頼中だが、はっきり言って当てにはならないな』
無線のスピーカーから荒木の疲れ切った声が、ハウリング音と共に響いた。これを聴いた者は、少なからずその場で奇声をあげたはずだ。その後入るであろう反論を遮るために、荒木は一層声を荒らげて続けた。

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