この一連の流れをせき止める術を新入社員の彼女は到底持ち得ない。本来なら自ら進み出て自己紹介を済ませるところだが、その気力さえ沸かない。夢ならできるだけ火急に冷めてほしいし、ドッキリなら今すぐ種明かしをお願いしたい、そう思って視線を逸らし続けていた。
この男、浦島京介とそのバディ桃山心太郎の下に、自分は就くことになっている。夢でもドッキリでもなければそういうことになってしまっている。本日の仕事ぶりを見ていれば、よほどの阿呆でも無い限り誰だって理解するだろう、この二人は、破滅的な奇人変人だ。
「とにかく……浦島! それから桃山!」
小気味良い返事があがる。
「白姫小雪くんだ。今日からしばらく彼女と組んでスリーマンセルで動け。特に浦島! 分かってるだろうな。トレーナーとして、先輩として責任と節度のある言動を心がけろよ!」
「了解です! 浦島京介、全身全霊で新人育成に励みますっ」
小雪は眩暈を覚えた。悪寒も先刻から止まらないし、そういえば嘔吐感もある気がする。しかしそれらが風邪のせいではないことを小雪は理解していた。少し視線を上げると、悪い夢の化身がしまりのない笑顔でこちらをのぞき込んでいる。どこからどう見ても、今朝駅で自分をナンパしてきた男だ。もっと詳細に言えば、刃物を持った女子高生を制したはいいが痴漢扱いされてお手上げ状態だったナンパ男だ。
(そういえばさっきの女性スプラウトにも抱きついてたな……)
痴漢扱いもあながち間違いではなかったのかもしれない。助けたことを遅ればせながら後悔しはじめる小雪。と、京のほうから手を差し伸べる。
「改めまして、浦島京介です。スプラウトセイバーズへようこそ」
小雪は顔をあげた。思いのほかまともな挨拶だ。しまりが無いと思っていた笑顔も、よくよく見ればこちらに気を遣って作っているようにも見える。その手をとって、小雪はようやく少しだけ笑顔を見せた。
「白姫です、よろしくお願いします」
そしてその一瞬の気の許しを、小雪はすぐさま猛烈に後悔した。握手だと思って握った手が離れない。豪快に振り回してようやく離れたかと思うと、
「いやー。運命感じちゃうね」
これだ。京の笑みは作っているのではない、後から後から漏れてきて止まらないのである。小雪が派手にため息をついて「サイアク」などと呟いたのも気にならないほど、京は有頂天だった。
「なんだ、お前ひょっとして白姫くんと知り合いなのか」
「ええ、分かりますか。既にある事件を二人で協力し、解決した仲です」
「違います。他人です、完全なる」
間髪入れず否定すると、デスク越しに城戸が笑いを噴出す。荒木も報告書の山にカリカリしながらも肩をふるわせているようだった。金熊の疲れきった嘆息が響く。
「まあいい、浦島もあれだが白姫くんもあまり毛嫌いせずに、こいつらからいろんなものを吸収していくようにな」
「はあ……」
小雪がため息とも返事ともつかない曖昧な声を出す。本音だ、仕方が無い。
「現場に同行したならもう知ってると思うが、浦島と桃山はスプラウトだ。……セイバーズ全支社をさらってもそうは居るもんじゃない、貴重な人材と言っていいだろう。それを抜きにしても新人が就くには適任だと私は判断している、いろんな意味でな」
「──はい、勉強させていただきます」
今度はきちんと、背筋を伸ばして答えた。金熊の判断と言葉におそらく嘘はない。そうだとすれば、この奇想天外男は『スプラウト』であるということ以上に何か持っているはずだ。それを見極めて学べということか。
「ただし浦島の言動の九割は反面教師だと思って」
「え、あ、はい!」
どっちよ! ──もうここは威勢の良い返事で乗り切るしかない。全てはこれからだ、学ぶべき面が一割だったとしても、それが他では得がたいものなら根性で見極めるしかない。
「白姫小雪……。小雪か、よろしく!」
こうして小雪は、不審と疑心をてんこもりに抱き浦島京介の下に就くことになった。この不審が安心に、疑心が信頼に変わる日は果たしてやってくるのだろうか。何はともあれスプラウトセイバーズ藤和支社・保安課──新たに大型新人白姫小雪を迎え、始動。