SAVE: 02 セーラー服と45口径


「二人とも無事ぃ?」
電話口と眼前から同時にシンの声が聞こえる。繰り返しになるがカンパニーからこのファミレス「デイライト」までは徒歩圏内だ。走れば一分かからない。銃を構えて立ちふさがるシンは、救世主というかドラマのヒーローのようだった。これはずるい。しかも一発で愛海の腹部に命中させたのだから、ニクい。演出なら出来すぎである。
 愛海は膝をついて倒れこんだ。その途中で持ち直して、シンの方へ一発を放つ。不自然に体をよじらせて柔軟体操をしているようだった。
「愛海ちゃん! 下手に動くなっ」
 スプラウトは腹に穴が開いてもそうそう死なない。左胸を撃ち抜いたとしても同じだ。そこには心臓はない。全てがアイ、その瞳の細胞に集約されている。だからこうして意思さえあれば動けるが、それでも出血が致死量を越えれば死に至る。
「いやだぁぁぁぁ! 壊れない! まだ、死ニタクナイぃっ」
「愛海ちゃん!」
京の言葉が、言葉そのものが届いているようには思えなかった。愛海の声のイントネーションに統一感がない。赤ん坊のように地べたでのた打ち回る愛海を見て、京が動いた。彼女の濁ったアイにその姿が映ると、愛海はほとんど反射的に引き金を引いた。
「京!」
 銃声はどこからも上がらなかった。代わりに小雪の甲高い声が鳴って、直後に愛海の持っていた銃はくるくると回転しながら宙を舞いシンの足元まで吹っ飛んだ。
「まわし、げり」
状況をしっかりと目で追っていた京が、呟けたのはそれくらいだ。マワシ=ゲリさんだとかいう異国の恋人に思いをはせている風ではないから、ひとまず小雪が行った一連の動作を見て知っている単語を口にしたのだろう。それ以上は言葉が出ない。
「私の入社書類読んだんでしょ!? 何よ、今更っ」
「あ、はい。読み、読みました」
 確かに空手だか護身術だかの有段者だとは書いてあった。書いてあったが発砲直前の銃をピンポイントで蹴り飛ばす女だとは書いてなかった。
「そんなことより! セイブ!」
「はいっ。はい、セイブね、セイブ! シ~ン! システム課に連絡して~、急いで治療~!」
 小雪のマワシ=ゲリを目の当たりにして、唖然としていたシンも気を取り直してモバイルを手に取った。
 愛海は痛みに喘いでいるのか、悲しみで嗚咽を漏らしているのかもはや分からない。溢れてくる涙が横たわった地面に血と共に流れていった。京がそこにしゃがみこむ。
「愛海ちゃん、ごめん。痛いよな、でも大丈夫だから。良くなるからな」
 愛海が小さくかぶりを振った。昼間カフェで見せたように、自信なさげに小さく。それでも京の目を、アイを、しっかりと見据えていた。
「ごめん、なさい……。約束を……破ってしまって」
 今度は京がかぶりを振る。今の意識がある愛海なら、京のこのジェスチャーの意味も分かるはずだ。そして次に目が覚めるときはもっと落ち着いて、理解することができるだろう。ただそのときには京のことも、約束のことも、もしかしたら自分自身のことももう覚えてはいないかもしれない。京は小雪の表情を見て、それを口に出して説明しなくていいと判断した。彼女は分かっている。分かっていてしっかりと愛海を見ているのだから、大した新人だ。
 その後しばらくして、セイバーズのI-システム課が到着。それとほぼ同時にけたたましいサイレンを鳴らして警察が到着。どうやら騒ぎのさなかに誰かが通報したらしい、当然といえば当然だが、京たちにとっては最悪の結果だ。パトカーから降りてくる警官二名を見て、京がこれみよがしに溜息をついた。
「じゃ、ブレイクスプラウトは僕と小雪さんで搬送するから。後よろしくねー」
シンはとっととこの場を退散する気だ。抜群のタイミングで助太刀にだけ来て、事後処理は一任など言語道断だと言いたいところだが、休み中にわざわざ呼び出してサポートさせたのだ。今日くらいは先輩らしく、ひとり警察の嫌味に耐えようではないか。
「銃声だなんだのって駆けつけてみれば……また貴様らかっ! 誰だ、担当者!」
「……はーい、俺でーす」
京がやる気なく挙手して、溜息を連発しながらふらふらパトカーのほうへ歩を進めた。心配そうに見守る小雪の背中を押して、シンとシステム課も退散。後には一方的にがなりたてる警官と、頭をかきながら首ばかり傾げている(誤魔化すときの常套手段だ)京だけが残った。


 警察への現場対応を終えて京が保安課に戻った頃には、既に夜7時を回っていた。相変わらず開け放したままの入り口ドアを抜け、一目散に自分のデスクに向かうと京はすぐさま突っ伏した。
「疲れた……」
 課内には一足先に帰社したシンと小雪、待機していた金熊とみちるが残っていて、それぞれ黙々とパソコン入力を行っていた。本来なら京が一目散に向かうべきは金熊のデスクで、やるべきことはきちんとした報告なのだが、金熊もそこは見て見ぬふりをした。シンから既に報告は受けているし、こういうときに大目に見るくらいの度量は持ち合わせている。
 京は死んだ魚のような目のまま、気道確保のために顔だけを横に向けた。
「おつかれさま」
 ゴミ屋敷状態の京のデスク、僅かに空いたスペースにみちるが湯飲みを置いた。京は疲れたときに緑茶を好んで飲む。それを知っているみちるだからこその気遣いだ。
「みちるさん……」
死んだ魚の目に多少の色が戻る。しかし次に視界に映ったのは、みちるの癒しのスマイルではなくシンがおもむろに置いたプリントだった。I-システム課で使用されている薄青色の紙だ、それを見ればシンと小雪が、京が戻るまでの間にI‐システム課へ検査の手続きを済ませてくれたことくらいは分かる。魚住愛海のブレイクは誰の目にも明らかだったが、公的な診断書が発行されるにはI‐システム課による検査が必要だ。検査は早くても二日かかる。報告書には診断書の添付が義務付けられているから、興奮冷めやらぬうちにすぐ作成というわけにはいかないのである。逆に考えるとこの手続きが済めば、ブレイクスプラウトをセイブした当日に担当者がしなければならない業務は終了ということだ。
 無言で席に戻るシンの背中を目で追いながら、京はのっそりと体を起こした。みちるが淹れてくれた温かいお茶を一口すすって、デスクに立ててあるいくつものファイルの中から一番分厚いものを引き抜いた。アクリル製のファイルカバー自体はそう古くないが、中に閉じてある資料はどれもこれも年季が入っている。椅子に背中を預けて、何とはなしにページをめくっていった。手が空いた時、気持ちを切り替える時、ぼんやりしている時、とにかくこのファイルを開く。日課というよりは悪い癖のように一連の動作が体に染みついていた。
「そうだ課長」
ファイルを眺めながら、京が思いだしたように呼びかける。
「なんだ浦島ー。お前、用事ないならもう今日は帰っていいぞ」
金熊なりに気を遣っての応答だったが、不意に顔をあげた先、京の手元に「いつもの」黒いファイルがあるのを目にして、思わず作業の手を止めた。京の方はそれを、発言を許可されたと取って金熊に真剣な視線を送った。
「謝ってください、俺に」
「……はあ?」
すぐさま素っ頓狂な声をあげる金熊。京の発言を耳に入れ、周りの者も手をとめ顔をあげた。
 京はファイルを閉じ、ゴミ山デスクの上に無造作に放る。はじめからこのファイルは手持無沙汰だから眺めていただけで、いわばオプションだ。
「だって狡いっすよ! シンにだけあっさり拳銃許可出して! 明らかにあいつだけが今日かっこよかった!」
「よく言うよ。それで助かったくせに」
シンは早々にこの流れに見切りをつけて、キーボードをたたきながらの適当な応答だ。京は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、引き続きターゲットは金熊にしぼる。
「おかげで警察屋さんからは大目玉、丸腰の俺は終始へたれなポジションに追いやられ、ひどい精神的ダメージを受けました。だから謝ってください」
「浦島……」
「はい」
「お前ちょっと窓から落ちて来い。俺も快く背中を押してやるから」
 今度は京が奇声をあげ、シンがついでとばかりに渇いた笑い声をあげる。小雪はその全てに耳を塞ぐばかりだ。保安課の連中が生みだす空間、いや、もはや連中の存在そのものが亜空間だとしか思えない。足を踏み入れたら戻ってこられない世界だ。小雪が寸前で踏みとどまっているところを、あっさり引き摺りこんだのは意外にもシンだった。
「京がヘタレに見えた原因って、僕より実質小雪さんだよねー。あれはかっこよすぎだよ、『京!』からの回し蹴り」
シンに悪気は一切ない。だからこそたちが悪い。前触れもなくやり玉にあげられた小雪の表情は途端に静止画となる。
「そうだな、あれはいろんな意味で良かった。『京!』からの回し蹴りな」
 小雪としてはスルーして欲しかったところを、これみよがしに強調する京。既に機嫌は直っているようで、思い出し笑いの最中だ。
「違うっ。あのときはきちんと呼んでる余裕が無くて……!」
「失礼しまーす。金熊課長、この間のコンビニ強盗の処遇なんですがー」
 小雪が弁解開始とばかりに立ちあがった瞬間、入り口から、本日何度目かの京の着信音が鳴った。条件反射で咄嗟にケイタイを押さえる京だったが、着信音は先ほど自分で元に戻したのだ。その様子を見て入り口に立っていた乙女がカラカラと笑い声をあげた。
「何笑ってやがる! お前のせいで俺がどんだけ……おい、聞いてんのか!」
 乙女は詰め寄ってくる京を軽くあしらって、金熊に用件を伝えるとさっさと踵を返す。いつもは用もないのに保安課に居座るくせに、こういうときだけはフットワークが軽い。
「乙女!」
「小さい男ねぇ。着信音くらいでごちゃごちゃ騒がないの。それより昨日と一昨日の分の報告書は仕上がってるのかしら?」
「そうだ浦島! うっかり忘れるところだった、お前今日は仕上がるまで帰るなよ!」
「課長またまた~。今回の分とまとめて提出した方が一度で済むじゃないですか~。工夫しましょうよ、くふう」
「バカか! 何が工夫だ、怠慢って言うんだよそういうのは! だいたいお前はいつも──」
怒鳴り散らす金熊の横をすり抜けて、けしかけた当人は早くも退散モードだ。どうも保安課は全体的に、乙女に手のひらで踊らされている気がする。こっそり手を振ってエレベーターの方へ消える乙女を見送って、小雪はがっくりと肩を落とした。
「はぁ……前途多難……」
やかましい夜の保安課で、小雪の溜息だけが大量生産され続けた。


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