「隙を見てねじ伏せる。ちょっと手荒になるかもしれないけど、いけるか?」
「いけます!」
小雪の潔い返事に京が笑みをこぼした。恵比寿スマイルではない、会心の笑みだ。
「愛海ちゃん! 俺のことが分かったってことは、まだ俺の話も分かるはずだよな? 君はブレイクしてる。俺たちは君を助けるために来たんだ、怖がらなくていい!」
愛海の呼吸が遠目にも落ち着いたように見えた。大丈夫だ、言葉は通じている。京もいつになく真面目になだめようとしているからここは警戒しつつ任せるのが得策だろう。小雪は二人から目を離さないように固唾を呑んで見守った。
「嘘おおぉぉ!! 全部ウソォォォォ! はじめっから、アンタタチィィィ!!」
二人揃って耳をふさいだ。声が、叫びが電流を帯びているようにからだを痺れさせる。俯いて、ささやく様に言葉をこぼしていた女子高生がどうやったらここまでの声量を発揮できるのか、考えている暇は無い。
「小雪! 周りこめ!」
京本人は言いながら正面突破を図る。遅れを取らないように小雪もスタートダッシュをきったその刹那。
「いやあ? やっぱ伏せたほうがいいかもっ!」
「は!?」
今伏せたら勢いに任せて相当派手なヘッドスライディングを決めることになる。指示の意味が分からず京に視線を送ると、本人は既に頭を抱えてしゃがみこんでいた。その頭上を何か閃光のようなものが通り過ぎた。その前に、分厚い鉄板を力任せにアスファルトに投げ出したような、体の芯を貫く効果音があった。
「け……」
小雪が急ブレーキをかけて止まる。本能を頼りにそのまま徐々に後ずさる。
「拳銃ぅ~!? なんであの子があんなもの……!」
ダァン! ダァン!──分厚い鉄板が叩きつけられる音、ではなく発砲音が連続して響く。弾は二つとも亀のように丸くなった京の頭上を通り過ぎていった。
「小雪……」
丸まったままで京がつぶやく。そのまま器用に後ずさってみせた。二人の見解は一致、次にやる行動はひとつだ。
「逃げるぞ!」
今日一番の瞬発力と真面目さを以て、振り向き様に全力疾走する。ビーチフラッグ大会なら確実に優勝が狙えただろうスピードで二人は路地をひた走った。
「逃げてどうするんですか!?」
「それを今考えてる!」
少しだけ肩越しに振り向くと、京お気に入りのフリルのエプロンを揺らして、愛海が鬼神のごとき形相で追いかけてくるのが映る。考え事をまとめるにはあまりにも状況がホラーだ。
パァン! ──狙ったわけではないだろうが、弾丸が街灯を打ち抜いてガラスが飛び散った。漏れた電流が火花を散らし、不規則に弾ける。京は再び肩越しに振り向くと、意を決してそのま愛海の方へ向き直った。彼女も走りながら発砲しているわけではない。そうであればこの距離が早々埋まることはない。何とかして反撃に転じようと機を伺っていたそのとき、場の空気を一転させる恐ろしい威力を持った兵器が、鳴った。
『京チャ~ン! ゴハンニスル? オフロニスル? ソレトモ、ワ・タ・シ? ……京チャ~ン! ゴハンニスル? オフロニスル? ──』
時が止まった。それは京と小雪の話で、時間は刻々と容赦なく進んでいる。愛海は無表情に、慣れた手つきでカートリッジを入れ替えた。
「ウラシマサン、ナッテマスヨ」
小雪までもが機械音さながらに抑揚の無い声でしゃべる。ほとほと愛想が尽きたのか視線はどこか遠くを見ていた。しかし視界には否が応でも愛海の行動が映る。二人で同時にしゃがみこむと、案の定頭上を数発の弾丸がすっ飛んでいった。
『ソレトモ、ワ・タ──』
「はい浦島! 今取り込み中ですがあ!」
(出るんだ、この状況で)
てっきり切るものだと思っていた電話に、京が応答する。眼前では愛海がゆらゆら揺れながら一歩、二歩とこちらとの距離を詰めてくる光景。ホラーだ。ホラー過ぎる。
『あ、ごめーん。なんか邪魔しちゃった?』
全く場にふさわしくない、ゆるみきった声が通話口から漏れる。電話の向こうはシンだ、分かっていたからこの状況下で無理やり電話に出た。
『小雪さんと二人でセイブに行ったって言うからさー。別に僕、行かなくてもいいよねー?』
「バカか、空気読めよ! なんでわざわざ課長に伝言頼んだと──」
パァン! ──街灯再び、死亡。助かるのは愛海がノーコンであってくれることだ、これで軍隊ばりに照準を定められでもしたらたまらない。
『……何今の。花火かなんかやってる?』
「45口径! ホンモノぶっ放してるぞ、女子高生! ナウだナウ!」
『はあ? なんで女子高生が拳銃なんて持ってんのさ』
「それはこっちが聞きたい!」
京はハイテンションで会話しながら、しゃがみこんだまま蟹のように移動を始める。小雪にも手振りだけでサイドによけるように指示した。固まっていてはいくらノーコン女子高生でも的にしやすい。と思ったのもつかの間。何か学習したらしい、愛海が大きく足を開いて重心をとった。銃口を京たちの足元へ向ける。つまりこのまま座り込んでいたら体に穴が開く。
「小雪! 立て、走るぞ!」
ダァン! ダァン! ダァン! ──引き金を引くたびに愛海のからだはマリオネットのように後ろに倒れる。それが不気味であり、哀れだ。弾は先刻よりも確かに京たちに近づいていて、彼の足元には蟻の巣程度の穴がいくつも開いた。
「浦島さ──」
ダァン! ──小雪の耳元を高速で風が通り抜ける。僅かな痛みと共に。青ざめる小雪を京が力の限り手を仰いで呼び寄せた。頭の中が真っ白の小雪は言われるままに京の隣に崩れこむ。耳元を蚊がよぎっただけでこの上ない苦痛を感じるのに、弾丸がかすめていけば無理もない。
「な!? 言ったとおりだったろ!」
合流するや否や小雪の両肩を掴んで訴える京。小雪は一瞬何のことかと疑問符を浮かべたが、すぐに合点がいく。
「今そんなこと言ってる場合ですかっ」
ピンチのときに。
「身をもって味わったろ?」
“白姫さん”なんて悠長に呼んでいたら。
「“メ”で撃たれるって!」
頭上で銃器がこすれる音がした。普段なら、それが銃器のこすれる音だなんてのは夢にも思わない。見上げた先で愛海の色の無い目と、銃口の黒い穴が二人を見つめていた。何となくノリで両手を挙げる。
「意味あるんですか、これ」
「いや、うん。ないだろうね」
小雪の胸中での舌打ちが、ついに口から漏れた。さすがに京もこれには目を丸くしたが、愚痴もそれ以上は言えない。黙り込んだ二人の代わりに、またもや彼女が割って入った。
『京チャ~ン! ゴハンニスル? オフ』
内ポケットに入っているそれを上着の上から肘鉄で止める。ブレイクスプラウトと見つめあいながらのガッツポーズという究極に意味不明な構図が出来上がった上、京が押したのは電源ボタンではなく通話ボタンだった。狙ってだとしたらファインプレーだ。
『京、小雪さん、二人とも伏せてねー』
乙女のふざけきったボイスの後に、入れ替わりでシンのまったりボイスが流れる。これは録音ではなく通話だ、つまりリアルタイムでの指示ということになる。京は真横にいる小雪の頭を押さえつけて、自らもアスファルトの地面に頭突きをする勢いで伏せた。遠くなのか近くなのか判別しづらい、とにかく自分たちとは別方向から一発の銃声が鳴り、自分たちのすぐ近くでケチャップが弾けるような嫌な音がした。