SAVE: 05 春の芽吹きにご用


 京が今朝、出掛けに目に入れた天気予報では、いくつかの雪だるまが地図上でうごめいていた。最低気温が氷点下だとか、路面が凍結するだとかの世にも恐ろしい情報を笑顔で伝えていた新人女子アナ。彼女の女神のような愛らしい笑みを思い出しながら、大きく息を吐く。白い吐息が、魔王でも降臨するのかというくらい黒く曇りきった空に昇っていった。
 藤和南駅、中央線のプラットホームで京はある意味、魔王の降臨を待ちかねていた。隣には小雪が、そして主任の荒木が、揃って究極の顰め面をさらしている。三人は、今か今かと電車の到着を待っていた。正確にはそれに乗ってくる、あるスプラウトをだ。
「出てきた直後に俺と浦島で取り押さえる。が、万が一失敗したらそのときは白姫の出番だ」
 小雪が神妙に頷いたのを確認して、荒木が腕時計を一瞥する。荒木の腕時計も、電車も、そろって正確だ。到着を告げるアナウンスとベルが流れ、人々はおもむろに列を整え始めた。電車は速度を緩めて規定の位置に停車する。京は親の仇でも見るようにして、そのひとつひとつの車両を確認した。
「……居た! 三両目後方、黒のニット帽!」
「良し! 行くぞ浦島!」
 魔界の扉、もとい電車のドアがのんびりと開く。対象のスプラウトは、それをこじ開けるようにして我先にとホームに降り立った。そしてすぐに、人込みをかき分けて突進してくる二人の男に気付く。片方の男の目は、血走っていた。
「マジかよっ」
ニット帽の男は列に並んでいた妊婦を突き飛ばして全速力で階段を下る。込み合っていたのが幸いして、妊婦はよろめいたが倒れるには至らなかった。小雪は脇目も振らずそちらに駆け寄り、すぐに妊婦を脇から支えた。
「でかした小雪、そっち頼む!」
「了解!」
 小雪の歯切れのいい返事を背に、京と荒木は一心不乱にターゲットを追う。なんだなんだと振り返りながらも、人々は座席を求めて電車に乗り込む。その流れを掻き分けるだけで重労働だ。京たちがようやく階段にたどり着いたころには、男は改札を通り抜けようとしていた。
「逃がすかぁぁぁ! 追えぇぇぇ!」
鬼気迫る形相で思い思いに叫ぶ京と荒木。ターゲットは時折振り返っては声なき悲鳴を上げていた。改札口を勢いよく飛び越える。数秒遅れて京と荒木も、改札を乗り越えた。荒木が駅員に手刀を切る。勢いそのままに中央口を飛び出して、左右を確認。ターゲットを捉えたもののその距離は50メートル、追いつける気がしなかった。それでも諦めずに全速力で追う。絶対に逃してはならない男だった。
 中央口を出てすぐの通りに張り込んでいたのは、シンと城戸。その二人の視界に、明らかに不審な男が三人、飛び込んでくる。一人は黒いニット帽で、後方をちらちら気にしながらも凄まじいスピードでこちらへ突っ込んでくる。もう二人は見覚えのあるくたびれたコートを翻しながら、鬼神のごとき座りきった目で何かを叫び、やはり猛スピードで突っ込んでくる。不審の程度で言えば、後者の方がひどいくらいだ。シンと城戸は示し合わせたわけでもないのに、揃って一歩後ずさった。
「シン! とっ捕まえろ!」
 名指しされて、シンが仕方なさそうに進み出た。ターゲットは挟み込まれたことを悟るも方向転換することも叶わず、シンと城戸から距離をとって走り抜けようとする。その腕を、掴まれた。勢いがついている分、派手に宙を舞う。シンはほとんど自らの力を入れることなく一本背負いを決めると、男を路面にたたきつけた。城戸はコートのポケットに手を入れたまま冷やかしに口笛を吹いただけだ。
「お見事」
「城戸さん……仕事しましょうよ」
 悪びれもせず謝ると、城戸はてきぱきと男の両手首を縛り上げる。そこへ、仕事をしたのかしていないのか微妙なラインの京と荒木が、だらだらと合流した。
「ごくろーさーん」
鬼神モードは解除されたらしい、いつものしまりのない笑みを携えた京。
「……ったく、手間かけやがって。とっとと連行して、とっとと処理するぞ」
日頃の運動不足がたたってか息も絶え絶えの荒木。とにもかくにも二人とも安堵の表情だ。それもそのはず今回のセイブは、スプラウトセイバーズ藤和支社の沽券がかかっていた。真冬の電車、決まった沿線決まった車両で犯行を繰り返していることが判明していたにも関わらず、今まで尻尾が掴めずセイブに至らなかったこのスプラウト。浦島班が交替で監視をし続け、ようやく証拠をそろえたのだ。万全を期すために荒木・城戸組にも協力を仰ぎ、藤和支社・保安課総動員という仰々しい状況を作ってでも、絶対にセイブすべき男だった。
「何にせよ痴漢の常習なんて、男としてもスプラウトとしても終わってるよねー」
のびたままのニット帽の男を、蛆虫でも見るかのように覗き込んでシンがこぼす。京も真剣に頷いて同意を示した。
「まったく。うらやまし……じゃない、とんでもない奴だっ」
口走りかけた本音を飲み込みながら、京はてきぱきと男を担いで社用車へ引きずった。
 この駅前の、公然の捕り物は、朝の出勤ラッシュを少し過ぎた午前9時前のことだった。興味深そうに、あるいは多少迷惑そうにその様子を見ていた駅の利用者たちに適当に説明と謝罪をするため、荒木が先刻からセイバーズバッジを見せ歩いている。頻繁にある光景ではないが、滅多にない光景でもない。バッジを見せても見せなくても、外野は自分自身に被害が及ばないことに特に感慨を示したりしないものだ。しかしそれに反して、この捕り物の一部始終を「信じられない光景」として瞼に焼き付けた者がいた。
竹中神楽。彼女は駅前に昔からあるレトロな喫茶店で、遅めのモーニングを摂っていた。驚愕と衝撃で、開いた口が塞がらない。口は開いているが、これ以上トーストもコーヒーも喉を通る気がしなかった。
 鞄からスマートフォンを取り出す。電話帳に一番最近登録した番号、その上に表示されている名前を見ながらなんとか気分を落ち着かせようと深呼吸する。朝食をほとんど残したままで、神楽は店を出た。


 カンパニーに戻るや否や、京、シン、小雪の三人は早速報告書の作成に取り掛かった。正確には荒木による強制で早速取り掛かる羽目になったのだが、セイブに協力してもらった手前逆らえない。いつになくデスクワークに励む京を目にして、課長の金熊はご満悦だ。
「ここのところ痴漢やらストーカーやらの類で通報されるブレイクスプラウトが多い。季節がら今後も増えてくるだろうからな、各自警戒するようにっ」
金熊の課長らしい注意に、各デスクから適当に返事があがる。適当に、だ。皆早朝出勤・早朝セイブで既に終業間際のような倦怠感をまとっていた。荒木なんかは久しぶりの全力疾走が相当堪えたのか、ほとんど項垂れるようにしてキーボードを叩いている。その前のデスクで同じように生気のない表情でエンターキーを弾いている京、こちらは通常仕様だ。
「露出狂とかも増えてるみたい。小雪ちゃんも、十分きをつけてね」
覇気のなさすぎる保安課一同を見かねてか、みちるが早々に濃いめのコーヒーを淹れてくれた。いつもならうららかな午後に配られる聖水なのだが、今日はすべてが前倒しだ。このまま前倒しで終業時間がくればいいのだが。
「もう春ってことですかね」
 小雪はコーヒーを受け取りながら、駅前の喫茶店に貼ってあった「桜のケーキ」のチラシを思い出していた。同時に、天気予報が雪だったことも思い出す。春も夏も、クリスマスもバレンタインも、昨今は何もかもが前倒しだ。
「よっしゃ! できた!」
 京はエンターキー軽快に弾くと、勢いよく立ち上がってプリンタの方へ歩み寄った。
「なんだ浦島、やればできるじゃないか」
金熊の驚嘆と共に各デスクからどよめきが上がる。京は残る力のすべてを投入して、この報告書を仕上げたらしい。その笑みにはもはや生気が感じられなかった。城戸のデスクの隣に設置してあるプリンタから、ぶりぶりと排出される出来立てほやほやの報告書。それを待っている京の鼓膜をモバイルのバイブ音が揺らした。
「シン、鳴ってるぞ」
他意は無く、京がディスプレイを覗き込んだ。
「……竹中神楽さんから」

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