SAVE: 05 春の芽吹きにご用


また新しい女の名前が出てきたなと思い、京はわざと冷めた口調で口にした。今度はしっかり悪意を持ってである。それに全く動じないところがシンの厭らしいところだ。ディスプレイを一瞥すると何事もなかったかのようにパソコンに視線を戻す。
「どうやったらそう次から次へと女の子のオトモダチが増殖するんだよ……」
「それ捉え方によってはかなり怖いよね」
はぐらかしついでに本気で想像したらしい、シンは一瞬手を止めて身震いしてみせた。 
 京の嫌味の効いた質問に答えてくれたのは、シン本人ではなく城戸だった。
「竹中……あ、この前の子か」
城戸としては、京の質問に答えたつもりは毛頭ない。しかしその何気ない独り言が、結果的に京の心中に揺さぶりをかけたことは確かだ。
「なんすか、この前って」
京の声がワントーン下がる。城戸がしまったという顔をしたが、時すでに遅しである。城戸を助けようとシンが淡々と説明した。
「合コン。僕と城戸さんが呼ばれた」
「……俺呼ばれてないけど」
「だから、僕と城戸さんが呼ばれたんだってば」
「なんでどうして! 顔のいいやつばっかり揃えてどうすんだよ! そんな合コン成立すんのか!? いいか!? 合コンってのはな、俺みたいな可もなく不可もなくみたいな奴にこそ必要な憩いの場なんだよ! お前と城戸さんにはまったくもって必要のない会合なんだよ!」 
京は既に使い果たしたはずの力を振り絞ってシンの肩を揺さぶった。シンはただただ面倒そうになすがまま揺れている。
「もうよせ浦島……見苦しいのを通り越して俺が泣きたくなってくる」
城戸は必死極まりない京から意図的に目をそらしている。 
「俺は哀しくて気分が悪くなってきました」
今度こそ全ての力を使い果たして、京はふらふらと自分の席についた。世の中は理不尽と不公平であふれかえっている。隙を見せれば出し抜かれ、信じれば裏切られる。救いの手など誰も差し伸べてくれないのだ。と、途方に暮れていた矢先。美しい、雪のように白い手が俯く京の眼前に差し出された。
「小雪ちゃ……」
「これ間違えてる。『置換』じゃなくて『痴漢』だから。ここと、こことここも」
今しがたプリントアウトした報告書に赤ペンでしるしをつけられる。小雪はそれだけ言うと、さっさと自分の席に戻ってみちるの淹れたコーヒーを堪能し始めた。どこかで、口の中で笑いを噴き出すけったいな音が聞こえる。立てたファイル類で隠れている向かいのデスクににらみを利かせたが、既に荒木は何事もなかったかのように気怠く入力作業を再開していた。


 ──至急会って確認したいことがあるから、今日のお昼休み、時間を合わせられない? ─
─というのが竹中神楽からのメール本文だ。絵文字はない。ないが、シンはそれで相手の機嫌を推し量る真似はしない。ひとつ確かなのは、愛の告白ではなさそうだなという点だけだ。正午ぴったりに、藤和南、駅前の古い喫茶店で待ち合わせた。この通りに来るのはたったの3時間ぶり。神楽もまさかそうであるとは、流石のシンも予想だにしていなかった。
 11時55分、二人は店の入り口で鉢合わせた。
「そっか、仕事中はアップスタイルなんだね」
 この前、つまり合コンで会ったときは、ロングウェーブの髪をハーフアップにしていた覚えがある。今日はそれをすっきり夜会巻にしていた。濃紺のカーディガンを上まで止めているが、下のスカートを見れば彼女が医療関係の人間であることは容易に想像がつく。合コン相手は皆看護師だった。
 神楽は通りに面した席を選び、シンもそれに続いて腰を下ろした。
「時間があまりないから単刀直入に言うけど」
 シンは出された水に口をつける。やはりあまり良い宣言ではなさそうだ。記憶の中の神楽は比較的よく笑う穏やかそうなタイプだったが、今は全く口角があがっていない。いろいろ思考を巡らせたが、こうして呼び出されるに至るような思い当たる節はない。
「私、今朝ここに居たの。あなたが、スプラウトを“セイブ”してる現場に」
 ぶっ! ──シンはべたに、含んでいた水を吹きこぼした。直球、それもかなりの速球がシンの心のミットにたたき込まれた。むせながらテーブルを拭く。この反応を見せれば、もはや肯定しているようなものだ。
「城戸さんも居た。あなたたち、みんなZELLの職員だって言ったよね?」
「あー……うん、半分はね。みんなとは、言ったかなー……?」
看護師との合コンを企画したのは、セイバーズとOA機器の販売・リース契約を結んでいるZELL社の人間だった。彼らから、にぎやかしで構わないからと誘われたのがシンと城戸だった。
「私が聴き間違えた? そんわけないよね。どうしてそういう……嘘、ついたりするの」
 今さら完璧な爽やかスマイルを装っても後の祭りである。神楽はシンに「本当は何の仕事なのか」ではなく、「なぜ嘘をついたのか」を問うている。最終段階まできておいて、今さらあがくのもバカバカしい。
 シンは視線で店員を呼びつけると、コーヒーだけを二つ注文した。おそらくこれから仲良く昼食をという雰囲気にもならないし、時間もないだろう。そして、わざわざ外してきたセイバーズバッジをスーツの襟に付け直す。神楽が身構えるのが分かった。
「スプラウトセイバーズは、暗黙の了解として日常生活で身分を明かさない。特に業務上不要、あるいは妨げとなると判断された場合はね。更に言えば、必要に応じて虚偽の身分を使用することが認められてる」
 セイバーズとして公的に行使できる権利はほぼ皆無だ。つまり馬鹿正直にセイバーズであることを明かしても、得られるメリットがほとんどないということである。
 シンの淡々とした言いぐさにか、その内容にか、神楽はより一層眉をひそめた。
「嘘が許されているってこと?」
「その方が円滑に進む世の中だってこと。セイバーズっていうか、スプラウトそのものを理解しない人も多いから」
「そんなこと……ないと思うけど」
神楽は語尾を弱めた。スプラウトを理解しているかそうでないかと言われると返答に困る。身近に感じたことがない、というのが本音だった。少なくとも、“ブレイク”と呼ばれるスプラウトが何かしらの事件を起こして目の前で取り押えられても、それは神楽にとって「窓の外」の出来事に過ぎなかった。そこにシンがいたから、それがいきなり現実味を帯びた。
 シンは出されたコーヒーをブラックのまま飲んだ。老舗にしてはたいしてうまくもないコーヒーだ。神楽の言葉にはとりわけ反応を示さない。
「……ごめん。よく知りもしないで勝手なこと言った気がする。でも──」
「嘘をついたのは僕らだし、神楽さんが謝ることじゃないよ。こっちこそごめん」
シンがにっこりと笑ったのを見て、神楽はまた不快を露わにした。微笑みかけて睨まれたのは初めてだ、シンの笑顔が固まる。
「それ」
神楽がため息交じりにぼやく。
「その笑い方が既に嘘っぽい。ごまかしてさっさと帰ろうって顔」
「……否定はしないけど」
「ほらっ。そっちが本当でしょう? 今朝ここから見てたときも『面倒だなぁ~』って顔してたっ」
「否定は、しないけど。見てたんだ? 僕がセイブしてるところ終始?」
シンはまた、例の嘘くさい笑みを思い切り浮かべた。神楽は動じない。半眼、無言でシンの笑顔をけなすだけだ。
「……理解されないって決めつけるのは良くないと思う」
「そうだね。少なくとも神楽さんが、理解のない人間じゃないことは分かった」
シンはコーヒーを半分以上残したまま先に席を立った。モバイルの時間表示に視線を落とす。
「シンくん」
「休憩時間、そんなにないでしょ? 嘘ついたお詫びに今度おごるよ。だから質問はそのときまでとっといて」

Page Top