SAVE: 07 社員旅行はの味


 適度に揺れるバスの座席に埋もれるように腰掛けて、京は深い眠りに落ちていた。
「めずらしいな、一番はしゃぎそうな奴が」
後ろの席から身を乗り出したのは荒木。手には半分空になった缶ビール。ちなみに2缶目だ。荒木が口に出したのをきっかけに、周囲の目が寝息を立てる京に集中した。
「例の“早朝出勤”じゃないですか」
荒木の隣(定位置)に座っている城戸が、スルメを差し出しながら意味深に単語を強調した。荒木はスルメを受け取ると、ああとつまらなそうに納得して大人しく座る。
 京の隣では、シンが別の事案に納得していた。バスの中、やけに饐えた臭いが充満しているのは、どうやら年長組がしゃぶりだしたスルメが原因らしい。城戸がまわしたそれを、荒木が通路を挟んだ隣の金熊に更に差し出す。かれこれ一時間、こうしてスルメリレーを繰り返していた。
「何ですか。その、早朝出勤って」
 小雪が思ったままの疑問を口にする。後部座席からまわってきたスルメはやんわり拒否しておいた。スルメの袋は再び城戸の手元へ舞い戻る。良い意味で、乾物が絵にならない男だ。
「あれ、白姫は知らない? 浦島の日課」
「・・・・・・ナンパと居眠り以外のですか」
スルメをくわえた後部座席の三人がそろって笑いを吹き出す。しまった、と思ったが後の祭りだ。城戸はわき腹を押さえて再起不能をアピールしている。説明は、荒木が代行することになった。
「こいつ、たまーに朝早く巡回ルートから外れた地域に足運んでることがあってな。何してんのかは俺たちも詳しく知らないが・・・・・・もう何年になる? 入社当初からか?」
 城戸が笑いを噛み殺しながら何度か頷く。
「突っ込んでもはぐらかすから、俺たちも聞かなくなったけどね。シンは? 何か知ってるか?」
「興味なーい」
 間髪入れず間延びした声が返ってくる。それもそうかと城戸は肩をすくめて苦笑した。
 とにもかくにも、通路を挟んだ隣でよだれを垂らして寝こけている男は、その早朝出勤とやらで寝不足のようだった。そういえば──小雪の頭の中で、入社初日の忘れがたい光景が蘇る。京とはあの日の早朝に、フライング気味に出会ってしまったわけだが。
(ルート外よね、そういえば)
更に言えば京の自宅からも近くない駅だった。京の自宅と小雪のそれは、乙木環状線の真逆の位置にある。つまり出社前に、何かしらの目的があってあの場に居合わせたことになるのだろうが、それが荒木たちの言う“早朝出勤”なのだろうか。
「浦島が静かなのはこっちとしてはありがたいと言いたいところだけどなぁ・・・・・・」
荒木が後部座席を恨めしそうに見やる。保安課の後ろの席では、I-システム課の面々が各々談笑している。その中で嫌でも目に入るのが豆塚登、システム課に所属する京の同期である。
「運転手さん、カラオケー! カラオケありますかカラオケ!」
最後部、その真ん中に陣取った豆塚が座席に片足を立てて高々と挙手をする。
「えー・・・・・・ございますけれども、もう到着しますので──」
「デュエット! 誰かデュエットする人ー! 保安課の青山さんとか白姫さんとか大歓迎だなー! 保安課の青山さんとか白姫さんとか~」
 荒木がバス全域に聞こえるくらい派手に、舌打ちをかました。
(いちいち二回繰り返すんじゃねえよ、オウムかあいつは!)
 勢いそのままに振り返ると、すぐ後ろの席で慣れた様子で座っているシステム課の主任・柳下奈々に怒りの矛先を向けた。
「柳下、放置してないでアレ黙らせろ」
「無駄なことはしない主義なので。それより荒木先輩、大変失礼ですがスルメをくわえたまま話しかけるのはナンセンスです。若い子たちに嫌われますよ」
 荒木は言葉を詰まらせると、すごすごとスルメを口から引き抜いた。
 システム課の主任である柳下は荒木の後輩に当たる。二人の微々たる上下関係のおかげで、保安課はこれまで何度もシステム課に無理を通してこれたのだ。そのツケがこういう場面で回ってきたりする。
 こういう場面というのをもう少し詳しく言うなら、スプラウトセイバーズカンパニー藤和支社保安課・I-システム課の合同慰安旅行の場で、である。藤和支社では毎年初春に、部署混合で1泊2日の小旅行に出る。組み合わせは、そのときどきで大きな山を抱えていない部署同士ということになるが、それがたまたま保安課とI-システム課だったというわけだ。1泊といっても、出発は通常業務を終えた夕方以降だから実質は半日旅行である。目的地は毎年同じ、カンパニーから貸切バスで小一時間の距離にある山中の温泉旅館だ。
「えー、まもなく到着いたしますのでー、お休みのお客様へのお声かけをー、お願いーいたします」
そうこうしている内に、運転手による独特な間延びのアナウンスが響く。何人かは助かったとばかりに胸を撫で下ろした。
「うわー! 趣ありますねー」
 バスを降りて小雪があげた第一声は、歓声だった。創業120年の歴史ある温泉旅館は、山林のしんと冷えた空気と静けさによく調和していた。素直に感嘆をもらす小雪に、金熊が得意げに頷く。
「そうだろう、そうだろう。さすが白姫くんは分かってるな。うちだけだぞー、こんな立派な
旅館で社員を労う支社は。それもこれもみな、日々の業務をきちんとこなしてだな──」
「風呂! 風呂入ろうぜ~っ! もうこの旅館、風呂しかねーんだもん。社員の平均年齢考えて旅先選んでほしいよな!」
 豆塚が一番のりとばかりに小走りで旅館の玄関をまたぐ。その後を柳下をはじめとするシステム課の連中が一礼しながら通り過ぎていった。更にその後、大きなあくびをかましながら京が続く。
「おい、浦島」
かゆくもない後頭部を掻きながら、京が立ちどまる。
「・・・・・・豆塚をなんとかしろ。同期だろ、体張ってでも黙らせろ」
「いや、課長・・・・・・慰安旅行でなんで俺だけ体張らなきゃならないんです。ああいうのはほっときゃその内疲れて寝ますよ」
起きていてもまともなことを言わない男が、寝起きの状態で正論を述べる。血圧急上昇の金熊をなだめながら、京はやはりだらだらと旅館の敷居を跨ぐのだった。


 豆塚が言うとおり、この旅館のうりといえば温泉だ。温泉に始まり温泉に終わる、やることといえばそれくらいしかない。春は満開の山桜を見ながら、冬は純白の雪に囲まれて浸かる露天風呂は地元の人間にも都会から羽をのばしにやってくる人間にも等しく人気である。
 そういう繁忙期をわざと外して、彼らはやってきた。露天風呂の周りの景色は、葉桜を通り越したつるっぱげの桜の木で埋め尽くされていて情緒も何もあったものではないが、もとより趣云々を解しない残念な連中ばかりだ。彼らは「温泉」という名の湯さえ湧き出ていればそれでいいのである。
「浦島は留守番ですか。相変わらずだなぁ」
まったりと湯に浸かっている金熊と荒木の間に、城戸が割って入った。視界の奥の方で豆塚がクロールしているのがちらちら見えたが、そちらは見てみぬふりをする。
「頑なに一緒に入りたがらないよな。発育不全の男子中学生か、あいつは」
「近からずも遠からずじゃないですか」
荒木の冗談に城戸がまた笑いを噛み殺す。そこへシンが新たに加わった。
「アイナンバーじゃないですかー? 京、あんまり見せたがらないし」
「見せたがられても困るけどな・・・・・・。なんだ、そういうもんか? だったらシンの方が変わってるくちか」

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