First Impression Chapter 1

 鳥がやかましいほどに鳴いている。まるで義務づけられているかのように絶え間なく、それでいて気楽そうに鳴いている。
 昨夜から降り続いた雨は嘘のようにあがっていた。空は快晴、祝い事にはもってこいの天気である。日頃の行いの良さだとか、神様からのご褒美だとか村の連中は揃って適当なことを口にしている。それが彼にとってはたまらなく不快だった。
「おい……、もうちょっと嬉しそうな顔しろよ。仮にも実の兄貴の結婚式なんだからさ。……フレッド、聞いてる?」
白い教会の最前列に、彼は露骨に眉をひそめて座っていた。隣で親友がおろおろしているのは百も承知だったが、まさかここで笑顔が作れるほど彼、フレッドは大人ではなかった。
 今、目の前で仲むつまじく式を挙げているのは他でもない、フレッド自身の兄である。それすらすでに何かの間違いなのかもしれない、近頃はそう割り切ろうとしていた。他人がすれ違いざまに振り返る容姿に恵まれ、国の諸機関からも一目置かれる才知と運動能力を持ち合わせた兄――自分と同じ血が分け与えられているとは、およそ考え難い。
「フレッドぉ、頼むから和やかに……。気持ちは分かるけど、な?」
「何でニースが狼狽えてんだよ。どうせ俺たちの顔なんか見えないんだし、好きな顔してりゃいい」
フレッドの隣で先刻から冷や汗を流しているのは、彼の無二の親友ニースだ。頬のそばかすがどうにも垢抜けないが、赤茶けた肩までの髪はどことなく彼の印象を明るく見せる。
「『ちょっと待ったコール』でもしてみるか?」
半分冗談、半分本気。気を遣うニースを挑発するように鼻で笑って見せる。ニースは反論してこなかった。それもそのはず、ふと視線を前方に向けると、映画のクライマックスばりのキスシーンが壮大に繰り広げられていた。さすがにこの時ばかりは皮肉のひとつも出てこなかった。まず考えたのは、この後何日間この光景を夢に見るのか――ーそんな情けない心配だった。
「フ、フレッド大丈夫か!?  泡とか吹いてないよな!?」
数秒後、思い出したようにニースが慌てふためく。この際泡でも何でも吹きたい気分だったが、そんな胸中とは裏腹にフレッドの目は新婦の横顔に釘付けだった。
「フレッド、しっかりしろよっ。この先パーティとかあるんだぞ」
親友の言葉が耳から耳へと素通りする。
 純白のウエディングドレスを纏い、たくさんの祝福を一身に浴びている新婦。この清廉潔白そうな女性が、ほんの半年前まで自分の隣で笑っていたことが随分昔に感じられた。自分の名を呼び、肩を寄せ合い、映画のクライマックスとまではいかなくとも唇を重ねたこともある彼女、それがたった半年で自分の兄のものになるなど予想もしていなかった。
「早く終わんねぇかな……」
 現実はときに残酷だ。例え今、この星が滅びても彼は何の悔いも残さないだろう。むしろ願ったりかもしれない。 フレッドは降るはずもない隕石を心底待ち望んだ。


 新婦、フィリアとは三年前運命的に知り合った。というわけでもやはりなく、単に彼女が近くに引越して来て、たまたまフレッドの店に顔を出して、たまたま他愛ない話をしている内に、どこまでもたまたま互いに興味をもったという、ごく普通の始まりだった。会う機会が増えた。話が弾んだ。どこに惹かれたとか、惚れたとかはあの時も今も明確には表現できない。ただ、互いに相手を必要とし側に居ることを欲していたことだけは確かだった。
「フレッドのお兄さんって素敵ね。頭は良いし、運動はできるし……モテるでしょう?」
確かこの言葉を聞くまでは。
「……会ったの? いつ」
「ちょっと話をした程度だけど……。感じの良い人ね」
彼女が何気なく持ち出した話題は、破壊の合図だった。その次に同じ部屋で聞かされた内容はフレッドにとっては思い出したくもないものだ。が、回想は止まらなかった。フィリアの声が次々に脳裏を過ぎる。
「もう……会うの最期にしようと思って」
白いシーツの上、フィリアが呟く。この頃には何となくいろんなものに気付いていたが、一応、冷めた声で聞いた。
「……何で?」
「他に気になる人……言った方がいいわよね。スイングなんだけど……」
『フレッドのお兄さん』から『スイング』へ、小さな変化が無性に腹立たしい。スイング――勿論、フレッドの兄の名である。
「だから今日でフレッドとは終わりにしようって……そう決めてきたの。ごめんね」
「まぁせいぜい……がんばって」
フレッドはつまらなそうにそれだけ言うと、寝返りをうった。つまらなすぎてあくびさえ漏れた。
 別れを告げに来たはずの女が、何の理由があって同じベットで寝ているのかさっぱり理解できない。ドアを開けた瞬間泣きながら謝罪のひとつでもされるならまだしも、いつも通りの他愛もない会話の後、いつも通りゴロゴロして、いつも通りキスをして、いつも通り一日が終わるかのような流れだった。
 フィリアが諦めたように嘆息して背を向けた。おそらく彼女も、フレッドが怒り狂う様か寂しがる様を期待していたのだろうが、彼には思い通りの反応をしてやる気力も無かった。フィリアがここでこうしている理由をよくよく考えてみれば同情、かあるいは償いしか思い浮かばない。どちらにしても、フレッドに対する愛情とやらは無いわけで、そういう結論に辿り着くと出てきた言葉は最強の皮肉だったというわけだ。
 正直なところ溜息をつきたいのはフレッドの方だった。眠気に身を委ね、気が付いたときには彼女の姿はどこにもなかった。


「この後主人の家でパーティを催しますので、お時間のある方は是非いらして下さい」
 現実のフィリアの声で我に返る。物思いに耽っている間に幸運にも式はフィナーレを迎えていた。誓いのキスとかいうふざけた項目から後はどうやら見ずに済んだらしい、フレッドの機嫌が少しだけ立て直る。そしてすぐに百五十度ほど傾いた。
「ニース……二、三時間お前んちで時間潰すぞ」
「へ?あ、ああそれがいいかもね。夜まではうちに居た方が」
主人の家でパーティ――要するにフレッドの家でもある。とても帰る気にはなれなかった。
 憂鬱な顔つきで教会を出る。親戚や村の連中によって作られた花道を、新郎新婦が幸せそうに歩いている。フレッドにしてみればとんだ茶番であり、滑稽だ。嘲笑を浮かべて、フレッドは空に舞うブーケを黴びたパンでも見るような目つきで見送った。
「いやあ、やっとスイングも身を固めたかぁ。こんな美人だ、言うことねえな」
「親父さんも鼻が高いだろうな、出来の良い息子にかわいい嫁。これでフレッドの就職先さえ決まりゃあな!」
(聞こえてるっつーの)
手元に壺か石があれば迷わず振りかざしているところだが、都合の良い手頃なものも無いし、彼らの言うこともあながち間違いでもない。納得してしまえば怒りも湧かなかった。どちらかと言えばへそで茶が沸きそうだ。自分で作った洒落に自分でウケて、そして嘆息。あからさまに沈むフレッドにニースもいい加減手を焼いていた。
「まぁ世の中そんなもんだって。今に凄い美人が現れて惚れられたりするかもしんないじゃん! 優しい親友、仲むつまじい兄貴夫妻、それに可愛い妹もいる。あれまぁ幸せそのものじゃないの」
ニースの適当な慰めを肯定するわけではないが、確かにこの先どんな女性に巡り会うかも分からないし、仲むつまじさはたった今嫌と言うほど見せられたし、妹はとてつもなく可愛い。世の中なるようにしかならないことも知っている。それでもこの十九年間積み上げてきた兄への劣等感は、そう易々とは消えてくれない。



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