First Impression Chapter 1

 午後の太陽は容赦なく降り注ぎ、フレッドの眉間の皺を克明にした。狭まった視界に群衆に埋もれた妹の姿が映る。群れをかき分けている間に彼女もこちらに気づいた。
「親父は? 式のときはいたよな」
「あ、うん。家でお酒飲んでると思う、さっき見たけど……」
フレッド自慢の妹は栗色のボブカットを揺らして苦笑いをつくった。髪の色は勿論、顔立ちや仕草はフレッドとよく似ていて、二人が血縁者だということは他者から見ても一目瞭然だ。
「俺これからニースんとこ寄ってくるから、マリィは家帰ってだらーとしてろよ。すぐ帰るけど……なんかあったらすぐ呼びに来いよ?」
妹、マリィは快く頷いて踵を返した。その背中を心配そうに見送るフレッド。一見、過保護過ぎる印象を受ける。マリィも今年で十五歳だ、一人で何もできない歳でもない。が、フレッドのこういった言動を、村の者は誰一人として不審がりはしない。マリィが両腕に持つ頑丈な杖が全てを物語っていた。
「相変わらずいい娘だよなあ、マリィちゃん。お前の妹ってのが信じらんないくらいっ」
「……だよな」
フレッドの気のない相槌にニースはばつが悪そうに頭を掻いた。
 マリィの不自由な足は決して生まれつきなどではない。それなのに愚痴ひとつこぼさず我が儘も言わないマリィにフレッドは多少のもどかしさを覚えていた。できれば妹に対して哀れみに似た感情は持ちたくはない、がその考えがすでに傲慢のような気がした。
 足下の石を蹴って、フレッドは逃げるように華やかな教会を後にした。


 父、兄、そして妹、これがフレッドの家族構成である。これについ先刻兄嫁という新たなポジションも加わった。母親は、フレッドが子どもの頃家を出た。酒ばかり飲んでろくに仕事もしない父親を見限ったのか、優秀すぎる長男が恐ろしかったのか、今となっては不明だがどうでも良いことでもある。フレッド自身、深く考えたこともなかった。
「あ、おい。ベオグラードさん来てるぜ? 気付かなかったな、いつ来たんだろ」
ニースのあっけらかんとした声に思考を遮断される。視線の先で体格のがっちりした男が小さく手を振っていた。呑気に手を振り返すニースを横目に、フレッドは早足で男の側に駆け寄った。
「ベオグラードさん、来てたんですか!? 早く声かけてくれれば良かったのに」
ニースが先刻口にした言葉を我がもののように意気揚々と放つ。後方から半眼で歩いてくるニースに、ベオグラードと呼ばれた男は苦笑を漏らした。
「悪い、式の間はそうもいかなかったからな。元気にしてたか、二人とも」
二人が各々に頷くのを見て、ベオグラードは満足そうに笑う。笑うと口元の皺がくっきり表れて無骨さが軽減された。
「ニース、お前就職決まったんだってな。おめでとう」
「あー、しがない警吏ですけど。ベオグラードさんにしてみれば部下の部下の部下くらいですよ」
「まあそう卑屈になるなよ。実力次第で上にはいくらでもいけるんだ、頑張れよ」
実に簡単なことのように言ってのけるベオグラードに、ニースは脱力すると共にわざとらしく肩を落とした。
 ベオグラードは、王都ファーレンの護衛隊長として、今やエリートの道をまっしぐらという人物だ。無論そこに至るまでには並以上の努力や試練があったわけだが、二人のような若い世代がそれを知るはずも無かった。ベオグラードは二人にとって絶大な信頼を置ける尊敬対象、お手本的存在なのである。
「で、フレッド。お前はどうなんだ? 宛てはあるのか?」
「……宛てもコネもないから店手伝ってんじゃないすか。分かってていびってんすか?」
フレッドの切実な悩みを目の当たりにして、ベオグラードは同情するどころか軽快に笑い飛ばす。こういうところは結構失礼というか無神経な人間だ。フレッドはそれを恨めしげに睨み付けていた。
「いや、悪い悪い。それもそうだな、聞いた俺が悪かった! 一応確かめておこうと思ってな。どうだフレッド、俺の仕事を手伝う気はないか?」
突然の、全く予期せぬ誘いに目を丸くするフレッド、に代わってニースが話に飛びついた。
「王都の護衛業を!? はい! はい、俺やりますっ」
「おいおい……職がある奴が贅沢なこと言うなよ。第一、護衛だなんて一言も言ってないぞっ」
慌てて訂正するベオグラードに、あっさり関心を無くすニース。その邪魔なニースを押しのけて、今度はフレッドが身を乗り出した。
「護衛業じゃないとするとアシスタントかなんかですか? 言っときますけど俺秘書の経験なんてないですよ」
別に得意気に言うことでもないのだが、話をもったいぶられると苛々してくる。フレッドの心情に勘づいたのか、当のベオグラードも若干申し訳なさそうだ。ようやく一枚の紙を差し出した。
「内容の詳しいことはまだ言えない。一回限りのアルバイトみたいなもんだ、ちょっと普通と違うけどな」
「普通と違う? 何が……」
紙を受け取りながら訝しげに聞き返す。
 そこに書かれた報酬、その金額がフレッドの顔を青く染めた。ニースが金魚みたいに口をぱくぱくさせている。二度三度、無意味だとは思いつつ0の数を数え直す。
「まあ……見て分かると思うが、それなりの仕事だと思ってくれりゃいい。言っておくが半端な気持ちで引き受けてくれるなよ、俺としても迷惑だ。『命がけのアルバイト』ってことを肝に銘じてといてくれ」
うんともすんとも言えないフレッドに代わって、再びニースが頭を下げてその場を取り繕った。フレッドの頭の中は渡された紙面(とりわけ数字の箇所)でいっぱいで、辞去も満足にできなかった。
「ゆっくり考えてもらいたいが、あまり時間もなくてな。……やる気になったら教えてくれ」
 ベオグラードがその場を後にして、数分。フレッドが思い立ったように歩き始めた。まだ視線は一枚の紙切れに送られている。
「どうすんだよ、それ。引き受けんのか? ……こう言っちゃなんだけど怪しくないか、それ。変だよ、はっきり言って」
ニースはあまり賛成ではないようだ、しかめ面で釘を挿す。聞いているのかいないのか、フレッドはただ生返事をしただけだ。
「……今日はやっぱり帰る。一日じっくり考えてみるわ」
ニースが不満げに頷くのも半ば流して、フレッドは元来た道を戻り、自宅へと足を進めた。
 ゆっくりではあるが前に踏み出していた足が急に止まるのは、いつも決まって自宅の扉の五メートル前だ。ここまで来ると家の中の声が強制的に耳に入る。村の連中の笑い声や、それに対するスイングの応答、フィリアのかん高い、よく通る声もうるさいほどに漏れていた。足が勝手に家に入るのを躊躇う。煩わしさを何とか振り切って扉を開けた瞬間に、小さく溜息をついてしまった。中の連中はそんなフレッドに気づきもしないでどんちゃん騒ぎを継続している。フレッドは冷めた視線を送って、入口側の階段を駆け上った。
「スイングとフィリアのめでたい結婚を祝して、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
グラスとグラスがかち合う音に耳を塞いで、フレッドは自室のドアを激しく閉めた。そのまま勢い良くベッドに倒れ込む。先刻、穴が開く程見つめていた紙が、ポケットの中でくしゃりと折れ曲がった。
「命懸け……か。これだけあれば当分生活費には困らないよな」
頭の中で札束の数を想像してみるが、いまいちピンと来ない。今まで何でも周りの流れに合わせてきたせいか、こういった二者択一の類には慣れていなかった。枕に顔を埋めて呻ってみるものの、あまり効果はない。自分の唸り声とは別に、下の階から雑音が聞こえる。
「考えてみれば遅いくらいだよな~。大学まで主席続きの男がようやく結婚だもんな」
どうやら話の内容はスイングのおだて話になったらしい。フレッドの口から舌打ちが漏れた。
「王立研究員にまで指名されたんだろ? すげぇよなぁ、なんで断ったんだよ。もったいねー」
フレッドは顔色ひとつ変えず、気付けば耳をそばだてて聞いていた。次にスイングがどう返答するか、あらかた予想がつく。
「別に、興味が無かったからな」
笑い声が響いた。
 フレッドは丸まった紙を取りだしてゆっくり広げた。
「立派だよ……! あんたは」
何度も見たはずの日時と集合場所に再び目を向けている自分に、奇妙な高揚感を覚え始めていた。



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