A Mirage On Land Chapter 11

「冗談じゃねえぞ! こんなところに何日も居られるか!」
船を降りてすぐ、文句しか吐かないルレオがいつも通り生唾を撒き散らしながら工夫のない感想を口にした。その手の苦言は聞きあきた、とでもいうように深々とただ嘆息を返すクレス、フレッドは無反応で景色を眺めている。
 港という港はなかったので船は開けた砂浜近くの沖合に停泊した。そのまま一行は上陸、第一声が今のルレオの台詞となる。クレスに向かって必死に不平不満をぶちまけるルレオを横目にフレッドは興味深そうに辺りを見渡した。鬱蒼とした森の中から甲高い鳥の声がけたたましく響いては同時に羽音が飛び交う。そのたびに木々がざわめいていた。人が通ることで癖づいたような小道が目の前に走っている。その先に高床の民家が点在しているのが見えた。
「ルレオの言うことも分からなくもないけど……」
ルレオの一人喧騒に紛れてフレッドも思わずこぼす。大陸と呼ぶにはあまりに小さすぎる孤島ヴィラ、兎にも角にも蒸し暑い。
「さっさと用事済ませて帰ろうぜ、暑いし……」
「そうね、ここまで気候が異なると体がもたないわ」
珍しく早々に意見が一致したところで三人は進行方向を眼前の細道に定めた。と、先刻には無かったものが道の中央に三人の行く手を阻むように置かれている。髪は真っ白、肌は土色で溝とも思える深い皺に覆われている。風景に溶け込んで、小さな老婆が立っていた。おそらくは、老婆だ──鶏がらのような足で頼りなくこちらに近寄ってくるとその身長がフレッドの半分にも満たないことが分かる。
 浜も森も家屋も、全てファーレンとは異なる風景だったが人までこうだと文化の違いを超えて世界の違いを感じざるを得ない。ルレオが視線を奪われて生唾を呑んだ。
「何をじろじろ見ておる! さっさと村に入りなされ、待ちくたびれたわ!」
ルレオが更に眉間の皺を深めた。言葉が通じる、これだけで随分警戒心は解かれた。この容貌に付け加えて理解不能ななんとか語を話されでもしたら帰り支度を始めるところだった。三人は思い思いに安堵を巡らせるだけで「あ」とも「うん」とも言えずにいたが、老婆は踵を返して細道を進んでいく。
「何をしておる! ベルトニア王の使者じゃろう? 夜になればここらは獣もうろつくぞ。まったく……年寄りに迎えに来させよって」
 三人は顔を見合せた。とりあえず状況を見守りながら後を追う。招かれた一軒の高床式民家にクレスだけが入った。そして割とすぐに首をかしげながら出てくる。
「入国審査だって。三人揃って中に入って来いって言ってる」
「審査? なんだってあのばーさんが……」
つい思ったことをそのまま口走りながらフレッドは民家の木扉を開けた。
(うわー……怪しい……)
今度は思ったことを胸中にとどめておいた。異様な香りが漆器のランプから煙と一緒に漂ってくる。お構いなく思い切り鼻をつまむルレオ、老婆が顔をしかめた。見たことのない異常な形の草や、真っ黒な木の実の首飾り、鮮やかというよりは派手すぎるピーナッツのようなお面、この家を取り巻く全てに妙な威圧感があった。
 フレッドは改めてこの国が、とりわけこの老婆の家が異次元空間だということを思い知る。後はただ、部屋の隅にある大鍋で煮込まれないことを祈るだけだ。
「言っておくがここは生活雑貨店じゃぞ。むやみやたらに商品に触らんようにな」
フレッドは若干間をおいてから無理やりに頷いたが視線は老婆の後ろの棚にあるハ虫類の置物に釘付けだった。彼の予想ではあのハ虫類も突拍子もなく舌を出したりするはずだ。
クレスと老婆が二三会話を交わしている間もフレッドはただハ虫類が動き出すのを今か今かと待っていた。
「フレッド、物色も結構だけど早く終わらせましょう」
「あ? ああ……」
残念ながら舌は出さないらしい、後ろ髪ひかれながらもフレッドはカウンター向こうの老婆に視線を移した。
「で、何やればいい? ベルトニア王の使者って分かってるのにこれ以上の身分証明なんて俺たちにはないし」
「手間はとらん。簡単な占いをな」
老婆の骨と皮だけの手からカードの束が現れる。ここまで来ると好きにやらせた方が良さそうだ、無言でフレッドは椅子に腰かけた。並べられた古びたカードをつまらなそうに見やる。店の中には確かに年代ものもあったが、これは一際時代を感じる。紙のカードはところどころ色あせていた。老婆がカードを混ぜていた手を止める。
「……選べばいいんだな?」
「但し三枚じゃ。ぴんときたもんをさっさと選べ」
生返事をしてフレッドは自分から一番遠いカードを三枚、選んで老婆に渡した。真ん中にしみがあるもの、端が欠けたもの、どれを選んでもまともな状態のものはないようだ。
「で……、どうなわけ、その入国審査は」
老婆はやけに真面目な顔つきで三枚のカードを机の上に広げて見せた。無論表にされてもフレッドたちにはその意味するところは理解できない。
「おぬしの中には混沌が広がっておる。だだーっぴろく、深く、無限じゃ。中央で渦巻いているのは葛藤を示す。しかしこの渦が今のおぬしの原動力ともなっておる」
「……こんとん?」
「そうじゃな、己の中の宇宙のようなものじゃ。おぬしの想いやら感情やら……いろんなものがぶつかったり消滅したり、そして生まれたりする心の深い部分……」
いまいち理解できない様子のフレッドに再びカードを混ぜながら、老婆は伏し目がちに補足する。フレッドはやはりまた生返事をしただけで感想を口にすることはなかった。クレスが早くも三枚を無造作に選んでいる。
「ファーレン護衛隊長じゃったな。品行方正、国家に対する忠義も厚い、正義感も人一倍じゃが……肩に力を入れ過ぎじゃ。気を張りすぎてもろくなことには繋がらんぞ、同僚をちと見習うが良い」
「同僚?」
クレスは口走って暫く、言葉の意味を察したようで不機嫌そうに背中を向けた。
(ああ……ベオグラードさんか)
数秒遅れでフレッドも理解する。まるで今までのベオグラードとのやりとりを見てきたような老婆の口ぶりに少しだけこの“入国審査”に興味がわいた。
(まあ言ってることは間違ってないけどな)
自分の番が終わってしまえば後は好き勝手に観察していればいいから気が楽だ。椅子に我が物顔で腰かけるルレオを見やって、フレッドは密かにほくそ笑んでいた。
「ったく、さっきから聞いてりゃろくなこと言わねぇばーさんだなっ。で? 俺はどうなんだ、金の亡者とかくそおもしろくねぇこと言うんじゃねえぞ」
「全くその通りだと思うけど一応抵抗あるわけね」
ルレオが並べられたカードを自ら手早く裏返していく。老婆が嘆息、かと思いきやそれを呑みこんで目を白黒させた。
「お、おぬし……これは……!」
動揺と緊張が走りぬけて三人の視線は老婆の口元に集中した。ルレオが焦りの色を隠せず生唾を呑む。
「な、なんだよ。今度は」
「言いにくいんじゃが──」
「だから何だつってんだろ! もったいぶるな、さっさと言え!」
フレッドも半ば雰囲気に流されて固唾を呑む。何にせよフレッドが喜ぶ内容になりそうだ。老婆は皺だらけの唇をおもむろに開いた。
「おぬし、凄まじく色濃い水難の暗示が出ておる。こんなカードは稀じゃぞ。何かしら水の神の怒りを買うじゃろう」
 ルレオの三白眼の中の眼球は約三秒、かわいらしく点と化した。世にも珍しいルレオの放心状態に終止符を打ったのはクレスのこぼした含み笑いだった。
「自業自得ってやつね」
「まあ日ごろの行いがあれじゃな」
妙に納得するフレッドとクレスにルレオの鋭い視線が刺さる。
「はっ、バカバカしい。こんな紙切れ三枚に何が分かるってんだ、くだらねぇ」
「確かに気休めじゃがな。信じる信じないはおぬしの自由じゃ」
ルレオがつまらなそうに席を立つ。背中を向けて店内の商品を物色し始めた。



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