A Mirage On Land Chapter 11

「こいつ、知ってる」
特に感動もなくフレッドは特定の人物の前でしゃがみこんだ。知り合いではない。しかし確かな見覚えがあった。
「物産館で妙な果物の試食販売やってた奴だ。隣も、木彫りの仮面売ってた」
トランプの神経衰弱でもやるように次々とのびた男たちを裏返していく。その度に昼間見かけた顔が表になる。一通り仰向け状態にすると、フレッドは満足したのか凝ってもいない肩をほぐした。
「動きが鈍いわけだよな、こいつらみんな村の住人だ。ってことは仕掛け人の見当はおおよそつくな」
「まんまとしてやられたわね。私たちを嵌めるつもりだったのかしら」
「だったらもっと腕の立つ奴を連れてきたさ。どっちかっていうと──」
 ガッシャーン! ──フレッドの憶測を遮って、派手な合図が轟いた。ロビーから悪魔の断末魔のような苦々しい悲鳴が響く。
「やべっ、そうだルレオ!」
二人は妙な胸騒ぎを覚えて廊下を全力疾走した。その判断は通常であれば妥当なはずだが、今回に限っては早合点だと言うしかない。響いたガラスの粉砕音は戦闘終了の合図だった。そうとも知らず二人はこの魔の領域に足を踏み込んだ。
「おい、ルレオ! 生きてるか!」
そうでなくても一向に構わない、などと頭の片隅で思いながらロビーに踏み込む。踏み込んだ瞬間、違和感が全身を包んだ。頭からつま先まで冷たい電流のようなものが走る。フレッドとクレスは仲良く同じ対抗策をとった。鼻を摘まむ、という一番原始的で一番効果が期待できる仕草だ。
「何! この猛毒スカンクを潰してスープにしたような悪臭は……!」
(うげろ。気持ち悪い例え方するなよ……)
ロビーに入るや否や強烈な悪臭が鼻をつく。クレスの無駄に具体的な感想に吐き気を覚えながらフレッドが目にしたのは、臭いの中心で全身ズブ濡れ状態のルレオだった。
「よう……。おせーじゃねえかよ。ちんたら合流しやがって……」
背筋が凍るような低い声を絞り出して、ルレオが一歩、また一歩と二人に歩み寄る。そのリズムに合わせてクレスが呻きつつ後ずさった。そして反射的に、いや本能的に剣を構えた。
「それ以上近づいたら刺すわよ……! そのまま両手を挙げて外に出なさいっ」
「おいおい仮にも仲間だろ……。しかし一体何をかぶったんだよ。ここまで臭いと近所迷惑通り越して人間凶器だな」
鼻声で血も涙もないこと言い放ってフレッドはクレスの腰にぶらさがっている予備の白金剣を片手で素早く抜いた。無論、もう片方の手は未だ鼻をつまんだままである。二人はルレオを退治すべき魔物か何かと判断したようだ。
「てめえら……! 俺を何だと思ってやがる!」
「何だって言われてもな、臭いし」
「そうね、とにかく近寄ってこないで。説明はそのあたりから大声でしてくれればいいわ」
クレスがしかめ面を隠そうともせず、剣先で〝そのあたり"を示す。それが癪にさわったのかルレオは大きく鼻で笑うと前傾姿勢で突進してきた。退治屋二人が成すすべもなく声なき声をあげているところに、一人の男が立ちはだかった。その手には大きな木製の樽を抱えている。
「お客様。当店自慢の薬酒でございます。在庫は十分にございますのでご希望の際はご着席になられてからお申し付けください」
店主が昼間と変わらない平坦な口調でどこからともなく登場した。おそらく中身が入っているだろうその樽を軽々と片手で持ち上げている。
「いえ……結構、です……」
ルレオが何とか返答すると、店主はそのまま180度ターンを決めた。フレッドとクレスは何も言われずとも全力でかぶりを振っていた。
(あのルレオが……!)
(店主に敬語!)
そして胸中は共通の事項で大混乱だ。騒動の仕掛け人と仕掛けられた側の双方がようやく大人しくなると(強制的ではあるが)店主は安心したように顔をほころばせた。


「オフェリア老師に頼まれたんですよ、そこでのびているのも含め全員。雇われた、と言った方がいいのかもしれませんが」
 店主が無表情で吐露したのが今からだいたい二時間前。明け方近いオフェリアの雑貨店でふてくされたまま三人は沈黙を守っていた。もはや喚き散らす元気もないのかルレオは焦点の合わない瞳で遠くを見つめている。大人しいなら大人しいで不気味だ。
「ふん、まずまず及第点といったところかの。どこで気づいたんじゃ、わしが仕掛人だと」
オフェリアはあくまでぶっきらぼうに鼻を鳴らす。フレッドが呆れたように肩をすくめた。
「全体的にお粗末すぎたってとこかな。本物の刺客は凶器もたせたら一気に殺気づく。……あんなに頭数もそろえない」
スキンヘッド頭が脳裏をさっと横切る。刺客に命を狙われた経験を思い出しているはずなのにいまいち緊迫感がないのは問題だ。今回の件にしたって後々思い出すのはこの──
「ねえ……臭いんだけど」
今もまとわりついて離れない世にも恐ろしい悪臭だけだ。クレスがこらえきれずぼそりとつぶやく。
「言ったってしょうがないだろ。一応シャワーも浴びたわけだし」
「だったらフレッド席替わってよっ。本当に神経毒くらってるみたいなんだけど」
オフェリアに対して三つの椅子、クレスを挟む形で男二人が座っている。クレスには気の毒だがすんなりイエスと席替えしてやるほどフレッドは紳士ではない。むしろプライドをかなぐり捨ててでもこの僅かな距離を手放さないタイプだ。
「で、目的はなんだったんだよ。俺たちを試すような真似をしたってことはそれなりの理由があるんだろ」
(信じらんない……。スルーした)
「ねえとは言わさねえぞ! 人をコケにしやがって!」
逃げるために持ち出した本題でルレオが息を吹き返す。ほのかに薬味臭を撒き散らしながら三白眼をこれ以上ないほどに釣りあげて老婆を威嚇した。
「それじゃよ、原因は」
「はあ? 俺か?!」
「そうとも言えるし、違うともいえる。お主らはもともと寄せ集めのチームじゃろう、元をたどれば敵同士じゃ。さらに個々人は自己中心主義の極みとくれば予言が正しくつかわれるか怪しいもんじゃ」
 ここは、我慢だ──クレスが固く眼をつむったまま天を仰いだ。オフェリアの分析だか占いだかは決して間違っていない。もともとこの三人は成り行きとはいえそれぞれに命を狙っていたし、最終目的は今だって違う。共有しているのは目的のための通過点だけだ、それはいつだって承知しているつもりだった。
「そうやってお主は計算しようとする。ここはどうすべきか、どうあるのが正しいか──無意識の判断を信用していない証拠じゃ。余裕がないときの判断こそわしはその人間のありのままが出ると思っている」
「……今回のはそれを見たと」
「そういうことじゃ。非道な連中にうちのかわいい孫は預けられんからのお」
フレッドが無意識にオウム返しした。オフェリアが店の奥へ手招きすると、栗色の髪の小柄な少女がひょこりと顔を出した。昼間見た、オフェリアの孫・ミレイだ。
「孫……ってことはつまり、予言者の、家系」
クレスがたどたどしく事実を口にした。ミレイが答える代わりに深く深くお辞儀をした。彼女のつむじを見つめながら頭の中を整理するフレッド、ミレイが頭を挙げると同時にトライアングルを軽快に叩きならしたようなお粗末な音が頭の中で響いた。
「孫!」
とにかく思いついた一番最初の単語を叫ぶ。クレスが額を押さえながら深く嘆息した。
「だからさっきからそう言って……」
「まだまだ未熟者じゃが潜在能力はピカイチじゃ。ベルトニアのへたれ王にはそう伝えとくれ」
「ミレイです。予言者としてはまだまだ見習いレベルですけど、宜しくお願いします」
ミレイはこの場でただ一人柔らかく頬笑みながら再び深くこうべを垂れた。


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