Make A Surprise Attack Chapter 12

 船は相も変わらず激しく波を切って、だだっ広い海原を進んでいた。相も変わらず騒々しい船内や、相も変わらず寝こけているルレオを頭の隅に追いやって、いや消し去ろうとして、フレッドは船の甲板でひとり黄昏ていた。そうすることで、見慣れた光景を遮断することには成功したが、静けさを手に入れた代償に自らの内面と向き合う羽目になる。
 脳裏に、ヴィラ出航直前に見せた老婆の険しい顔つきが蘇る。
「さっきも言ったが……あの子はああ見えて優秀じゃ。村の誰より力を持っておる。しかしまだ子ども、あの子の力をどう使うかはお主ら……いや、国王であるお主にかかっておる」
「それは……何かの警告?」
「単なる忠告じゃ。迷いを捨てよ。……道は自ずと開けるじゃろう。フレッドよ、お主はわしにも分からん何かを秘めておるようじゃ。それが何か分かるまでは……迷わぬことじゃ。ただ進めばいい──」
 ただ進め──オフェリアは随分簡単なことのように言ってくれた。船は確かに進んでいるし、自分も周りもそれなりに目的に向かって行動を起こしている。ただそれが、流されていない証明にはなり得ない気がした。進み続けてもいつかは必ず、また同じ壁にぶち当たる。
「駄目だ。寝よう」
 迷わず悩まず立ち止まらないための最良の策が睡眠だ。やかましい船室を見ないように横切って、できるだけ早く、そして深く眠りに落ちるように固く瞼を閉じた。


「フレッド、聞こえてる? さっきからずっと呼んでるのに」
耳元で女の声がした。一瞬間考えて、それがやけに心地よい響きであることに気づいた。彼女の声は鈴のようにリンと鳴る。話しているだけで美しい音楽を聴いているような、落ち着いた気持ちになれた。
「またぼんやりしてる。今度は何を考えてたの?」
(これ……なんか聞いたことある)
この後女が、フィリアが振り向いていつものように甘く笑う。軽く揺れるそのしなやかな髪に手を伸ばして、触れる。慣れた香りが鼻腔をくすぐった。彼女がいつも好んでつけていたライラックの花の香水、フレッドはまだ鮮明に記憶していた。
「誰かに呼ばれた気がしたけど、よくわからなかった」
「だから私よ。大丈夫? 寝ぼけてるの?」
甘い花の香りに目を閉じる。遮断した視界の中でフィリアが笑顔でいることが手に取るように分かった。感覚の全てを彼女が支配していく。目も耳も、指先の感覚さえもフィリアの笑みに奪われていく。
「どうしたの? 何か嫌なことが、あった? ……すぐそうやって甘えるんだから。でも、フレッドのそういうところ、私好きよ」
 ライラックの香り、いつも変わらないフィリアの香り、確かめてフレッドはそっと手を離した。何も変わらないはずの光景が、ひどくフレッドを不快にさせた。
「フレッド……?」
「もう勘弁してくれよ……」
フィリアはもうそんな風に甘い音色で自分の名を呼びはしない。別れたあの日から、名前はまるでただの記号になり果てて、フレッドという存在を示すだけの役割になった。それ以上でもそれ以下でもない。
「ねえ、フレッド」
フレッドは彼女の名を呼ばない。彼にとってそれは、記号以上の意味があった。口に出したその瞬間に想いが溢れる、言葉にしてはならない多くの言葉の中のひとつだった。
「どうかしてる。消えてくれよ、俺の前から。早く!」
 フィリアが哀しそうに笑った。それも今や見慣れた表情のひとつである気がした。それに安堵する自分が居た。結局不快をぬぐえぬまま視界の中からフィリアだけが消えた。ライラックの香りだけが、その手に、空気に溶けたまま──。


 鼻腔をくすぐる、いやとてつもなく悪意に満ちて刺激してくる何かの匂いにフレッドは寝返りをうった。
「臭い……」
「おい! いい根性だな! 消えろだの臭いだの何様のつもりだ、てめえ!」
 誰かが、などとぼかす必要もなくルレオが馬乗りになってフレッドの襟首を締め上げていた。何だ夢かだとか、このままだと殺されるだとか、こいつ一日たっても臭いままだとか、本来情感たっぷりに思い起こすはずのいろいろなことを随分適当に考えながら、降参の意を示すため床を三度たたいた。ルレオが得意げに立ち上がる。
「今さら寝込みを襲うとか卑怯すぎないか……」
「はあん? 寝言は寝てから言えよ。てめえが蹴っても起きねぇからだろ」
 寝ている人、あるいは意識を失っている人を覚醒させるための手順一番目がルレオの場合『蹴りをいれる』ところから始まるらしい。それに目をつむったとしても、その次が馬乗りで首絞め、であることに意義を唱えるべきかどうかフレッドは迷っていた。
「フレッドさーん。ルレオさーん。紅茶入りましたよー」
 船室からミレイの元気な声が響いた。混乱した頭をリセットするには丁度いいお誘いだ。
「ほら、新しい召使いが呼んでるぞ」
「お前本当にどこまでも外道だな……」
 ルレオに召使い呼ばわりされていることも知らず、ミレイは鼻歌交じりに人数分のティーカップに紅茶を淹れていた。クレスは、既に正しい姿勢で椅子について静かにカップに口をつけていた。それを横目にフレッドも椅子を引いた。
「これからベルトニアに向かうんですよね?」
ミレイはカップを両手で包み込んだまま口をつけない。猫舌か、などとぼんやり思いながらフレッドは気にせず黙っていた。説明係は他にいる。
「そういうことになるかな。ミレイちゃんのことを報告して、それからじっくりファーレン奪還について作戦を練らなくちゃね」
「は~あ! やっと帰れんのかよ。散々な船旅だったな、ババアで夜寝れなくて臭ぇ酒!」
まとめると今回の旅はルレオにとってその三つが要点らしい。斬新なまとめに面食らうミレイと慣れすぎてただただ呆れるしかないクレス。フレッドはやはりぼんやり紅茶をすするだけだった。クレスが何の気なしにフレッドの顔をのぞきこむ。
「大丈夫? 寝ぼけてるの?」
 フレッドは口をつけていただけのティーカップから一瞬身を退けた。
「いや……。ぼうっと、してただけ」
「そうみたいね。そろそろしっかり起きてくれなきゃ困るんだけど」
呆けている割には咄嗟に反応を返したフレッドに、訝しげに肩眉をあげたクレスだったがフレッドはそれ以上とっくに訂正も弁解もしなかった。
 夢の中で同じ台詞を、別の女が言った気がした。などと説明するわけにもいかない。猫舌のミレイが紅茶を飲み干してもフレッドのカップは空にならないままだった。
「あ」
ミレイが短くそれだけを発する。その短すぎる合図を皮きりに、一気に脳をフル回転させなけれなならなくなるなど、誰も予想だにしていなかった。ミレイの目がうつろになる。どこか遠くを見ているようだった。
「ミ、ミレイ……?」
クレスの問いかけに応えはない。ミレイの震える指先が今後起こる全ての出来事を物語っていようとは、誰も思わない。やがて震えは唇まで広がって、ミレイは血の気の失せた顔でうずくまった。
「おい、どうしたっ」
フレッドが席を立って駆け寄った。紅茶に当たったのかとも考えたが、それなら押さえるのは腹だ。種類の分からない緊張の糸が張り詰めた中で、ミレイがようやく声を絞り出す。
「お城……たくさんの戦艦と軍隊……」
「予知か……!」


Page Top