目を見開いたのはおそらくフレッドだけではない。ミレイの瞳にフレッドの姿が映し出され始めると同時に、いくつかの涙の粒が排泄されるように無機質に流れて落ちた。我に返るなりそれを無造作に拭う。
「すみません。一度にたくさんのことが視えすぎて……」
「説明できるか?」
ミレイは力強く頷くと、立ちあがっててきぱきとテーブルに航海地図を広げた。
「ファーレン艦隊がベルトニアに総攻撃を仕掛けるみたいです。……国王陛下、罪のない国民、たくさんの人が死にます」
ミレイが予言者としてフレッドたちに送る最初のそれは、皮肉にも一番避けたかった事態だった。しかし全員、それがいつか必ず起こっただろう事態だということも知っていた。フレッドはかぶりを振って冷静さを取り戻そうと努めた。ミレイが海図を広げた意味を正しく汲み取らなくてはならない。
「それはもちろんこれから起こること、なんだよな」
「そうです。今は何も起こってない」
「だったら……食い止めよう! そのための予言、だろ?」
「はいっ……!」
フレッドはここ暫く抜いていない自分の剣を持って甲板に出た。できうる限りの準備と対策をしておく必要があった。もうファーレン城のときのような失敗と敗北だけは許されない、そう肝に銘じる。同じことを思ったのか、クレスも自身の剣を携えて船室から出てきた。
「もう生易しいことは言ってらんないぜ? 相手はこっちの何百倍の兵力を持つファーレンさんだからな」
「大丈夫、分かってるわ。……でも変な話よね。自分の国が敵で他国が味方で、それを守るなんて……」
哀しい目をして海原を見据えるクレス、彼女の瞳にベルトニアの大地が映る頃にはこのような悠長な会話はできなくなっているかもしれない。今のうちに思いつく限りの冗談と愚痴を吐いておきたかった。そんなときに限って脳裏をよぎるのは本当にくだらないことばかりで、結局それから先、二人が口を開くことはなかった。ただ真一文字に口をつぐみ、時が来るのを待つ。
「見えた! ベルトニアだ!」
フレッドが叫んですぐ、船室の扉が軽快に開く。ルレオがボウガンを肩に担いで半眼で突っ立っていた。
「降りるぞ! こんなバカでかい船で上陸したら目だってしょうがねぇ!」
乗せてあった小舟を一瞥すると、ルレオはいち早くそれに乗りこんだ。やけに機敏な行動をとるルレオに首を傾げてみたが、金と命がかかれば目の色が変わるのが彼だ。異様なやる気の源に説明がつくとフレッドも覚悟を決めて小舟に乗りこんだ。
戦火は既にあがっていた。細く長く、淀んだ天に向かって立ち上る灰色の煙が至る所に見られる。それは既にファーレンの軍隊が上陸していることを示していたし、戦特有の鬼気迫る唸りと雄たけびが聞こえるまでそう時間はかからなかった。
と、ルレオが不意に立ち上がる。小さな小舟はバランスを崩して大きく揺れた。
「今回は出迎え付みたいだぜ。スターはつれぇなあ、フレッド」
笑えない冗句を口ずさみながら手際よくボウガンに矢をセットする。フレッドが海岸線を注視したときには矢は数十発放たれていて、ルレオの言う出迎え・ファーレン軍を蹴散らしていた。フレッドもバランスを取って立ち上がる。
「城を目指す! サンドリア隊長と合流して守備を固めるぞ!」
せっかくかっこいい台詞を吐いてみたところで誰も聞いちゃいないし見向きもしてくれない。ルレオはもう夢中で矢を放っているし、クレスはミレイを庇いながら応戦するつもりだ。状況から見てもフレッドが先陣を切らなければならないことは明白だった。
「また俺かよ……」
後から思えばルレオの異様なまでのふんばりや、クレスのこれみよがしな守備態勢はフレッドへの当てつけだったのかもしれない。が、今それを悟るほど彼は聡くもなければ冷静沈着でもない。まんまと乗せられて、上陸直前、フレッドは剣を抜き浅瀬に降り立った。
「出たぞ! テロリスト共だ、殺れっ!」
どこからともなく、そんな絶叫と共に矢が飛んでくる。フレッドの間合いから遠く離れた見えない敵に翻弄されていると、後方支援専門の男が舌打ちしながらしゃしゃり出てきた。
「ぼけっとしてないでさっさと行け! やられるぞ!」
海岸線守備の弓兵四人対ルレオ、という無謀な戦いが始まるのを横目にフレッドはクレスに目で合図、そのまま弓兵の網の目をくぐって城内を目指した。
「ミレイの言った通りね! 北西側の岬は警備が薄い。このまま一気にベルトニア王のもとへ!」
いつもより余計に早口なクレスの声が気持ちを焦らせる。視界に飛び交う炎があちこちで熱気を放出して熱かった。
北西の岸はもともと狭く、絶壁に囲まれているため軍艦のような大きな船は入港できない。地の利を生かせば城の守りにはうってつけであるこの場所だが、一度城を落とせば敵軍にとって重要視する必要性のない場所になる。岬の守備が手薄だったということは、裏を返せば城が既に陥落した可能性が高いということだ。
城門は開かれていた。それが決してこちらにとって有益な事態でないことは知れていた。
「遅かったのか……?」
人の気配がまるでない。あるのは生死の分からないベルニア兵の身体と血の匂いだけだ。クレスが奥歯をかみしめる。それが表情だけで見て取れた。
「クレス、分かってるよな! 今は国王だぞ!」
「……っ、分かってる……!」
弱々しい、それでもはっきりとうめき声が聞こえていた。それを遮断するようにフレッドは声を荒らげた。息がある者は確実にここに居るだろう、それを視界から追い出して国王の安否を確かめに行く。クレスは自己嫌悪しながらも今はそうしなければならないことを誰より理解していた。そしておそらくはベルトニアの鎧を身にまとって床に伏した彼らも、それを望むはずだった。
玉座の間につながる弧を描いた階段を全速力で駆け昇る、上がりきる一歩手前でフレッドは足を止めた。実際は足を止めるだけではストップがかからないほどがむしゃらに加速していたらしく、手すりにしがみついて無理やり急ブレーキをかけた形だ。呼吸が追い付かず肩で息をする。
「どうしたの!」
フレッドに遅れをとることなく、すぐ後方を走っていたクレスがあっけなく追い抜いた。走りながら金切り声をあげるあたり、内蔵なんかも鍛錬しているのかもしれないなどとどうでもいいことに感心しながらも、フレッドは聞こえないふりで呼吸を整えることに専念した。
「フレッド!」
これ以上ないくらい甲高い声に一瞬片目をつむる。第一声をきちんと発するためにはもう少し休憩が必要だったが、フレッドは仕方なく、ままならない口調で応答した。指で目の前にある玉座の間を指して、聞きづらいであろう自分の声をアシストする。
「……先に行けよ……! 野暮用がある……!」
「こんなときに何言ってんの? 優先するのは王でしょ! さっき自分が言ったんじゃない!」
「じゃあ撤回するよ! 俺にとってはこっちが百倍重要だ……! そうだろ、ニース」
額の汗が顎先まで流れた。赤毛の青年が、階段の一段目に今まさに足をかけるところだった。懐かしいそばかす顔が、見慣れない無表情な顔つきを作っている。ルーヴェンス兵によるウィームの村襲撃以来顔を合わせていなかった親友、思いもよらない舞台での再会だった。
「フレッドの友人……! どうしてここに……っ」
「どうして……お前がここに居るんだ、ニース。なんでここに……」
半ば答えの分かっている質問をすることに苛立ちと嫌悪を覚え、フレッドは奥歯をかみしめた。剣を握る手が小さく震える。
「……それはこっちの台詞だろ。信じてた俺がバカだったよ。お前がテロリストの一員だったなんて。……なんでだよ! なんで、裏切った!」