Make A Surprise Attack Chapter 12

 ドアノブがやけに重く感じた。押すのか引くのかさえ一瞬忘れるほど心臓が早鐘を打っている。扉というものは、その先が別空間であることをいちいち知らしめてくる嫌な存在だ。分類しがたい種類の緊張を取払うように、フレッドは勢いよく扉を押した。
「シーッ!」
入るなり人差し指を口に当てたミレイが、その勢いを制す。出鼻をくじかれてたせいか緊張が緩和された。
「悪い。……ひょっとして看ててくれたのか?」
「交代制ですよ。たまたま私の番なだけです。……言いだしたのはクレスさんですよ」
生返事をしながらフレッドは近くにあった椅子を手繰り寄せて腰を下ろした。落ち着きを取り戻したらしい(幾分取り戻しすぎている節もあるが)フレッドを目にして、ミレイも安堵のため息を人知れずつく。
「ありがとな。あと俺が看てるし、寝てなよ。ベルトニア着いて早々こんなで疲れたろ?」
「いえいえ、大丈夫です! 国王様を支えるのも予言者の立派な役目ですから」
気の毒な使命感に燃えるミレイを苦笑いで適当に流す。とんでもない貧乏くじを引いてしまったと思われないだけマシかもしれない、思い直して肩眉を上げた。ふと、スイングに視線を移す。そして一気に椅子を蹴り倒して立ちあがった。
「ミレイ! みんな呼んできてくれるか? なんか言ってる!」
「え? は、はい!」
小刻みに震えるだけのスイングの唇に、フレッドは全神経を集中させる。瞳は相変わらず虚ろなままだし、意識の有無もはっきりしないが懸命に何かを訴えてくるスイングにフレッドも必死に応えようとした。
「何だよスイング! 聞いてるからはっきり言え!」
それでも怒鳴る。意図的にではない、分かろうとしたらそうなった。分かろうときちんと向き合ったこと自体が、実質初めてだったことに気づかされる。それこそが一番大事なことだったと、頭の隅の方で考えていた。
「ほんとに? 意識があるのね!」
「はいっ。今フレッドさんが聞きとろうと……。あ、でも意識があるかどうかは」
半開きのまま放置されたドアの向こうから、クレスとミレイの声が聞こえる。それをかき消す勢いでどたどたと響く足音はルレオのものだろう、いずれにせよ現時点では全て雑音でしかない。スイングの色のない唇は、ゆっくりと小さく開く。
「え? ──」
 部屋の中から漏れるフレッドの声に、ドアノブに手をかける寸前でクレスが立ち止まった。ドアの隙間から線状の光が真っ直ぐに伸びている。
「すまな……かっ……た」
 たどたどしい掠れた声は、それでもしっかりと空気を振動させフレッドの耳へ届く。フレッドはというと、ただただ何も言えずに目を見開くばかりだ。スイングの口から、ただの一度も聞いたことのない言葉が今こうして振り絞るように発せられる。その言葉に対する的確な対応を、生憎フレッドは持ち合わせていなかった。
「お前に……も……悪、かった。……だ、ま……し、て」
網膜が乾いて痛かった。瞬きをするためだけに顔を逸らして席を立つ。その短い間で脳内と胸中を整理しなければならなかった。次に言うべき言葉を探す。押し寄せる感情の波を食い止めるにはこのまま黙っているのが一番いい。しかしそうも言っていられなかった。
 天才と呼ばれた男、世界に欲された男、望む全てを手にした男──かつてのスイングの姿はもはやここには無い。フレッドは背中を向けたまま振りかえれずにいた。
「俺じゃないはずだ……。俺は、俺はあんたがこの世で一番嫌いだし、何されたってもういちいちムカついたりしない。……居るはずだろ。あんたが一番先に謝らなきゃいけない相手が」
スイングの生気のない口元が微かに笑んだ。
「フィ、リ、ア」
 スイングの口からこぼれた名前に、フレッドは床を見つめるのをやめた。フレッドがそうだったようにスイングにとってもその名は、記号以上の意味があったのだ。その名を口にする時だけに乗せる優しさや温かさがあったことを、フレッドは今さらながらに知った。
 不意に背後に気配を感じておもむろに振り向く。クレスを先頭に、連中がドアの周辺に固まって突っ立っていた。フレッドは何食わぬ顔を装って、こちら側からドアを引く。
「スイングのことだからなんだかんだで今の状態よりは回復するだろ。命があっただけマシだよな」
できるだけ平静を保とうとするが気恥ずかしさが上回って、聞かれてもいないことを自ら答えた。
 フレッドをはじめ、一同が安堵のため息をつくか否かというとき、スイングが再び声を絞り出した。
「だいに……」
咄嗟にスイングを見やる。彼の口唇は未だ必死に何かを伝えようとしている。再びフレッドは耳を澄まし、ついでに目も凝らした。
「ラ……インを、ま、も……れ」
聞きとれないことはない、フレッドは内容を察すると小さくかぶりを振った。
「だからラインはもう……」
「第二、ライン。海境のことじゃないですか?」
随分あっけらかんとミレイが口を挟む。おそらく正解のはずだが何故か腑に落ちずにフレッドが訝しげな表情を晒していた。スイングが守ろうとしていたのが第一ライン、通称『国境』だ。ファーレンとベルトニアを端から端まで完全に隔てる幽玄なる山脈、そこにラインがあったから二つの国ができたと言う方が正しい。それは国境であるが故に、ファーレンの民にもベルトニアの民にもなじみ深い存在だった。しかい第二ラインは完全にそれとは性質が異なる。
「海境?ってあれだろ、海と海を真っ二つにしてくれちゃってる底があるのかねぇのかもわかんねえ谷底。……んなとこどうやって行くんだよ。まさか落ちろって言うんじゃねえだろうな」
「下手な船で行くと間違いなくそうなるわね。あの周辺、海流も妙なのよ」
どこから持ってきたのかこの場にそぐわないバタークッキーを頬張りながらルレオ。腕組みをしたままクレスも他人事のように感慨を口にするだけだ。その後しばらくルレオの品の無い咀嚼音だけが室内に響き渡るも、誰も名案を発する気配はなかった。
「ベルトニアを舐めてもらっちゃあ困るよ、若者たち。第二ラインまで何も必ず海を渡らねばならないわけじゃあないだろう?」
執拗に巻かれた包帯のせいでどうやら腕組みができないらしい、サンドリアが部屋の入り口で腕をクロスして立っていた。得意げに仁王立ちしていたのも束の間で、皆が無反応でいるとすぐにドアに寄りかかる。粋がったところで重症人である。割と無様な態勢で不敵な笑みだけは絶やさない。
「まさか空飛ぶ船ってやつですかっ?」
ミレイが瞳を輝かせる。その発言にはフレッドも思わず振り返ってしまった。そして釣り目のあの男も、一瞬顔を上げたのをフレッドは見逃さなかった。心の高揚を抑えつつサンドリアの反応を窺う。今度こそ満足そうにゆっくり大きく頷いた。それを見て反応を変えたのは男性陣だ。
「軍艦! 飛空船! マジですか、すっげぇ!」
「何だよ、おっさん! そんなのがあるなら最初っから乗せろよ、勿体ぶりやがって」
「すご~い、軍艦に乗れるんですかぁ?」
堰を切ったように興奮を顕わにするフレッドとルレオ、便乗してはしゃくミレイ、たじろぐサンドリアに思いきり肩をすくめて嘆息するクレス。最後の反応にフレッドが心外そうに口を尖らせた。
「何だよ」
「乗れないわよ、軍艦なんて。それも他国の。ファーレンの軍用飛空船だって限られた人間しか搭乗できないんだから」
「いいよ、許可するよ俺」
こんなときだけあさましくインスタント国王になろうとするフレッドに、クレスが更に留めとばかりに全身で大きく嘆息した。
「だ~か~ら~! そんなことサンドリア隊長もベルトニア王も許可なさるわけないでしょ!」
「……その通りだ、すまんなフレッドくん。ぬかよろこびをさせてしまって……」
これみよがしに包帯の腕で頭をかくサンドリアに冷たい視線を浴びせるぬかよろこび組。当然態度は一変、興味薄にサンドリアの続きを促した。
「いや、でも空は飛べるぞっ。そこは保障しよう!」
適当に生返事をして胡散臭そうに半眼でサンドリアを見やった。空は飛べるが飛空船ではない、それがイコール蝋の翼のようなものにならないよう祈るばかりだ。
 結局その後サンドリアは、いつものようにクレスとそそくさと作戦会議のようなものを始めてうまく御茶を濁した。王も予言者も雇われ兵も、いつものように蚊帳の外でひたすら決定を待つだけだった。



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