Make A Surprise Attack Chapter 12

 今何時なんだろう──随分長いこと時計を見ていない気がして、フレッドは急に落ち着かない気持ちになった。ウィームの家を出るときポケットに突っ込んできた時計は気づいたら壊れて動かなくなっていた。取り出そうとポケットに手を入れてから思い出す。
 ベルトニア城の屋上、だだっ広いだけの見張り台で、遠く街の灯を眺めてフレッドはぼんやりしていた。街の灯と言ってもほとんどが暗がりでぽつぽつとこぼれるように灯っているだけである。それがひとつ、またひとつと消えていくのを目で追った。
 自分のものとは違うため息がどこからか漏れた。フレッドが肩越しに振り向くと申し訳なさそうにクレスが立っている。振り向くまではのんびりしていたが、そこに居るのがクレスだと認識するや否やようやく驚愕を表して身体ごと方向転換した。
「何やってんだよっ。……いつからそこに?」
「さっきよ、ついさっき」
クレスははぐらかすように微笑を返した。フレッドの顔色を窺いながら隣に立つ。彼も別段それを拒むような素振りは見せなかった。
「お兄さん、目を覚まさないわ。ずっとあのまま。今も交代で看病してもらってるけど……。ルレオから聞いた? スイングさんだけじゃなくてベルトニア兵、ファーレン兵の三分の一近くが大罪を受けたらしいって」
「ああ。あの子どもが何がしでかしたんだろうな。ラインの光とどう関係があるのかは分からないけど」
 街の最後の灯りが消えると同時に待っていたように月が輝きだす。天から降り注ぐ青白い光は、フレッドに気休め程度だが安堵と癒しをくれた。皆『大罪』について、ラインについて、そしてあの赤い髪の少年について考えている。無論フレッドも例外ではない。しかし他の連中とは明らかに思考のポイントが異なっていることを自覚していた。
「まさかあいつがあんな風になるなんて……考えたことなかったよ」
思考が止まるほどショックを受けているわけではない。どちらかというと狐につままれた感覚の方が今の彼にはしっくりくる。独り言のように切りだして、今度はフレッドがクレスの顔色を窺った。
「……フレッドってお兄さん、スイングさんとは昔からそうなの? 前に彼について尋ねたときも、あまり話したがらなかった。」
「そう、って?」
「だから、つまり」
「仲が悪かったかってことか?」
やけに単純な回答を持ち出すフレッドに、クレスは曖昧な笑みを返した。仲の悪い兄弟は世界中どこにでもいる。そのどこにでもいる兄弟の内のひとつだとは到底思えなかった。フレッドは苦笑を洩らして夜の色一色になったベルトニアの風景に目を凝らす。
「昔から嫌な奴ではあったけどな。あいつ、本当に何でもできるんだよ。しかも一流に。兄弟ってここぞとばかりに比べられるだろ? 生まれてから十九年間、劣等感が消える日なんて一日もなかった。向こうも俺には興味もなさそうだったし」
クレスが黙って小さく相槌を打ったのが分かった。別段何を言ってほしいわけでもなかったフレッドには、その方がありがたかった。スイングに対する感慨なんてものを口にしたのは、一体どれくらいぶりなのかもはや思い出せない。言葉にすることはそれを認めることだ。スイングの存在を、持ち続けてこれ以上ないくらい膨らんだ劣等感を、虚しさを、そして消え入りそうな自分自身の存在意義を──胸中にとどめておけば誤魔化せた。しかしもう、その手が潮時を迎えていることも察していた。
「フィリアに……何て言うかな」
独り言のつもりでそう呟いたのをクレスはしっかりと耳に入れていた。再び意を決してフレッドに向き直る。
「あの、さ。それも前に一度訊いたと思うけど、フィリアさん。なんて言うかその……答えたくなかったらそれでもいいんだけど」
歯切れが悪い。何を言いたいのかはいい加減見当がついたが、フレッドはしばらく目を泳がせるクレスを眺めていることにした。それから露骨に呆れ顔を作る。
「お前、さっきから人が訊かないようなこと平気で言うよな」
「失礼ねっ。一応躊躇してるつもりなんだけど!」
つもりはつもりだろう、努力は認めるが躊躇しながらも確信を突いてくるのだから意味がない。深く長い嘆息で間をつないで、フレッドは大きく背伸びをした。そしてもう一度息を吐く。瞬きのために閉じた瞼の裏に、フィリアの顔を思い浮かべた。
「……好きだった。フィリアが選んだのがスイングだったことも、スイングがルーヴェンスに付いたことも、俺の中じゃ簡単に整理のつく問題じゃないんだ。どうしたって感情が先走る」
「そっ……か」
「っていうか」
フレッドは突然思い出したようにクレスから顔を背けて明後日の方向を見つめる。
「何言ってんだ俺……かっこわりぃ……けど。認めちゃえば楽だな、今さらだけど」
「今でもフィリアさんを好き?」
今まであった躊躇とやらはどこへ消えたのか、クレスはごくあっさりと質問を足した。フレッドは動揺を極力表に出さないように注意しながら考えるふりをした。
「それは……正直分からない」
その質問に対する肯定、あるいは否定はまだ保留にしておきたかった。往生際の悪さに軽い自己嫌悪を覚えながらも、フレッドはそれ以上補足をしない。無意識に落とされた視線に、クレスは自分で答えを見つけるしかなかった。そして今度は不意にざわつき始めた自身の胸中に戸惑う。彼女が戸惑いを覚えなければならない理由は、ここには無いはずだった。それを確認するように大きくかぶりを振る。
「あのさあ、時計持ってねぇ?」
 不躾なフレッドの第一声に鋭い視線を返して、クレスはわけのわからない威圧を送った。たじろぐフレッドを横目に懐をまさぐる。金物のじゃれあう音と共に古びた銀製の懐中時計が顔を出した。かなり年季が入っている、蓋つきの骨とう品だ。その蓋の中央に見慣れない青黒い色の不思議な紋章が刻まれていた。円形の図から出た尾のようなものが、左右点対象に弧を描いている。計算しつくされた渦のようでもあった。
「何よ、そんなに珍しい? ……好きよね、こういう古いの」
フレッドの熱い視線にクレスの唖嘆がかぶさる。繊細な鎖部分を大雑把につかんで時計を手渡した。
「これって家紋……じゃないよな、見たことない。結構な年代もんだろ? 誰にもらったんだよ、こんなの」
「祖母よ。昔から家にあるものだから紋の意味までは知らないけど」
フレッドが二三度適当に頷いて蓋の留め金を押す。蓋はゆっくりと押し上げられ、期待通りのアンティークな文字盤が現れ、十二時ぴったりで針は静止していた。
「あ? もうこんな時間か、まだ十時くらいだと思って──」
 途中で口をつぐむ。というのも、クレスが声を殺して笑っているからだ。声は無いが緩んでしょうがない口元を必死に正そうとしているのでそれと分かる。そんなクレスに、フレッドはしばらくの間冷やかな視線を送ることにした。
「ぷっ、ごめん。実はそれ……気づかない? 止まってるんだけど。たぶんまだ九時過ぎじゃないかな、さっき見たときそんなものだったから」
フレッドは半眼だった目を更に細めて無表情のまま時計を放り投げる、振りをした。青ざめて慌てるクレスを見やって満足そうに微笑する。
「動いてないのに後生大事に持ってるってことはお守りみたいなもんか」
ネジからぶら下がっている鎖を摘まんで、視線よりも高く時計を吊るした。月明かりに銀の光沢がよく映える。
「そうね……お守り。だから貸すわ、それ。あくまで貸すだけよ。必要なくなったら返してもらうから」
「……動かない時計をもらってどうしろって言うんだよ。体よく俺に荷物を押し付けようとしてないか」
「お守りだって言ってるでしょっ。それ持ってるとね、不思議と安心するから。騙されたと思って預かってよ。フレッドにはそういうものが必要のような気がするから」
クレスは無理やりフレッドのポケットに時計を突っ込む。長めの鎖は割に嵩張ってジャラジャラと音を立てている。ふと、悪寒が背中を走った。
「まさか呪われてるんじゃあ……!」
「何によ! 言っとくけど私それ今までずっと持ってたんだからね!」
全力で激しい突っ込みを入れてクレスはさっさと踵を返した。大層な骨とう品だと見受けられる懐中時計、何かに呪われていてもおかしくはない。が、それは胸中にとどめておいた。彼女は彼女なりにフレッドを気遣っている。それが分からないほどフレッドも無神経ではない。
 穏やかな気持ちで屋上を後にすることができた。『ラルファレンスの指輪』を鼻歌で歌うクレスの後を追いながら、それが無償におかしく感じて笑いを堪える。クレスがあくび交じりに寝室に向かうのを見届けて、フレッドはひとり、兄が横たわる部屋へ足を進めた。



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