Causal Relation Chapter 14

 真っ先に動いたのはクレスだった。玄関先で棒立ちのフレッドを追いこしてドアを開け放つ。冷気が室内に流れ込んだが身震いをしている猶予さえ彼らには与えられなかった。次にはシルフィが、ドアを支えるクレスの腕の下をすり抜けて一目散に駆けだす。フレッドとルレオも遅ればせながら外へ飛び出す。言いだしっぺの予言者(南国生まれ)だけが悠長に体を縮こまらせていた。
「さ、寒い……」
「風のない今のうちだよ! 吹雪いたら隣も見えなくなっちゃうんだからっ」
ミレイがたじろぐのも無理はない、外気は怖ろしく冷たく髪や眉を瞬時に凍らせてしまった。シルフィは一端家の中へ駆けもどって、どこからか引っ張り出してきた獣毛の首巻をミレイにぐるぐると巻きつけた。残りの三人はそれを物欲しそうに眺めていたが四の五の言っている場合でもなかった。
 顰めたくない眉を極限までしかめて寒さと耳の痛みに耐える。流れるはずのない汗が何故か背を伝っていて、それさえも異常なまでに冷たい。不協和音をたてる歯を食いしばって一行はシルフィの案内に沿って道なき雪道を歩いた。雪は本来あるはずの大地を覆い尽くして、足音さえもかき消す。踏みしめても返ってくるのは自らの耳にのみ響く微妙な収縮音と踏みごたえだけだった。
 船は小さな港に収まりきらないほど立派なもので、シルフィの言うとおりよく整備されていた。岸壁のくぼみを利用したドックはうまい具合に雪も積もらず風のあおりも受けないようになっている。
「なんだ、思ったよりいい船じゃねえか。その横でぐっちゃぐちゃになってる気球よりよっぽど信頼感あるぜ」
誰もが目に入れた瞬間思いきり視界の外に追い出した「気球だったもの」をわざわざ話に引っ張り出すルレオ。太刀が悪い、しかしフレッドは胸中でめずらしく彼に賛同していた。ルレオの一言で今一度気球の残骸に目を向けた刹那──、フレッドは大きく目を見開いた。次の瞬間には目についたミレイの頭ごと道連れにして雪の絨毯の上に勢いよく突っ伏する。無論ミレイは勢い余って顔面からめりこんでいたがそんなことに構っている余裕はない。
「全員伏せろ! 見つかるぞ!」
フレッドの尋常ではない焦り具合が功を奏してか皆反射的に低い態勢を作った。そして目にした光景に奇声をあげまいと、クレスは口元で手を覆う。
「あの船、ルーヴェンス……!」
小声で確認したかったが憤りがそれを許してはくれなかった。躊躇いなく叫んでフレッドに相槌を求める。白く霞んだ極寒の海を悠々と進む一隻の巨大な帆船、かろうじて目視できるくらいの距離だが向こうから確認できないとは限らない。そう思って低い態勢を確保したはずが、クレスが亥の一番に半身を起こした。
「おい……!」
「違う、あれは……セルシナ皇女のために作らせていた汽船よ。よりによってあの船を……っ、あいつ!」
目を凝らした先、帆にはファーレンの紋が刻まれているのが分かる。確かに今まで目にしたどのファーレン戦艦よりも強靭そうだ。
「おいチビっ、さっさとしろ間にあわねぇぞ!」
「ち、ちびぃ?! 失礼ね! なんであんたにチビ呼ばわりされなくちゃなんないのよ、このとんがりつり目!」
一瞬肩眉をあげるルレオだったが、失笑して一蹴する。今にもとびかかりそうなシルフィを制しながらフレッドが優しげに言い直した。
「頼むよシルフィ、時間がないんだ」
「まあフレッドがそう言うなら……。それにこの空の色、また吹雪くしね」
ミレイが小さく悲鳴を上げているのも無視してフレッドは先陣を切って船に乗り込んだ。先陣を切ってもその後を取り仕切るのはシルフィとクレスなのだが。クレスはシルフィの指示を受けながらも手際良く出航準備を進める。彼女にとって焦りと怒りは行動への糧になりさえするが、それが邪魔をするようなことにはならない。冷静はクレスの鍛え上げられた精神力によってかろうじて保たれていた。
「出すわ! あの船に横付けする!」
「無茶苦茶な……」
しかしそれ以外に良作は思い浮かばない。体当たりする、などと言われなかっただけマシであろう、苦言を吐きながらも否定するには至らない。船は猛スピードで海を渡った。海面に激しく波を立たせては消える。ファーレン軍艦には遥かに劣るが、こちらも大層な図体の船だ、今さら身を隠しても無意味である。そういうわけでの真っ向勝負だ。
 フレッドは刺すような、いやほとんど刃物同然の冷たい風から逃れるように身を縮めていた。他人に構っている余裕はない、甲板の床をじっと見つめて来るべきときに備える。そしてそのときはそう待つことなくやってきた。風がいくらか和らいだ。それは風そのものではなく、この船の進行速度が弱まったことを意味する。
「ルーヴェンス!」
クレスが金切り声をあげた。フレッドは立ち上がって静かにそれを制すと視線を真っ直ぐに標的、巨大ファーレン軍艦に向けた。
「死神! ルーヴェンス! ここで引き返してもらうぞ!」
声を張り上げたところでそれが本人に届くとは思えない。しかしこれだけ敵対心をむき出しにすれば部下くらいは顔を出すものだ。考えていることの方向性は同じだが、ぬるい、と言わんばかりにルレオがフレッドを押しのけてボウガンを構えた。
「こういうときは下っ端を煽るんだよっ。手本見せてやらぁ」
引き金を引くのとほぼ同時に会心の笑みを浮かべ、一寸の躊躇もなしに矢を放つ。ぶっ放した、という方が的確かもしれない。続けざまに矢の嵐をお見舞いされて噛ませ犬にされた兵たちは期待通り、それ以上の奇声を上げてくれた。そのあたりで止めておけばいいものを調子に乗って相手方を煽り続けるルレオ、そんな彼に冷ややかな視線を送っていたフレッド、其の耳に風切り音が横切る。眼球が原因を捉える前に、畳みかけるようにミレイのおたけびが響いた。
「煽りすぎですよ! どうするんですか、袋のねずみじゃないですか!」
足を昔のマンガのように無駄にばたつかせているのは、飛んでくる矢を避けるためだ。ルレオの挑発は弓兵を大いに増やす結果となった。甲板に勢いよく突き刺さる矢の雨にクレスが苦虫を潰して剣を抜く。それに倣ってフレッドも抜刀して矢をたたき落とすことに専念した。諸悪の根源であるルレオはさておき、無防備なミレイとシルフィを守るためには仕方のない判断だ。が、長くはもちそうになかった。
「どうするの! きりがないけど!」
「それを今考えてるんだよ!」
口先だけ勢いはいいものの実際は大したアイデアもない。思考の大半をルレオへの苛立ちが支配していてまともに考えることもできない。
「あー! 次から次へと! 汚ねぇぞ、こっち渡って来い!」
それは到底無理な話であり、そんなことになっても困る。半ばやけくそモードに突入していたフレッドの動きを止めたのは幾千の矢ではなくその攻防を制した一喝だった。甲板にこだました誰かの命令で兵たちは一斉に攻撃をやめ敬礼した。耳元に響く自分の激しい呼吸音と、遠く敵船の甲板で鳴る足音が混ざり合い、はたとやんだ。
「やっぱり来たんだな……。フレッド」
呟かれた小さな声は、それでも確かに空気を伝ってフレッドの顔つきを変えた。剣をゆっくりと下ろす。それが声の主に対する今できるせめてもの敬意だった。
「ニース……。邪魔すんなよ、俺が用があるのは……」
「中まで聞こえてたさ。……フレッド、引き返してもうらうぞ。俺の全力で以てここでお前を止める」
フレッドとは対照的に、ニースは厳かにその剣を抜いた。
 ニースが渡した縄梯子はフレッドたちを船上へ誘う。あるいは戦場へ、かもしれないがフレッドは迷わず駆けだした。
「罠よ……! 分かってるでしょう?」
クレスの窘めにフレッドはただかぶりを振る。
「そうだったとしても乗るしかないだろ。あいつはそこまで姑息な真似はしない、そういう奴なんだ」
「まだそんなこと……!」
フレッドはそれきり後方を顧みず無心で梯子を伝った。その間にフレッドを攻撃する者はなく、ファーレン船まで容易に辿り着くことができた。



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