Causal Relation Chapter 14

「どけよ、ニース」
待ちかまえていたニースに向かって開口一番、淡々と呟く。
「何度も言わせんな。……抜け」
すぐには抜刀しなかった。手のひらに滲んだ汗を握って、ニースの目を凝視する。赤茶けた瞳がフレッドの神妙な顔つきを映し出していた。その数秒で何が変わるわけでもなく、また確かめられるわけでもない。それでもフレッドはしばらくの間そうしてニースを見続けた。
「フレッド、悪いけど先に行かせてもらうわ。こんなところで時間をくうわけにはいかない」
不意にクレスが耳元でささやく。フレッドの感覚ではいつの間に、というかんじであったが言うなればこの睨みあいの間に難なく乗船したのだろう。
「……分かった。あいつらは?」
「ルレオに任せてきた」
押し付けてきた、の間違いだろう──胸中で突っ込みながら小さく嘆息するフレッド。よくよく耳を澄ませてみれば遥か後方に喚き声が響いている。放って来たことが正解かどうかはこの際結果を待ってみなければ判断しかねる状況だった。
「ゆっくり十秒数えて。私が走ってここを切りぬけるから、後はあなたの好きに。いい? 行くわよ?」
クレスの視線はそのままニースへ、唇だけを僅かに動かして即席の合図を送る。フレッドも頷く代わりに目を伏せた。脳内のカウントダウンは既に5秒をきっている。残り4秒、3、2──。
 ガチャ! ──奇怪な音がしただけで隣の女は一歩も動いていない。
「おい! 数えさせただけかっ」
「ばればれなんだよお前ら。ここには俺だけじゃない、数百の兵も、予言者もいる。包囲網を抜けんのは無理、ましてや俺を出し抜こうなんて……。見物してな、クレスさん。あんたの出る幕じゃない」
ニースの後方で先刻の弓兵たちが並んでボウガンを構えている。オーケストラさながらにきちんとニースを囲んで、狙いをクレス一点に定めていた。中心のニースは指揮者といったところだろうか、彼が剣を一振りするだけで荘厳に死の楽曲が奏でられることになる。
 ニースの構えはフレッドに良く似ている。理由は至って単純だ。ベオグラードに鍛えられてきた(パシリにされてきた)のは何もフレッドだけではない。いつでも踏み出せて、いつでも退ける攻守に優れた構え、目の前でその姿勢をとられて棒立ちでいるわけにもいかなかった。ひとつ大きく嘆息してフレッドはようやく剣を抜いた。
「退く気は……ないんだな?」
ニースは無言で剣の柄を握りなおした。うんざりといった顔だ。
「どうなっても知らねぇぞ!」
「吠えんなよ!」
ニースの左足が固い甲板を蹴りあげる。高らかな木の軋む音、その直後に全身全霊をかけた重い一振りがフレッドの剣の腹にたたき込まれた。手に生々しい振動、無意識に歯を食いしばる。どこかでくすぶっていた何かの期待が砕けて散った。確信を持たせたのはニースのものであってニースのものでないこの表情である。彼には躊躇も迷いもなかった。
「やる気があんのかないのか……どっちなんだよ!」
受けるだけのフレッドに業を煮やして、ニースは込めていた力を一瞬抜くと素早く屈んでフレッドのバランスを崩した。間髪いれず死角からのひざ蹴りでフレッドの胃を押しつぶす。普通なら噎せかえって崩れるくらい綺麗に決まったにも関わらず、フレッドは歯を食いしばって跪くことを拒んだ。少しだけ前かがみになってすぐさま体勢を立て直す。
「フレッド! どうして攻めないの!」
「外野は黙ってろ……!」
掠れた声で面倒そうに応答する。口元を素早く拭って呼吸を一度落ちつけようと試みた。
「なあフレッド。内心驚いてるだろ……? なんでって思ってるよな。試してるんだろ、俺が本気かどうか」
フレッドはまた、できるだけ無心でニースの瞳の奥を見る。
「ずっと、子どものときから一緒だったもんな俺たち。バカばっかやってたけど……──なあ、どうしてあのとき俺の言うこと聞かなかった……? 何でベオグラードに手ぇ貸した……!」
「ニース……」
「知ってたんだろ?! どうして引き受けた! 俺は警吏だぜ? 知ってて俺の敵に回ったのかよ! どうなんだ!」
叫ぶニースに対してフレッドは冷静を保つことにした。早鐘を打つ鼓動を、熱を持つ手のひらを、制すために深呼吸する。
「俺は俺の正しいと思ったことをやっただけだ。結果それが、お前の敵に回ることになったとしても」
「そうかよ。じゃあ俺は俺の正義を貫くだけだ。ルーヴェンス閣下のもとへ引きずり出してやる、全力で!」
ニースの激情は剣先を加速させる。迫りくる鋭い一撃を見極めるべくフレッドは耳をすませ目を凝らし、あるだけの集中力を注ぎ込む。助走の後高く跳躍して、ニースは剣を振りかぶった。そしてフレッドも、今度は受け身の体勢を解いてその瞬間を待った。
(大振りの時は必ず左脇が甘くなる。それがお前の悪い癖だよ、ニース……!)
細めていた目を大きく見開いて標的を一点に絞る。ニースの宙に浮いた体勢からでは反撃できないよう彼の剣をギリギリでかわし、疎かになった左わき腹の防御を崩しにかかる。ニースの刃が甲板にたたきつけられるか否かの僅かな間にフレッドは狙い通りのポイントに剣の腹をたたきつけた。ニースの顔が痛みに歪む。そのままフレッドは押し切って思いきりニースを振り飛ばした。起き上がる猶予を与えることなく、すかさず頸動脈付近に剣先をつきつけた。
「退けよ、ニース……。これ以上やったって時間の無駄だろ」
 甲板は寒い。それでなくても海風がやたらと肌を刺すのに、フレッドの額には汗がにじんでいた。その雫が音もなく床へ落ちていく。ニースは喉元に就きつけられた剣先の冷たい感触に諦めたように深々と嘆息した。フレッドも小さく息を吐いてゆっくり剣をひく。今さら加速して流れる汗に気づいて不快感を覚える。
「詰めが甘いんだよ、それがお前の弱点だ」
急速に退いていく汗に今度は悪寒さえ感じてフレッドは身動きがとれずにいた。ニースの渾身の一撃に対して、力の入っていないまま剣を突きだした。


 一方その頃、シルフィの船で待機していたルレオ、ミレイ、そして持ち主の彼女は詰まっていた。何がと言われても一重に説明しがたいのだが、各々の体であったり、状況であったり、ミレイに関してだけ言えばこの寒さに限界を迎えたらしい鼻も詰まっていた。
「んもう! 押さないでよ、落っこちちゃうじゃない!」
詰まり組の先頭が梯子にしがみついて何やら顰めつら。どうやら待ち切れずに様子を窺いに来たらしい、一時的とは言え保父さん状態だったルレオも耐えきれず同行している。無論そうなればミレイ独りで船に残っているわけにもいかず、こうして三人仲良くフレッドたちの後を追う羽目になった。
「るせぇ! ごちゃごちゃ喚いてないでさっさと渡りやがれ!」
「言われなくてもやってますよーっだっ」
半眼で軽快にアカンベーをして、シルフィはいそいそと梯子を伝った。小さな体を尺取り虫のようにしならせて不安定な通路を渡りきると、ファーレン艦の甲板の縁に手が届いた。
「シルフィの愛しの王子様~! お姫様の登場ですよ~っ」
後は勢い任せに身体全体を甲板に乗せるだけだ、非力なシルフィでもルレオに背中を押されれば難なく這い上がることができる。顔上げた刹那、満面の笑みのまま彼女の顔は凍りついた。
「えーっと……あれ? どうなってるの?」
足元に視線を落とすと、ほぼ垂直に地面に突き刺さった剣がシルフィの行く手を阻んでいる。最初からそこにあるわけでは決してない。シルフィが意気揚々と登場のおたけびをあげていた最中に、頭の片隅で何かが深く地にめり込む音はしていたが、それがまさか空から降って来た剣が突き刺さる音だなんてのは普通予想しない。それは見た限りではフレッドの剣のようだった。
「いつ誰が勝負は終わったって言ったんだよ」
ニースの冷淡な、顔つきに似合わない低い声がシルフィの耳に届く。その前方に片膝ついてしゃがみ込む手ぶらのフレッドがいた。シルフィがここに登場するのが後一歩早かったら、串刺しになっていたに違いない。状況を飲み込むとシルフィはただ一気に青ざめるしかなかった。



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