The Responsibility Chapter 15

 朝が来てもフレッドの機嫌の傾斜角は保たれたままだった。どうやら睡眠不足が根本原因ではないらしい、昨夜は誰よりも早くベッドに入ったし、今朝は朝焼けとともに実にすがすがしく起きた。そのすがすがしさはもって一分の代物だったが。昨日交わした言葉の残骸が、まだ胸にしつこく渦巻いている。それは少しの刺激でまた燃え上がりそうなほど不安定だった。
「……行くか」
妙な諦めがないと部屋から出る気になれない。クレスと顔を合わせて、まず一番に何をどうするか考えなくてはならない。後悔がないこともない。
(それでも……)
割り切って何もなかったふりをすることも、こちらが折れて軽く謝ってしまうこともできそうになかった。そうするうちにフレッドの中には実に都合のよい願望が生まれようとしていた。──向こうはたいして気にも留めてないかもしれない──言い争いも、価値観の衝突も、これまで幾度となく繰り返してきたことだ。それに昨夜遠くの方で聴こえた穏やかな「ラルファレンスの指輪」の音色は、クレスの心そのものだったような気がする。
 どう考えるにせよ、そして自分が、相手がどう動くにせよ大広間の扉を開けてしまえば自動的に始まることだ。運を天に任せて、フレッドは扉を押した。
 手を振るシルフィ、首を垂れるミレイ、あくび大王とそれに釣られて小さくあくびをもらす巨漢の中年男、彼女の姿はない。
「……クレスは?」
「まだ、みたいです。珍しいですね、クレスさんが最後なんて」
フレッドが開口一番クレスの名を口にしたことに、ミレイは意外そうな顔で答えた。フレッドは生返事を返してばつが悪そうに席についた。運悪くルレオの隣しか空いていないあたりが、この先の雲行を暗示しているようで何とも気分が悪い。
「遅いね、クレス。寝坊かな」
「先に始めておこうか。そのうち来るだろう」
頷く面々をよそに、フレッドは扉に視線を集中させていた。ルレオに猫だましをくらうまで気づかないくらい呆けていたようだ、一度大きくかぶりを振って話に集中しようと努めた。
「昨日も少し話したが、狙うのはファーレンだ。ここは揺るがない。ルーヴェンスをたたくことで死神の行動範囲はぐっと狭まるはず、それにいつまでも国を好きにさせておくわけにもいかないだろう」
もっともらしいことを並べるサンドリアだが、心から賛同している者はそういない。ミレイとシルフィはもとよりファーレン出身者ではないし、ルレオはそもそも金目当てだ。フレッドは昨日啖呵を切ったとおり国に対する思い入れなどは特にない。
「前置きはいいからさっさと本題に入ろうぜ。結局、具体的にどうすんだよ」
身も蓋もないことをあっさり言ってのけるルレオ(いつも通り)に咳払いで答えて、サンドリアは大陸の地図を広げた。浮かない顔を晒しながらも口を挟もうとしないフレッド、その様子を横目で観察するシルフィ、思い思いにテーブルを囲んで顔を寄せ合った矢先のことだった。
 コンコンコンッ──せわしなく鳴るノックの音に皆顔を見合わせた。おそらくクレスではない、不躾なそのリズムと何故か空気を支配した緊張感に誰もがそう考えた。サンドリアの短い返事を聞くやいなや若い兵が神妙な面持ちで入室してくる。
「総隊長少しお話が……」
視線が泳いでいる。それともフレッドたちを一瞥したのがそう映っただけだろうか。
「ここで話せ。何か問題か?」
そしてそれを察したのかサンドリアは敢えて出ていくことを拒んだ。兵は一瞬困ったようなそぶりを見せて、今度ははっきりと室内に居る連中を見回した。
「それがその……この場では大変申し上げにくいのですが……、クレス殿の所在について」
「クレスが、何だって?」
歯切れの悪い兵にけしかけたのはフレッド。誰も予想しない展開が始まろうとしていることに、薄々感づいていた。
「明け方小型の偵察船でベルトニア港を出港された、との情報です。まだ、調査中ですがその……口止めされた者がおりまして」
「……何だって……?」
サンドリアは目を丸くしてすっとんきょうな声をあげた。驚愕したのは無論他者も同様で、ルレオもミレイも第一声をあげそこねて、ただ固まっていた。
「昨夜の夜警を呼べ、事情を聴く……! 第三部隊は直ちに湾内を巡回、早急にクレス君を見つけるんだ!」
「サンドリア隊長」
若い兵が機敏に敬礼しようと足をそろえたところで、タイミングが良いのか悪いのかフレッドが抑揚のない声で場の空気を一転させた。異様なくらい冷静なフレッドが、焦るサンドリアを制する。
「……深追いはやめましょう。わざわざ口止めしたってことは、本人は追ってきてほしくない理由があるんじゃないですか」
 空気が、流れるのを止めた。視線はいつからかフレッドに刺さっている。がフレッドは目を逸らすこともなく至って平静を貫いていた。そしてそれはある特定の人物にとっては怒髪天のスイッチとなる。久しぶりと言えばかなり久しぶりに、彼がフレッドの胸ぐらを鷲掴みにした。毎度のことながら、そこに冗談めいた雰囲気は一切流れない。
「なあ。てめえが原因だとは思わねぇのかよ。明らかに昨日のお前らのやりとりは尋常じゃなかったぞ? どの面さげてその台詞が吐けるんだてめぇは!」
そしてそれがパフォーマンスでないことは、ルレオの力一杯に握られた拳──既に勢い任せにひかれている──を見れば明白だった。ミレイが事態を察して二人の間に割って入る。機に乗じてルレオの抑圧から逃れると、フレッドはやはり大したことないようなそぶりで首元を正した。
「もうっ! 二人ともやめてください! こんなときまで……! ……フレッドさん。私も、ルレオさんと同じ意見です。どうしてそんな冷たいことが言えるんですか? 追ってきてほしくない理由って何ですか?」
ミレイにしては早口で、これみよがしに非難の目を晒していた。フレッドは心外そうに肩を竦めただけでミレイの詰問に応えようとはしなかった。
 亀裂は今や仲間を巻き込んで広がろうとしている。フレッドはその原因を、考えることをしなくなっていた。こうなるきっかけは、いついかなるときも潜んでいたのだ。それが今さら顕わになったからと言って何も不思議がることはない。
 憮然とした態度を変えないフレッドと対照的に直情的なルレオとミレイ。見かねたサンドリアが助け舟を出した。
「まあ落ち着きなさい。君たちの気持ちは分かるが……フレッド君の言うことも一理ある。確かに彼女が何も考えなしに飛び出して言ったとは思えん。感情だけで事を起こすような人物でないことは私も理解しているつもりだよ」
サンドリアが少なからずフレッドを擁護しているのがミレイには意外だった。そもそもここでこうしてのんびり構えていること自体、彼女には違和感しか与えていなかった。ルレオの短絡的な行動の方がおよそ理解の範疇である。納得はいかないが、ここは言い返さない方がいいことを何となく察したのかミレイは懸命に唇をつぐんだ。
「……クレスくんはファーレンの護衛隊長だ。今は彼女を信じよう。私たちは、今私たちの成すべきことをするんだ」
 それはどこまでも重みのある言葉だった。クレスは自分の成すべきことを悟ったのだろうか──フレッドは脳裏をよぎった考えを打ち消すように、小さくかぶりを振った。
 


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