Drastic Measures Chapter 16

 ルレオがようやく部屋の前に辿り着き、ドアをくぐるなり梁にもたれて座りこむ。赤黒い血がドアと床に潰れたトマトのようにへばりついた。
「ル、ルレオ……」
シルフィが息をのむ。僅かな日の光しか入らない小部屋には、既に月明かりが差し込んでいた。
 ひとつ、大きくため息をついた。疲労や安堵の入り混じった濁った溜息を。そしてそれに見合った濁った咳をして、ルレオは静かに口を開いた。
「弾は……入ってんな?」
「あ、ああ。セットされてある。照準は……分からないな、俺じゃ」
薄暗い部屋で、フレッドは僅かな月明かりを頼りに確認をとった。
「よし、じゃあお前が撃て。導火線に火つけてぶっぱなすだけだ、能なしのお前でもそれくらいできんだろ」
「は? 何言ってんだよ。これこそあんたの得意分野だろ? だいたい弾は一発しかないし、失敗したらどうすんだ……っ」
「だから能なしだっつんだよ、分かりきったこといちいち聞くな、ムカつく! 失敗したらだあ!? んなもん決まってんだろ、全員死ぬんだよ! 嫌なら当てろ! たったそれだけのことだろうが!」
 それは理不尽なようでいて、正論だった。確かにルレオの今の腕では砲弾を撃つのは無理だろう、そんなことは百も承知だ。しかしその代役が自分に回ってくる、というところまでは頭が回らなかった。ルレオの能なし呼ばわりもあながち間違いとは言い切れないかもしれない。
「……俺が、撃つのか」
適当に頷くルレオ。フレッドは佇む大砲を親の敵でも見るように睨みつけた。
「こんなもん触ったこともないぞ。だいたい弓だって……」
煮え切れないフレッドに、ルレオがついに青筋を浮かべた。血が流れようが呼吸が苦しかろうが、出るものは出る。彼にとってこれは生理現象に等しかった。とりあえず十か所ほど出現させて、フレッドに無言の威圧を送る。
「だったらここで三人一緒に死ぬか? そんなの俺はごめんだね、お前と仲良く心中なんてどんだけ金積まれても願い下げだ」
そんな気はフレッドにだって毛頭ない。しかし確率も可能性もそちらに天秤を傾けていることは確かなのだ。
「なあ。……証明して見せろよ、俺に。あのときの大失敗を挽回してみせろ」
ルレオは俯いたままで静かに言った。
 考えたって仕方がない。フレッドは小さく息をついて大砲の照準を、合わせたこともないそれを自分のセンスだけを頼りにセットする。砲台をゆっくり回すと、狼の遠吠えのような不穏な音が途切れ途切れに鳴った。シルフィが気を効かせて大きなマッチを箱ごと手渡してくれた。内心ではどこかに全力で放り投げたかったが。
「時間がねぇ。後は任すから好きにやれ。……誰も恨みゃしねえよ。歴史の裏側なんざ、いつも誰も知らないまま終わるだろうが」
ルレオの妙な励ましが耳から耳へと素通りしていく。フレッドは渡されたマッチを一本取り出して、穴があくほど見つめた。小指の長さにも満たないこの棒きれが、城門さえ突き破る砲弾に火をともすのかと思うと寒気がした。
 そして同時に思い知る。自分が立つこの場所が、歴史の真裏であることを。
「時間が、ねぇ──」
ルレオがそこらに放り投げたままにしていたボウガンを手繰り寄せる。悠長に佇む(ルレオの目にはそう映った)フレッドの後頭部目がけて思いきりぶん投げた。鈍い音と共に見事に命中、やはりこの男の命中率だけはピカイチだ。
「──っつってんだろうが! いつまでもモタモタしやがって……、泣いても笑っても弾は一発しかねぇんだよ! 死に物狂いで当てろ!」
頭を押さえるだとか、振り向いて文句を言うだとか、そういった反射的な動作を一切合財省いてフレッドはマッチに火をつけた。こういうのは勢いだ、勢いさえあればいい。一瞬たりとも間をおかず、フレッドは煌々と燃える火種を導火線にかざした。
「シルフィ耳ふさげ! あと体支えてろ、すっ転ぶぞ!」
「ええ!? こ、こう?」
 フレッドが躊躇した時間を取り戻すように、火は全速力で導火線に沿って走る。その行く末を見届ける手前で三人は目をつむった。期待と不安と祈りと懺悔を繰り返し胸中で呟きながら。
 ── ドォォオォォォォン!! ──
 地響きと轟音、そこら中のものが狂ったように振動し、やけにリズミカルなシルフィの喚き声なんかが最後まで響き続けていた。落ち着いたのは、揺れが収まってから数分後。
「……おさまったみたい。ありがと、フレッド! 庇ってくれてっ」
シルフィの満面の笑みが始めに視界に入る。はっとして、すぐに木端微塵になった窓から外を見渡した。漂う砂煙が視界を遮り、すぐには状況を把握することはできないようだ。苛立ちを募らせている最中で、半ば忘れかけていたルレオの安否がふと気にかかる。
「おい、大丈夫か?」
近寄ってかがんだ瞬間にもろに鳩尾に蹴りを入れられて呻く。むせながら恨みがかった視線をルレオに向けた。
「何のつもりだよっ。人がせっかく心配してやってんのに……っ」
「気色悪いって言ったろ。これでも褒めてやってんだ、ありがたく思えよ」
「これのどこが……」
言いかけてフレッドは咄嗟に口をつぐんだ。微かに誰かの話声が聞こえる。息をひそめる代わりに耳をすませた。小さな会話はやがて大きくなる。
「兵をかき集めろ! 何者かによって城門が破壊された、繰り返す! 兵をかき集めろー!」
フレッドとシルフィが、座り込んだままで顔を見合わせた。
「ベルトニア軍が勢力を増し城門を突破した模様! ラインのベルトニア軍に気を取られ過ぎたようです……!」
フレッドとシルフィ、今度は同時に顔がゆるんだ。ルレオをもようやく、本当の意味で安堵のため息を漏らす。次の瞬間にはロリコンカップルが声を殺して抱き合っていた。
(キャー! キャー! ついに熱い抱擁だわ! しかものこの感動の場面でっ。やっぱりこのままいくと……初キッス?)
「よっしゃ!」
フレッドは掛け声とともにさっさと立ち上がると、ルレオに手を貸す。少女は未だ幸せな妄想に浸っていたがそれもそう長くはもたなかった。
「シルフィ、何やってんだよ。外出るぞ」
「え? あ、はぁーい……」
呆気なく砕かれた甘い夢の世界に後ろ髪ひかれながらシルフィも立ち上がった。
 砂煙も随分晴れていた。が、それは晴れてはいけない暗幕だった。幕が上がる。そして始まるアンコールの舞台、絶望という名のエピローグ。
「こりゃもう駄目だな。残念だったな、英雄になりそこねて」
肩を貸してやっているせいで、何とも身も蓋もない皮肉がすぐ耳元で呟かれた。
 フレッドはただ茫然と立ち尽くしていた。夜空に浮かぶ目映い光の粒、それが星でないことはすぐに分かった。上空に浮かんでいるのは百を越えるファーレン艦隊。ルーヴェンスを乗せているだろう母艦を取り囲んで、扇状に広がっている。三人は不謹慎だとは思いながらもその光に目を奪われていた。




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