Drastic Measures Chapter 16

 もし矢が尽きたらどうなってしまうのだろう──胸中でフレッドは恐ろしい想像を巡らせて、慌ててかぶりを振った。一番焦っているのはおそらく本人だ、口数が目に見えて少ない。
「何見てんだよ、やっぱり僕戻りますとか言ったらたたき殺すぞ」
「……やっぱり」
「あぁ? 言うなっつってんだろ! マジでぶっ飛ばすぞお前!」
間髪いれずにつっこんでくるルレオに苦笑しながらも、フレッドは走る速度も腕の力も緩めないよう集中した。
「やっぱり、あんた一人ほっとけねぇよ。矢が無くなったら丸裸だろ。……さすがにルレオに死なれちゃ夢見が悪い」
前方を走るルレオの反応はフレッドには分かるはずもなかったが、彼は驚愕におののいていた。言われ慣れていない言葉を、言われ慣れていない相手に言われることほどむず痒いことはない。赤面するならまだしも、ルレオは瞬間的に青ざめて身震いした。
「気色悪いこと言うな! だいたいいつ誰が死ぬって? 縁起でもねぇこと次から次へとポンポン言いやがって。安心しろ、俺は絶対死なねぇ。立派な盾が二人もセットでいるからな」
「誰があんたの盾よ! シルフィはぜーったい、あんただけは庇ったりしないんだから!」
走りながら耳を塞ぐルレオ、それで体勢を崩さないのだから器用だ。
「あ、でも安心して。フレッドはあたしが全身全霊をかけて守ってあげちゃうからねっ」
「そりゃ頼もしいな。よろしく頼むぜ、チビ姫さん」
「任せといてっ!」
 ルレオが再びボウガンを構えなおす。それに続いてフレッドも空いた方の手で剣の握りを確かめた。直にラインの出口だ。前方に差す西日がそれを教えてくれた。
 ゴールでもスタートでもない、国境・ラインの終わりを三人は跨いだ。
 派手に葉のこすれる音がした。それと共に鬱蒼としたけもの道から飛び出して、ファーレンの土を踏むフレッドとルレオ。遠方にこだまする咆哮と砲弾の音に一瞬間だけ立ち止まる。二人とも肩で息をしていた。
「分かってんな。一気に街中突っ走って〝猫じゃらし亭"まで、だぞ。途中ではぐれてもとにかくそこに行け。チビは絶対離すなよ」
早口にそう呟くと、ルレオは返事も待たぬままスタートを切った。
「走れ!」
フレッドは言われた通り走った。脳に血液と酸素がきちんと配給されているのかが不安だったが、今は下手に思考回路が活発で無い方がいいのかもしれないと開き直る。
「出たぞ! テロリストだ! 弓兵撃ち方用意、騎兵隊、突撃!」
やけに至近距離で叫ばれる命令を他人事のように流して、二人はとにかく走った。足を止めれば何もかもが終わる気がした。やはりこの場合、脳は一旦停止してくれた方が都合がよさそうだ。諦めや、恐れや疲れ、たくさんの気がかり、それらについて今は一瞬でも心奪われるわけにはいかなかった。
「撃て撃て撃て! 奴らの進路を塞げ!」
十、二十……そのあたりでフレッドは弓兵を数えるのをやめた。抜刀した勢いそのままに、放たれた矢を撃ち落とす。すぐにルレオの視線を送ったが要らぬ心配だったようだ、見事に矢の雨をかいくぐりながら、進路前方に刺さった矢をこれ幸いと回収している。
「矢ってのは、当てなきゃ意味がねえんだよ!」
惜しんでいる場合ではない、回収した僅かな矢をすぐさま撃ち返すと残数が目に見えるストックに手をかけた。と、そこへフレッドが躍り出る。
「いつものケチ癖はどこ行ったんだよっ。こんなときばっか景気よく飛ばしやがって!」
「あ? 何だとてめぇ!」
「いいから黙って後ろついてこい! 俺が何とかする!」
速度を上げてルレオを追いぬく。そのまま弓兵の隊列の中へ突っ込んで豪快になぎ払った。次に待つのは重装の騎兵隊だ、ルレオに先陣をきらせるわけにはいかない。こちらが距離を詰めるまでもなく、甲冑で身を包んだそれは馬を走らせ一瞬でフレッドの前に現れた。結局はルレオが大量の矢を放って戦馬から引きずりおろすことになる。
「撃ちすぎだ!」
「うるせぇ! 前見ろ!」
 できるだけくだらない、できるだけ楽なことを考えるように努めた。その上で、ルレオとの表面上のやりとりは絶大な効果があるように思われた。言うなれば普段通りなのだが。
 馬を失った重装兵にはそれでも弱点らしき弱点はない。大きく振りかぶった剣先、それを見つめながらフレッドはまたひとつくだらないことを思いついていた。
(こいついい剣使ってんなあ。騎兵隊ってただでこんなの支給されんのかよ……)
対峙しながら悠長に品定め、同時に相手の業物が槍だの斧だのでなかったことに胸をなでおろしてもいた。大振りの一撃を交わし、そのまま懐に飛び込む。相手の腕が戻る前に頭部甲冑と重鎧の間に剣を突き刺した。諸に生温かい血の洗礼を浴びた。頸動脈を貫いたのだから当然と言えば当然だ。
「ルレオ! 狙うなら首だ!」
絵具をぶちまけたように飛び散った赤色を、覆い隠すように西日が肌を照らした。空も人も自分自身すらも、皆赤い。しかし、この血の匂いと生ぬるい感触と、剣を伝って腕に残る確かな手ごたえは誤魔化しようがない。
「簡単そうに言いやがって……!」
ルレオは眉をしかめて、フレッドの後に続いた。
 ファーレン城下にある宿〝猫じゃらし亭"にサンドリアがあらかじめ送り込んでいた間者がいる。隠し部屋には城門を打ち破るための砲台があり、それをルレオがぶっ放すというのがおおよその作戦だった。サンドリアの話では、砲弾はベルトニア最強のもので城門だけでなくその先数百メートルは突き破ってくれるだろうとのことだった。ベルトニア最強という肩書が、このファーレンでどこまで通じるかは疑問だったが全てはその砲弾に託すしかない。
「ルレオ! 横──!」
戦場には似つかわしくない、シルフィの甲高い声が鳴った。痛みに、というよりは一連の理不尽さに嫌気がさしてルレオは極限まで顔をゆがめた。右腕をものの見事に串刺しにしてくれた騎兵隊の剣に唾を吐きかけた。無理やり笑みを作ろうとして、それを途中でやめる。ボウガンを左手に持ち替えるとそのまま騎兵隊の首元にねじこんだ。
「これでも食らっとけ!」
引き金を引いた直後、ルレオの腕には普段の数倍重い反動が返って来た。撃った直後に標的を貫いたのだから無理もない、剣だけを残して崩れる重装兵の下敷きにならぬように嫌悪感丸出しの顔のまま一歩退いた。それが最後の矢だった。ルレオは肩に刺さった鋼の剣を力任せに引き抜いた。その瞬間地面にこぼれたのが自分の血液だということも頭から飛ぶほど、意識が朦朧としていた。呼吸の仕方を思い出すまでに時間がかかった。
 ザシュッ──かすむ視界にまた血が舞う。自分の背後で崩れ落ちる重装兵と血相を変えて駆けつけたフレッドを目にして、ルレオは口元をひきつらせて笑った。
「何偉そうに人助けなんかしてんだ。……これで貸しでも作ったつもりなら大間違いだぞっ……」
「その状態で言えた台詞かよ。走るぞ……! くたばられちゃこっちが迷惑なんだよ、……走れ!」
無理やりにルレオを引きずり立たせて、フレッドは走った。
 まさか、と思った。殺しても死なない男が本当にいるのだとしたら、まさにルレオのことを言うのだと、そう思い込んでいた。疲労と出血で全く力が入らないらしいルレオの片腕を自分の肩にまわして、フレッドはなりふり構わず突き進む。戦場を無言で駆けるシルフィ、皮肉すら吐いてこないルレオ、いつも通り美しく暮れていく空、全てがミスマッチだ。そして、こうして血にまみれた足で立っている自分が一番の異物であることに気づく。
 ねこじゃらし亭の扉をぶち破って店内に倒れ込む。両腕がしびれを通り越して感覚を無くしている。三人とも転がるようにして座り直すと夢中で息をした。
「も、もう平気……? あいつら、追っかけてこない……?」
「城とは反対方向だからな……。とりあえずは、大丈夫だろ、……って、おい!」
立ち上がってずんずん奥へ進むルレオを慌てて呼び止めるフレッド。血のしずくが短い間隔で床に落ちては飛び散って、ルレオの後を追っていた。 
「……死なれたくなかったらさっさとしろ……っ。安全な場所なんてもうとこにもねぇんだよ」
血の気の失せた顔ですごまれても、フレッドの胸中には別の意味で不安が広がるだけだ。言われるままに奥の部屋へ足を踏みいれた。誰もいない、けれど大砲は厳かに構えてそこで彼らを待っていた。



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