Carnival Chapter 18

 ファーレン奪還から三日が過ぎた。正確に言うと、ベオグラードが玉座を取り戻したよ宣言をしてからこの王国復興演説までの期間、それが三日だ。王都は随所に戦火の名残が見られたが、この短い期間で〝見てくれ"だけは修復された。ファーレン国民は失われたあの日──王位継承前夜祭の仕切り直しと言わんばかりに歌い、踊り、笑いあっていた。
 今日というこの日はファーレンの新しい始まりの日だ。その歴史上明らかに重要な日に、フレッドは歌うでもなく踊るでもなく、ついでに言えば笑顔もなく、ただ滝のような冷や汗を流して俯いていた。見慣れない大理石の床に映った自分の浮かない顔ばかりを見つめ続ける。それを後ろから見ていたルレオが、わざとらしく鼻で笑い飛ばした。
「今さらおじけづきやがって! さっさと行けよ、蹴られてぇかっ」
「そっちこそ他人事だと思いやがって……! だったらお前が行けよ! 思う存分目立って来い!」
 ルレオは小さく肩を竦めただけでそれ以上反論してこない。フレッドとしては、できる限りルレオを使って時間稼ぎをしたいところだったがそれもままならなかった。
 二人はいわゆる正装で、ファーレン城内に用意された個室の中を落ち着きなくうろうろしていた。とりわけフレッドは髪の毛一本一本まで念入りに梳かされて、口さえ開かなければどこから見ても貴族のご子息様と言った風貌だ。
「フレッド、準備はいい? そろそろ予定時間なんだけど」
クレスがノックも無しに不躾に部屋の扉を開けた。そしてフレッドの姿を目にするなり含み笑いをこぼす。
「なかなか王様らしいわよ、そうしてると」
「そいつは褒めすぎだろ。せいぜいこじゃれた羊飼いってところだな。……いや、待てよ。後ワンアイテム足せば立派な国王になれるぜ! 白タイツ族のこくお……」
自分の発言に大ウケして言葉を詰まらせるルレオ、その右腕は包帯でぐるぐる巻きの上添え木で固定されているため満足に腹を抱えることもできない。代わりとばかりに余った方の左手で机上を何度も連打した。数日前まで瀕死の重傷だった奴だとはとても思えない。
「バカは放っておいて行くか……。そういやベオグラードさんは?」
「……下で聴きたいんですって。物好きというか、悪趣味というか。だいたい『これ』もベオグラードが言いだしたんでしょう? 断っても良かったのに」
「あんな風に言われちゃあなぁ……」
 ──唐突に話は持ちかけられた。昨日、ファーレン城内で負傷者の手当てに回っていたときのことだ。
「民の要望でな、明日ファーレン復興祭をやるそうだ。そこでお前に頼みたいことがあるんだが、引き受けてくれるか」
ベオグラードの頼みごとにろくな例がなかったことに、その時点で気付いてはいた。しかし話を聞いたが最後、首を縦に振らせるのが彼の得意技なのだ。
「フレッド、お前にこのファーレン王国の国王として復興演説をしてもらいたい。民衆の前でな」
「はあ? 馬鹿げたこと言わないで下さいよ。俺が王位持ってること知ってんのはごく一部の人間なんっすから、わざわざ広める必要ないじゃないですかっ」
すぐさま反論したのは悪くなかったが、その時点でもはや手遅れだった。フレッドも薄々勘付いていたせいか声が裏返っていた。
「その通り。無かったことにするのは簡単だ。が、国民にも知る権利がある。それにこの戦いに勝利できたのは俺たちだけの力じゃない。そこだけは……お前にも分かってほしいと思ってな」
虚ろな目をして遠くを見つめるベオグラードに向けて、誰ならノーと言えただろうか。例えそれが見え透いた演技だと分かっていても。
 そうしてフレッドは半ば強制的に、この一世一代の大仕事を引き受けることになった。貴族でもないものが城内に入ることすら稀なファーレンで、よりにもよって王家の人間しか立ち入らないバルコニーに向かってふらふらと歩を進める。人々の統率のない雑談や笑い声が耳に入ってくるようになると、フレッドはより一層肩を落として深い溜息をついた。クレスが苦笑する。項垂れるフレッドの襟元を景気づけとばかりに整えた。
「今さらでしょ? ほら、リラックスしてっ」
子どものピアノの発表会、楽屋裏で活を入れる母親のようなノリだ。フレッドは深呼吸して、やけくそ気味に腹をくくった。
「行ってきます」
 ワーー! ──歓声。バルコニ-にフレッドの姿を認めると皆一斉に声を上げた。こういうときは、示し合わせてもいないのにやけに息がぴったり合う。空は、共にファーレン復興の喜びを分かち合うかのようにひたすらに青い。快晴の下でフレッド見たさに敷き詰まった人々の群れの中に、ベオグラードを見つける。隣にリナレスや、ティラナの姿もあった。目があったようなきもしたが、フレッドはすぐに前を向いてもう一度深呼吸した。やがて歓声が収まり、辺りは不気味なほどの静寂に包まれる。民は、国王の、第一声を静かに待った。
「俺は……」
こういう場合一人称はかしこまった方が良かったのか? ──脳裏に今さらどうでもいい不安がよぎった。よぎって、高速で通り過ぎる。
「俺は、国王でも英雄でもない、ただの……本当に普通の人間です。みんなが期待して集まるような理想の国王なんかではない、普通の、人間です」
 ざわめきとどよめきが静寂を裂いた。不意にベオグラードを見やると、彼は真剣な眼差しでフレッドを見据えていた。それがフレッドの背中を後押しした。
「確かに俺は、王位継承の儀を行ったし、事実上王位は俺にある。でもそれは、本当に偶然だった。結果的にはそれがルーヴェンスの王位継承を阻止することにはなったけど、実際それは大した意味を持たなかった。今回の内乱は、どっちにしたって避けられなかったものなんじゃないかって、今は、そう……考えています。たくさんの人が死んだし、この中にも親しい人……家族や、友人を失った人もいると思うんだ」
 また静寂が一帯を支配した。先刻と違うのは、皆興味本位や冷やかしの気持ちが失せていたことだ。時折どこかからすすり泣きが聞こえる。
「だけど、失ったものがあったからこそ、俺や俺の周りの人たちは逃げていたものに立ち向かうことができた。見えていなかったものに目を向けることが、できた。それはそこに居る、ベオグラード隊長や、一緒に戦ってきた仲間、家族、それにベルトニアの人たち……そしてこの国のみんなが支えてくれたからだと思う。俺は国王じゃない、ましてや貴族でもないけどファーレンを変えることができた。みんながそうなんだっていうことを、分かってほしい」
 気持ちがいつのまにか、随分と楽になっていた。ベオグラードは「ファーレン国王」としてこの場所に立てと言ったが、フレッドは直前、いやこの場所に足を踏み入れてからなおさらそれ不可能であることを思い知った。彼は紛れもなく現時点のファーレン国王だったが、それ以上にただのファーレン国民であり、ただの人間だった。
「最後にひとつ、約束をしてください」
何度目かになる深呼吸をする。肺はおろか、ありとあらゆる器官を空気で満たしていないと酸欠で卒倒しそうだ。
「これからファーレンはまた変わる。だけどそれはもう戦争や独裁でじゃない。俺たちひとりひとりの手で変えていくんだってこと、どうか忘れないでください。……ご静聴、感謝します」
フレッドは一礼したかと思うとそそくさと踵を返し、徐々に加速、逃げるように城内へ駆け込んだ。顔面から火が出そうなくらい熱い。どこか人目につかない遠くに穴を掘って、一年間くらい埋まっていたい気分だった。
 パチ、パチ、パチ──手拍子ともとれるのんびりとした拍手が、フレッドの傍らから飛び込んでくる。壁に預けていたからだを起こして、クレスがゆっくりこちらに寄ってくる。
「お疲れ様。良かったわよ、……思った以上に」
「それは、どうも」
照れるほか反応のしようがない。ファーレン城内に居ながらにして、少しも動じることのないクレスはやはり王職の人間なのだと、ふとそんなことを思う。
 次の言葉をかけようとした矢先のことだった。
 パチパチパチパチ──クレスではない。かぶりを振っている。拍手は背後から、それも一つ二つではない。始めの一人を皮きりに次々と手を打つ者が現れる。フレッドとクレス、双方顔を見合わせた。いつの間にか歓声と指笛も入り乱れて飛び交っている。
「いいぞー兄ちゃん! 上手いこと言うじゃねぇかー!」
「ファーレン万歳! ファーレンばんざーい!」
見知らぬ声がフレッドの名を呼んでいる。暫く放心して聞き入っていたが、隣にクレスがいるのを思い出して再び赤面した。口元を手のひらで覆って何とか誤魔化そうとするフレッドを、クレスは笑いながら見ていた。
 国王ではないと言った国王へ贈られる人々の歓声を、二人は不思議な気持ちで聞いていた。



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