しばらくのんびりと散歩をしていると、この島にはいささか不似合いな芝生の広原に出る。丘陵になっているらしく数メートル先が見えない。ギアは、丘の中心と思われる位置までさっさと歩き憮然として周囲を一瞥した。ミレイも追い付いて、同じようにぐるりと周囲に目をくばる。と、隣の男が今度は懐から火薬をとりだした。
「ギアさんっ、何するつもりですか! そんなもの出して……!」
ミレイはギアの掴めない行動に眩暈を覚え始めていた。この男なら何か些細なきっかけで島ごと爆破しかねない、既に彼女の中ではギアの存在は果てしなくぶっとんだものになっていた。
「まあ、見てなよ」
軽快なステップで丘をくだる。ミレイは言われるまでもなく、その場でおろおろするだけだ。下手に止めに入って爆破されたのではたまらない。
ギアが火薬を仕掛けたのは、広原と森との境にあるやけに形の整った岩だった。石碑と称したほうがいいのかもしれない。そんなものが何故こんなところに仕組まれたようにそびえたっているのか、考えている僅かな間に、それは木端微塵にはじけ飛んだ。鈍重な爆破音で、森の生物たちが騒ぐ。
「なんなんですか……結局」
「おそらくこの島は」
何ごともなかったかのように丘の頂に戻ってくるギア。ミレイのぼやきを逃さず快く説明する。
「島全体がいわゆる〝魔方陣"として存在してるんだ。さっき爆破したような石のモニュメントがこの島の各所に配置されていると考えていい。陣を結ぶための点を破壊したことで、魔方陣が崩れる、この島の魔法も解ける、そういう寸法」
「まほう、ですか……一体何の」
ギアの口から「魔法」という単語がごく自然に使われたことに、違和感を覚える。しかし人によっては「予言」も非科学的で超自然的なものだ。腑に落ちる一歩手前くらいでミレイは右往左往していた。
「さっきの森」
そう淡々と言いながら目の前の森を指さす。
「俺たちが墜落したところを森の入り口とすると、ここが出口に当たる。距離はさっき海岸線を歩いたからだいたい分かるね? フレッドたちが帰ってこないのは、この森がループしてたからだろう。『そういう類』の違和感が入り口にはあった。ま、こっち側から迎えに行けばどっかで出くわすでしょ」
(今『墜落』って言ったな……)
ミレイは極上の愛想笑いで分かった振りをすると、胸中でギアの上げ足をとりながら黙って後を追った。
森へ入ってそう経たないうちに、申し訳程度だった道幅が開けた。進めば進むほど、空に蓋をしているように密に生い茂っていた木々が、徐々に背丈を縮めていく。そのうちミレイの肩くらいの低木しかなくなり、二人は先ほどとはまた趣の異なる広場に出た。
白い、神殿を思わせる柱がサークル状に配置されている。それは先刻、ギアが木端微塵にした石碑、いやそれ以上に人為的で人工的だった。
「やあ、フレッド。何かおもしろいものでも見つかったかい?」
気づかぬ間に上り坂になっていたらしい、ギアの視線の先には手持無沙汰に突っ立っているフレッドとシルフィ、そしてゆがみのない水平線が見える。
唐突なギアとミレイの出迎えに、先客の二人は動じることなく一度こちらを振り向いただけだった。
「儀式殿に似てる。……この柱の立ち方とか」
「その意図に近い場所ってことだ。でなきゃご丁寧に『超自然の警備システム』なんかつけるわけない。少なくとも部外者おことわり、ってことだろう」これにはさすがにフレッドも、少しだけ驚愕を顔に出した。なるほどいきなり森から出られたのは、彼の何かしらの行動によるものだと理解する。
鼓膜をかすかに揺らす波の音、水平線に沈む夕日、この場所は不自然に絶景すぎる。その広場の中央には小さな石碑がある。シルフィがしゃがみこんで、目を皿にしてそれを覗き込んでいた。
「で、何か分かったのかい」
誰ともなく訊いたせいか、フレッドもシルフィも応答しない。ギアは諦めて肩を竦める。フレッドがおもむろに石碑に近づいて、シルフィの隣にしゃがんだ。
「シルフィの一族……〝ラインの守人"のつくったものみたいだな。この紋章、時計の蓋に刻まれてたやつと同じだ」
勾玉を点対象に二つ組み合わせたような紋章──強いて言うなら「渦」のようだ。混沌か、時間か、あるいは次元だろうか、それが何を意味するのかここにいる者には分かるはずもない。その紋をはじまりとして、石碑には象形文字が刻まれている。シルフィはそれを真剣に見つめていた。
「もしかして読めるのか?」
頷くシルフィ。そうなると気になるのは、同じように石碑に見入っているギアだ。
「ひょっとしてギアも……読めたりする?」
「多少はね。公にされてない文字だから読めないところの方が圧倒的に多いよ」
フレッドは微々たる疎外感を覚えつつ、もはや何でもアリのこの男の存在に諦めに似た感情を覚えていた。こうなると知り合いに宇宙人がいて、などと話をされても全く動じない自信がある。というより、ギア自体が宇宙人なのかもしれない。くだらない想像を膨らませては、光る眼鏡にわけのわからない恐怖心を抱き、フレッドはそそくさと視線を逸らした。
「世界大戦のときに造られた神殿みたい。追いつめられたラインの守人たちがここへ逃げてきて、隠れてたんだって」
「世界大戦って、随分古いな……。他には? ラインのこととか、時間魔法のこととか、書いてないのか」
シルフィが一瞬身を強張らせたのを、フレッドは見過ごさなかった。失言をしたつもりはない。しかしシルフィからの返答もない。
「……シルフィ? どうした?」
言葉の空白を埋めるように、風が通り過ぎた。潮の香りが鼻腔をくすぐる。なびくシルフィの長い髪がフレッドの視界をゆらゆら揺らした。彼女は思いだしたように石碑に目をやり、かぶりを振った。
「そういうのは……ない。ラインの守人の生活とか村の掟とか……〝時間魔法の正しい使い方~初級編~とかはあるけど」
なんじゃそりゃ──残りの三人が共通して持った感想である。あつらえ向きの絶景に、神殿めいたものまでこしらえて、祀った内容が地方の回覧板並では無理もない。目に見えて不信感をあらわにする三人に、慌ててシルフィが続きを解読する。
「あ!」
「なんだ!」
再び期待を寄せて、石碑にへばりつくシルフィに注目した。皆、息をのむ。
「〝丈夫なカヌーの作り方~これで魚が連れ放題!~" ……?」
シルフィ自身、語尾に疑問符を浮かべる。おそるおそる振り向くと、死んだ魚のような目をしたフレッドが口元をひきつらせながら無理やり笑っていた。シルフィも愛想笑いで誤魔化す。
「……それも初級編か?」
「う、ううん。……上級者向け、だって」
フレッドの笑顔はより一層嘘くさいものに変わる。と、機敏に立ち上がって踵を返す。
「骨折り損のくたびれ儲けってやつだね~」
そういうことで、ギアの他人事のような明るさがフレッドの苛立ちに拍車をかけた。対してシルフィは無表情のまま何か思考を巡らせているようだった。
「ここにかけられてた時間の結界は、壊しちゃって良かったのかな……」
壊したのはあくまでギアだが、そうしないとここに辿り着くどころか脱出することもかなわなかったのだから連帯責任だ。これも当のギアが一番他人事のように乾いた笑いを放っているから腑に落ちない。
「深く考えんなよ。あれを残してたってことは、誰かに自分たちが生きてたことを知ってほしかったからだろ。……しかも外の奴らにはわざわざ発見できないようにしてた。あれは、お前のために残された石碑なんだよ」
フレッドは肩越しに振りむいて、左手を後方に伸ばした。小さく手招きしてシルフィを呼び寄せる。シルフィは跳ねるように小道をかけてその手にしがみついた。
「そっかな。じゃあちゃんと、見てあげられたよね?」
「そういうこと。カヌーを作るかどうかは別としてな」
毒づくフレッドに、シルフィは満面の笑みでこたえた。フレッドが半ば無意識にシルフィの手を引くようになっていることに、嬉しいような、愛おしいような──それがなぜか少し切ないような──そんな胸の痛みがあることを、シルフィは初めて知った。