Silent Affection Chapter 20

 ファーレン本土ウィームの村。ルーヴェンスの襲撃により多大な被害を受けたこの村の復旧作業はお世辞にも進んでいるとは言えない。それだからこうして王都から兵を派遣している。積もった灰の除去や、倒壊した家々の建て直しなどは決して楽な仕事とは言えない。そんな超肉体労働を、クレスは村の力自慢たちに混ざってこなしていた。滝のように流れる汗を適当に拭いながら、木材を肩に担いで行ったり来たりだ。
「……ってちょっと! なに堂々とさぼってんの? ベオグラードからお金もらってるんでしょ、真面目にやりなさい!」
納屋の軒下にどっかりと腰を据えて、ルレオはクレスの働きぶりを感心して観察していた。彼は(自主的な、更に言えば何度目かの)休憩中だった。一番やかましい女に呆気なく発見されてしぶしぶ腰を上げると、気だるそうに寄って来た。そして思いきり嘆息する。
「あのねえ……」
何か言おうとしたらしいが、諦めてクレスも嘆息を返す。と、急に肩が軽くなった。担いでいた木材を、ルレオが文字通り肩代わりしていた。クレスよりは幾分平気そうに担ぐ。
「効率悪ぃ。どう考えたって女が担ぎまわる重さじゃねえだろ。お前あっちで塗装でもやってろ、はい、散った散ったっ」
何が起こったか分からず数秒目を丸くするクレス。それがどうやら、とんでもなく遠回りした気遣いだということを察するまでに更に数秒を要した。
「あ、ありがと」
それに対する応答はもはやなく、ルレオは無言で木材を運ぶ。軽くなった肩を回しながらクレスは含み笑いをこぼしていた。村の年長者の指示に、素直に従うルレオは無償に笑いを誘う。
「あっれー、クレスさん。お久しぶりですね」
 振り向くとニースが籠いっぱいのトマトを抱えて、よろよろと手を振っている。灰に埋もれた畑も多い中でニースの家が所持する畑はむしろ勢いを増しているようだ。警吏の職務よりも畑仕事の割合の方が多いくらいである。
「お久しぶり。元気そうね? 仕事は順調?」
「それはもう! いつにも増していいカンジ! あ、どうです? 昼ごはんのお供に」
そばかす顔がやわらかく微笑んで、色つやの良いトマトを差し出してきた。どうやら彼の思う「仕事」は今のところ本当に畑関連らしい。クレスの意図とは少しずれていたが、それはそれで別段不都合があるというわけでもなかったので流しておいた。
「そうね、ひとつもらおうかな。本当にいい色ね」
二ースが選び抜いた真っ赤なトマトを受け取ってまじまじと見つめる。太陽光とクレスの顔を同時に反射してきらりと光った。
「がぷっと、そのままかぶりついた方が美味いですよ。取れたてはかぶりつくに限るっ」
力説するトマト売りのお兄さんにしたがって、クレスは思いきりよくかぶりつく。弾力のある果肉から甘酸っぱい果汁が溢れた。シャクシャクと歯切れのよい音が響く。
「うんっ、おいしい」
「クレスさんにそう言ってもらえると嬉しいっすね。こんなので良かったらいつでも食べに来てくださいよ」
最後の一口を頬張って、クレスもにこやかに頷いた。と、会釈して立ち去ろうとするニースを何を思ったか呼びとめる。
「あの、もうひとつもらえない? 凄く美味しかったから」
「え? ああ、もちろん構いませんよ、はい」
戸惑いながらも快くトマトを手渡す。クレスは礼を言って、もと来た道を戻っていった。
 熟れたトマトをたった一つ持って、鼻歌交じりに歩くクレスを後ろから追う少女がいる。木片だの、それに塗る染料だの、その他諸々の工具や瓦礫が散らばった道は、彼女にとってはけもの道以上の難関だ。
「クレスさん! クレスさーん!」
追いつくことを諦めて大声で叫ぶ。両足の代わりをする二本の杖は、砂利の上ではほとんど役立たずである。クレスが急いで駆け寄った。
「マリィちゃん、だったよね? 呼んだ? 私?」
「あ、はい。そろそろお昼休憩ですよね? 良かったらうちで食べませんか? フィリアさんが、あ、えーっと、お義姉さんが是非って。お父さんも喜ぶし」
 一瞬。自分でも気づくか否かの刹那、顔が凝固した。マリィの口から飛び出した名には聞き覚えがある。フレッドの口から、いつも躊躇うように呼ばれていた名だ。クレスはファーレン城の地下牢から、彼女を救出してもいる。
「クレスさん?」
「あ、うん。ありがとう、お言葉に甘えさせてもらおうかな。……連れも一緒にいい? 今呼びに行くところだったんだけど」
「もちろんですっ。ルレオさんでしょう? 支度して待ってますから」
マリィは屈託のない笑顔を返すと、器用に平らな地面を選んで踵を返した。
 胸が少しだけ痛む。フィリアの名を聞くたびに──口にするたびに──条件反射のように作られていたフレッドの切ない横顔を、クレスは知っていた。それが伝染したのだろうか。そうでなければ誰かの、それもほとんど面識のない人間の名前を聞いただけで胸が締め付けられるとは思えない。平静を保とうとすると、今度は空虚な感慨が襲うだけだ。
「おいコラ姉ちゃん。道のど真ん中で突っ立ってんなよ、蹴り飛ばすぞ。飯食わねぇのかよ」
伝染性のセンチメンタル気分に浸っていたのが約5秒、ルレオの登場でクレスの胸中はあっさりお粗末な色に塗り替えられた。その粗雑さが、今は多分に有難かった。
 クレスは半眼でニースにもらったトマトを差し出す。
「知り合いにもらったの。凄くおしかったから、ルレオの分ももらってきた」
「ふーん。サンキュー」
ルレオも負けじと半眼でそれを受け取る。いや、こちらは自前であり通常仕様だ。とにもかくにも、先刻からルレオに何一つ普段と異なる言動はない。にも関わらず、クレスはと言えば今度は青ざめてルレオの顔を下からのぞきこんだ。ルレオがトマトにかぶりついたまま、目を丸くしたのは言うまでもない。
「何なんだよさっきから! 気色悪ぃな!」
「何でも……。ただどっかで頭でも打ったのかなぁと思って」
「はああ? ケンカ売ってんのか!」
クレスは苦笑して肩を竦める。小さく嘆息して、黙ってトマトを食べる男に微笑した。
 ルレオが素直に礼を述べるのを、彼女はここにきて初めて耳にした気がした。実際初めてかどうかは分からない。この男はどうやら、いついかなるときも〝通常運転"で生きているのだ。それに気がつくまで随分長い(無駄な)時間を要した。
「そうだ、お昼の話だけど。フレッドの家の人に呼ばれてるのよ。ルレオも是非、だって」
「は? フレッドん家? 願ってもねーな、昼飯代が浮くっ」
できることならこの下ごころだけはマリィたちに見せてほしくない。今度は深々と嘆息してクレスは肩を落とした。
 ルレオとのやりとりで散らかっていた心は誤魔化せたように思えたが、いざ家の前までくるとまたも複雑な感情が胸中で渦巻く。それをあっさり打破してくれる、空気を読まない男、ルレオ。適当な挨拶で以て警戒に扉を開けた。
 ダイニングに食器を並べていたマリィが、こちらに気づいてお辞儀をする。そしてまたいそいそとキッチンに向かう。入れ替わりにエプロン姿の若い女が、これまたいそいそと出迎えにきた。
「いらっしゃいっ。クレスさんに、ルレオさん、でしょう? あがってあがって、すぐ出来るから」
(あ、れ……?)
思わず押し黙るクレスをよそに、ルレオがまた適当な返事をする。ほとんど初対面に等しい二人に、フィリアは気さくに笑いかけて少しも気取った素振りを見せない。しかしそこには気品のようなものがある。整った顔立ちで愛想よく笑われると、男女問わず見惚れてしまう。
(なんか印象が違う……)


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