Silent Affection Chapter 20

 一歩足を踏み入れると、家の中は柔らかく温かい。彼女の笑顔がその空気を作っているように感じた。クレスの記憶の片隅に残っているフィリアは、もっと、ただただ儚い女性だった。触れただけで粉々に壊れてしまう、繊細なガラス細工のような人だと思っていた。
「おっじゃましまーす」
一応断りを入れただけマシであろう、わき目も振らず食卓に向かうルレオにクレスが今度こそ大きく溜息をつく。
「お疲れ様、ふたりとも」
フィリアが気を利かせて、まず水を持ってきてくれた。それからすぐにスープ、色とりどりのサラダ、大皿に盛られた案外に豪快なパスタが運ばれてくる。ルレオは自分の皿にそれを山盛りにすると、満足そうに椅子にもたれかかった。クレスはそれを唖然と見送って、遅ればせながら自分もスープに口をつける。全ての食器を運び終えると、フィリアとマリィもようやく席についた。
「いつもフレッドがお世話になってます。おかわりあるからどんどん食べてね」
「はい、いつもきっちりお世話してます」
至極真面目な顔つきで答えたルレオだったが、テーブルの下でクレスから脛を蹴られる。フィリアはそれを冗談だと捉えてまたカラカラと笑った。冗談のはずもない、ルレオは120%本気である。
 賑やかな食卓に誘われてか、この家の主が階段を下りてきた。
「あ、お父さん。お店はいいの?」
「どうせ復旧作業だの何だので客なんか来やしねぇよ。ったく、あいつが全然帰ってきやがらねぇせいで店番なんざしなきゃならねぇ」
珍しくシラフで顔を出したかと思うと開口一番皮肉たっぷりだ。客がいようがいまいが構うことなくろくでなしっぷりを発揮、マリィもフィリアも慣れているらしく軽く受け流した。要するに、この父親の気質にアルコールの有無はあまり関係がないのだ。無意味に嘆息してフィリアの隣の椅子を引く。
「……フレッドの野郎の知り合いかなんかか?」
ルレオは応答しない。こういうときにこそ得意の適当さで何とかしてほしいものだが、彼はその辺り、聡いというか小賢しい。父親の一連の言動からして障らぬ神になんとやら精神を貫くことこそが正解だと判断した。客をもてなす気ゼロの家主と、気を遣う気ゼロのあつかましい客、いい勝負である。
「お父さんったら! 失礼だよ、ファーレン護衛隊長のクレスさんだよ? それに前にも話したじゃない、ルレオさん」
「んなこたどうだっていいんだよ。おいマリィ、酒持って来い、酒! 一番高いやつだぞ!」
 ルレオの胸中に濁流のごとく押し寄せる衝撃、それを顔に出さないようにひたすらにパスタを噛みしめた。まさかフレッドの父親がここまでとは夢にも思っていない、ある意味でフレッドに憐れみを抱く。このおっさんと、あのスイングと、そして普通代表(ルレオから見れば中の下)のようなフレッドが同じ遺伝子から形成されていること自体がそもそもおかしい。
 なにはともあれ眼前の中年は極悪人だ。ルレオは落とすべきところに思考を落とし込んで食事に集中することにした。
「……おい、若ぇの。いける口か? なかなか手に入らねぇブランデーだ、付き合わねぇか?」
ルレオのフォークがはたと止まる。マリィが不機嫌そうに持ってきたのは、まだコルクの抜かれていない高級ブランデーの瓶だった。
 前言撤回──ルレオは持てるすべての爽やかオーラを放って静かにフォークを置いた。眼前の中年はかなりの善人だ、そう心のセンサーが告げてくる。
「さすがフレッドくんのお父さん! お言葉に甘えていただきます!」
クレスは隣で口を半開きにしたまま文句ひとつ言えなかった。呆れ果てるとはなるほどこういうことかと、悠長に納得などしている。お酌するマリィに胸中で詫びをいれながら、心ばかりの償いとしてルレオの脛を再度蹴りつけた。
「お義父さん飲み友達ができて嬉しそう。スイングもフレッドも、あんまり飲めないものね」
 空になったいくつかの皿を手にとってフィリアが席を立つ。クレスも、目についた何枚かを持ってフィリアの後を追った。
「この間フレッドが帰って来たときも飲め~飲め~って大変で──」
思い出して笑いをこぼすフィリア、それを見つめるクレスの視線は疑問に満ちていた。フィリアはただ、分かる範囲でそれを受け止める。
「……クレスさんは私たちのこと、何か聞いてる?」
「少し、ですけど」
 フィリアの言う「私たち」が具体的に誰と誰のことを指すのかはこの際聞かなかった。それがスイングだろうがフレッドだろうが、この家の者皆のことだろうが究極は同じことである。
「そっか……うん、そっか」
それが何の確認で何に対する納得なのかも、聞かないことにする。桶に溜めておいた水に、随分愛想のない自分の顔が映り、クレスは慌てて口角を緩めた。
「フレッドね、少し変わったなって思ったの。ずっとギクシャクしてたのに、この前は凄く自然に話せた。きっと……あなたのおかげね、ありがとうクレスさん」
言っている意味が掴めず、クレスが何か口を挟もうとした直後、
「ギャッハハハハハ! さすがフレッド、バカ丸出しじゃねえかっ!」
リビングから響くバカ笑いに出鼻をくじかれる。視線も集中力もごっそりその発信源に持っていかれるほどの声量だ。
「だろ? こっちなんかもっとすげぇぞ。ラッパに頭突っ込んで外れなくなった瞬間!」
 リビングではすっかり意気投合したルレオとフレッドの父親が、なりふり構わず笑い転げている。性悪同士、笑いのツボもよく合うようだ。
「何してんの……」
テーブルに突っ伏して小刻みに震えるルレオを半眼で見やる。食器が下げられた後のテーブルには、どこから引っ張り出してきたのやら埃かぶったアルバムが広げられていた。角の方は酸化して黄ばんでいる。
「これってフレッド? うそっ、かわいい」
何とも言い難い、いびつな形のクマのぬいぐるみを力いっぱい抱きしめている少年、顔を真っ赤にして瞳には涙を溜めこんでいる。ルレオはまだ口元を痙攣させながら横目で写真を見ている。
「汚ねーから捨てろっつったらビービー泣きやがってよー」
「へー……フレッドにも子どものときってあったのよね。当たり前だけど」
古い紙きれの中に女の子のように可愛らしいフレッドが居る。髪が肩近くまであるせいで余計にそう見えるのかもしれない。隣で無表情に佇んでいるスイングらしき少年と比較すると更に愛らしさが増す。
「そう言えばスイングさんはピアノやバイオリンをやってらしたんですよね? 前にフレッドがそういうようなことを言ってたんですけど」
皮肉たっぷりに、というのはもちろん心の中にしまっておく。
「うん、器用よあの人。小さい頃はフレッドやマリィちゃんにも聴かせてたって言ってたけど」
何となくマリィに話が振られた。考えるように瞳を天井に向けて、マリィは困ったように笑った。
「うーん、うろ覚え。なんだっけな、あの曲が上手なの。えーと、ラル……なんとかの指輪っていう」
マリィの中途半端な記憶が引き金となり、クレスの記憶も掘り返される。この一家はどうやらこぞって『ラルファレンスの指輪』に魅了されているらしい、タイトルさえうろ覚えのマリィは除いての話だ。
「あの曲の原譜はうちの家宝みたいなもんだからな。あれだけは手放せねぇよなぁ」
「げ……原譜が、あるんですか……? ここに」
「おう。何だ、姉ちゃんはそっちにいける口か」
やけに俗っぽい言い回しをされたが、つまりは『ラルファレンスの指輪』に興味があるのかということだろう。



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