ミレイに向かって思わず声を荒らげたフレッド、それをフォローしてギアはこの場に全くそぐわない緩い口調で二人を窘める。操縦桿を操る手先だけが機敏に動いていた。言動不一致という点で言えばギアの右に出る者はいなかったが、それは完全に恣意的である。
フレッドは言われた通り黙って座席についた。沈黙の中で響くのは、ゆっくりと重厚なリズムを刻む戦艦の機械音と、体を突き破りそうな勢いで鳴る心臓の鼓動だけだ。それがあまりにも対照的で、あまりにも噛み合わない。
クレスと最後に何を話したのか、フレッドには思い出せなかった。それくらいありきたりな言葉を交わしただけだった。談笑と一言で片づけられるようなその中の、彼女の笑顔だけがやけに鮮明に残っている。脳裏をよぎる様々な憶測に押しつぶされそうになりながら、フレッドはただ漠然とした後悔を抱いていた。それはまだ起きていない、しかし確実に起こる。まだ起きていないことに対して後悔している様は、よくよく考えればひどく滑稽に思えた。
しかしその妙な感慨を、彼はとてもよく知っている気がした。この苛立ち、この後悔、この無力感、考えている内に吐き気を覚える。
「フレッド、もう着陸体勢に入る。吐くなら外でな」
青ざめたフレッドを目にしてギアが半ば見当違いな──半分は当たっている──指摘を容赦なく送る。窓の外に視線を移した。
「ベオグラード隊長が誘導してくれてるみたいだな。ひとまず城に付けて状況を聞こう。話はそれからだ」
機体が降下を始めると、大きく手を振るベオグラードと敬礼した数人のファーレン兵が次第に大きくなる。ベオグラードは艦の帰還を待ちわびていたようだった。それは案にミレイの予知が的中したことを意味していた。
艦は静かに大地に腰を下ろした。出口が開くや否やフレッドが顔を出す。ベオグラードが駆け寄って来たのを見計らって、二人は手早く形式ばった握手を交わした。
「よく帰ってきてくれた……! 報告を受けたいが緊急事態が発生してな」
「分かってます。ミレイが予知しましたから。……それで、彼女は」
ベオグラードは虚を突かれたような顔をしてすぐにもとの神妙な顔つきをつくった。それが悲観的な表情にならないよう気を配った。フレッドが落ち着いているような演技をしていることを、彼は握手だけで気づいてしまったのである。
「わからん、というのが正確なところだ。ただ死神に拉致された可能性が高い。クレス隊長の最後の目撃情報にそういう人物が浮上している」
ベオグラードは現状だけを端的に語った。フレッドもそれに合わせてただ頷く。
「……詳しいことはルレオに聞いてくれ。最後まで一緒にいたはずだ」
「……ルレオ?」
予期せぬところでその名が出た。いつもならフレッドたちの一足も二足も遅い帰還にこれでもかというほど罵声を浴びせてくる男が、不気味なほど静かに突っ立っている。
視線がかちあった。その視線はルレオの方から意図的に逸らされた。それを目にした瞬間に、ギリギリで保っていた平常心が吹き飛んでフレッドはルレオに詰め寄った。
「フ、フレッド!」
シルフィの驚愕の声をもろともせず、鈍い音が鳴る。誰もが目を見開いた。声なき声をあげたままミレイは口元を押さえている。フレッドがルレオの胸座を掴んで殴り飛ばすまで、僅か三秒。誰も止めることはできなかった。皆が振り返ったときには、既にルレオは地べたに座り込んで口元を押さえていたのだから。黙ったままのルレオをフレッドは再度鷲掴みにして、無理やりに視線を合わせた。誰もが息を殺してその光景を見守る。
「……放せよ」
ようやく口を開いたルレオ、ただそれだけを淡々と告げるとまた口を閉ざす。フレッドはその主張を根本から無視して、そのまま彼を思いきり壁にたたきつけた。
「なんだよこのざまは……。あんた最後まであいつと居たんだろ? だったらどうしてこんなことになってんだよ!」
「放せつってんだろ。耳の穴開いてんのか」
いつものパターンなら、フレッドは既に反撃をくらっているはずだ。今回はそれがない、その気配さえない。ルレオはただ冷淡な目を目の前の男に向けるばかりだ。フレッドは更に力を込めてルレオの動きを封じる。
「ふざけんな……! こんなことなら、……こうなるって分かってたら、あんた一人に任せてファーレンを出たりしなかった!」
「よく分かってんじゃねえか。その通りだと思うぜ」
「……は……?」
憤るフレッドに向けて、ルレオはわざとらしく嘲笑を浮かべた。そして一瞬の隙をついてフレッドの呪縛から逃れると乱れた首元をただす。
「てめえの判断ミスでこうなったんだよ! 分かってたら、だ? 分かってただろうがはじめっから! 俺に当たる前にてめぇはどうなんだよ」
ルレオが無造作に吐きだした唾液に血が混じっていた。口の中が切れたらしく先刻とは打って変わって露骨に顰めつらを作る。ごく短い沈黙の後、フレッドも負けじと嘆息してみせた。
「話になんねぇ」
「どっちがだ。責任転嫁できなけりゃ放棄かよ、何にも変わってねーじゃねぇかお前」
「……んだとぉ……!」
喉から絞り出すような唸り声と同時に、フレッドは再び右の拳を強く握った。握ったところで横やりが入る。金縁眼鏡が怪しく光った。
「はいはいストーップ。……そこまでで十分でしょ。二人ともここがどこかは一応分かってるよな?」
一番無関心そうだったギアが二人の間に割って入った。その言葉通り、周りを見渡してフレッドは口をつぐむ。ここはファーレンの王城だ。その護衛隊長と衛兵を前にして、二人の口論は見世物以外のなにものでもない。
「気持ちは分からんでもないけど、今は冷静になるときだ。死神とクレスが一緒にいることはほぼ間違いないんだろう? だったら次に考えるべきはその目的、行き先だ」
ギアがいつものように眼鏡を持ち上げたのを合図に、フレッドとルレオは距離をとった。無論、そこにそれ以上の会話もなければ視線を合わせることもない。ギアはそんな二人の態度も半ばお構いなしで、淡々とした口調を保つ。
「今まで大人しくしてた死神がここのところやけに動いてる。これもその一環と見るべきだろう。ただし、それぞれにどういう理由があるかまでは分からないけどね。俺たちへの牽制程度なのか必須要項なのか……まあ、そいつを探るのは当然後回しだ。目的地はそう難しくないよ」
「ギア、頭の体操をしてるわけじゃない。知っていることは言ってくれ」
ベオグラードの横やりは予想外だったのか、ギアは目を点にした。生返事をして頭をかくとまたずれてもいない眼鏡を押しあげる。ベオグラードがあっさり言ってのけたそれは、フレッドが随分長いこと言いたくて呑みこんできた言葉でもあった。
「目先のことに捉われず冷静になれば分かる。死神の目的はあくまで第三のラインをつくることだ、そのポイントに居る、もしくは向かうと見ていい。この手の黙示録を研究してる連中の
間では、第三のラインは地軸として造られると見られている。つまり、第一ラインと第二ラインの交わる場所、星の中心だ」
ギアの皮肉通り冷静に考えると、星の中心はいわゆる海のど真ん中に当たる。それについて疑問は湧くが、おそらく無用の心配なのだろう。ギアをはじめ、皆フレッドの判断だけを待った。
「……行こう。星の中心」
各々がゆっくりと頷く。ミレイが、ギアが、シルフィが、そしてルレオが──。一行は降りたばかりの戦艦に再び乗り込んだ。