「もう限界だ! いいな? 退避するぞ!」
あれから二度ほど、崩れ落ちてきた瓦礫を諸に機体にくらった。小さなものは既に数え切れないほどで、ギアは誰それの生存のためというよりは機体の安否のために声を荒らげた。
「やれるだけのことはやったんだ、次は自分たちの心配でもしてくれよっ。メロドラマの時間は終了だ……!」
ギアは隠し持っていた護身用のナイフをフレッドのわき腹につきつけた。殺意は微塵も感じられなかったが、そもそも気配すら自分の都合で消す男だ。彼なら要求が呑まれない場合いともあっさり刺してくるだろう。フレッドは静かに操縦席を離れた。
「ルレオさん……どうしてこんなことに……? 私は何も視てない……! いつもいつも、肝心なことは予知できない! こんな能力っ、無いのと同じです。こんな予知能力なら、私いらない!」
ミレイはその場で泣き崩れた。口には出さないが皆それぞれに自己を責めた。フレッドは崩れゆく蜃気楼の塔を、食い入るように見つめた。そうすることでしか償う方法が思い浮かばない。
白煙の立ち上る艦は猛スピードで風を切り、降ってくる瓦礫をすり抜けその場を離れた。やがてベルトニアの北端にある岬にゆっくりと着陸する。ギアの操縦を以てしても不安定に傾く。艦の損傷具合を物語っていた。揺れがおさまると全員すぐさま外へ飛び出して、遠く見える白煙の中に目を凝らした。
「ルレオ……」
その塔は蜃気楼のようだった。目にした光景も、交わした会話も、受けた痛みも悲しみも、塔で起きた全ての出来事が幻のように目の前で消えた。フレッドだけが最後までその光景を見届けた。海が大急ぎで安穏を取り戻そうとしていた。波が揺れる、その音だけが響き渡った。
フレッドは重い体を引きずるように岬の先端に立った。波の音は優しく、空は馬鹿みたいに青く澄み渡っている。そこへミレイのすすり泣きが重なる。鼓膜を震わせる要素はいろいろとあったが、そのどれひとつをとっても脳まで辿り着かない。
世界は息を潜めていた。少なくともフレッドの感じる世界に今、音はひとつも存在しなかった。
「必ず戻るって……言ったんだ、俺」
呟いた言葉が頭の中でこもって聴こえた。誰からの応答もない。だから慰めもない、批難もない。
「いつもだったら、さっさと自分だけ脱出してるはずだろ……? 待ってるわけねぇんだよ、そうだろ? いつも、そうだったよな?」
果たしてそうだったか?──言いながら自問した。そしてすぐにかぶりを振った。
「何なんだよ……、なんで、……おかしいだろっ! なんでここにきてあいつが死んだりするんだよ! かっこつけて、柄にもないことして、何やってんだよ! 死んだら何にもならないだろ!?」
「フレッド……っ!」
ガスッ! ──今度は反応があった。しかしそれは、フレッドの期待していたものとはかけ離れていた。後頭部にひどい衝撃を受けてなすがままに前のめりになる。岬の先端に哀愁たっぷりに立っていたフレッド、その先にもちろん地面はない。視界が反転して、荒ぐ波と岸壁とが押し寄せてきた。
「フ、フレッド!」
後方のクレスの反応、悲鳴ぐらいあげてくれるかと思いきや案外軽い。フレッドが自ら大絶叫を上げようとした矢先、
「言いてぇことはそれだけか! きっしょく悪いんだよ、この独り芝居野郎がっ」
真上から聞きなれた怒声が降る。天国からにしてはやけに近い、などとばかなこと考える間もなく、声の主はフレッドの首根っこを掴んで力任せに後ろに引きあげた。岬からの派手な飛び込み入水は避けられたものの、フレッドはなすがままに尻もちをついた。
混乱は彼の表情を随分陳腐なものに変える。フレッドの後頭部に思いきりのいい蹴りを入れた張本人は、半眼で気だるそうに突っ立っていた。
「誰が死んだってぇ? 随分なオチの付け方してくれるじゃぇか、勝手に殺してんじゃねぇよ!」
「……。……はああ!? 死んだんじゃないのかよ!? ってなに蹴りいれてきてんだっ、それこそ殺すつもりかよ!」
「よく分かってんじゃねえか。人のこと置き去りにしといて、まさかこの程度の仕返しに文句なんかつけられねぇよなあ?」
フレッドが反論を止める。ルレオの青筋が久々に大量生産されているのに気付き、彼の言うとおり小さな恨みは胸中にしまう。状況が呑みこめずフレッドは他の連中に目を配った。クレスが声を殺して笑っているのが視界に映る。ミレイはいつの間にか笑い泣きになっていて、ギアは気の毒そうな(しかしどこか他人事そうな)顔でうすら笑いを浮かべていた。この時点で場違いなのは自分だということだけは分かる。ひとまず後ろ手に頭を掻いて、気恥ずかしさを誤魔化した。
「……心配したのが大損だったってことだけは分かったよ」
そして自分が笑い物になっていたことも、だ。思い返すと確かに、顔面から火が出るような台詞を並べ奉った。
「でもどうやってあそこから帰ってきたんだよ。まさかお前ゾンビじゃないだろうな」
ルレオは何も言わず、ただシルフィを指さした。そしてシルフィも小さな右手で自分を指す。それだけで、フレッドには何となく事の次第がつかめたが、敢えて確認を入れることにした。全員に知らしめる必要があると判断したからだ。
「シルフィが時間を止めたんだな……? 全然、気付かなかった」
「あたし言ったじゃない、『何とか艦を塔に横付けにして』って。そのときに時間を止めて、塔に移って、ルレオを引きずって来たの。すっごくすーっごく大変だったんだからっ」
フレッドは爺臭く立ち上がると、ふんぞり返るシルフィの傍に寄って例のごとくフードの上から頭をぐしゃぐしゃに撫でた。シルフィはそれがたまらなく嬉しいらしい、すぐさま満面の笑みをこぼす。眼球を上に向けるとフレッドが穏やかに微笑んでいた。
「さすがシルフィ、俺とは出来が違うよなっ。お手柄!」
「えっへん! ほっぺにチューくらいはしてもいい頑張りだったでしょ?」
一瞬目を点にして、フレッドはすぐに笑いを噴き出した。シルフィが赤面して頬を膨らませているのを見て、なおのこと眉尻を下げ、声をあげて笑う。
「オッケーオッケー、ほっぺにチューね。んじゃあ大サービスってことで」
笑いをこらえつつシルフィのフードを引っこ抜くと、ご褒美のキスをシルフィの頬にプレゼントした。自分で言いだしたにも関わらず、シルフィはゆでダコのように真っ赤に染まって、頭のてっぺんから湯気らしき白い煙を立ち昇らせた。それを見てフレッドが、また顔を背けて笑う。
「もうっ、そんなに笑わなくたっていいじゃないっ」
「うわー、ロリコーン。ロリコーン」
慌ててフードをかぶりなおすシルフィの後ろでルレオが何やらまくしたてているが、ここは無視に限る。フレッドは爽やかな笑顔を保った。
ふとシルフィが思い出したように笑いをこぼす。
「でもおかしかったよね。フレッドとギアが操縦桿の奪い合いしてるときにルレオ連れてきたから、ふたりとも全然気がつかなくって。フレッドなんか最後まで──……あっ」
「なに」
「ね、そういえば“時計”どうしたの? あたし、てっきりフレッドは動けると思ってたから宛てにしてたんだけど」
フレッドはその単語を耳にして、よくやく無理のある爽やかスマイルを取りやめた。脳内が一気に現実に引き戻される。一瞬考えて、すぐさまクレスのもとへ走った。
「ごめん、時計……そこまで考えてなかった」
時計を死神がちらつかせていたことは知っている。でも何故──抱くべき疑問が今さら畳みかけるように押し寄せてきた。クレスはゆっくりかぶりを振る。
「気にしないで、死神の目的ははじめからそれだったのよ。はじめから私と……あの時計だったみたい。それについては後から詳しく話すわ」
クレスは全員に視線を配って、らしくもなく優しい笑みをこぼした。
「みんなありがとう、本当に。それから心配かけてごめんなさい。私はこの通り、大丈夫」
岬に柔らかい風が吹いて、彼女の髪を揺らした。クレスの整然とした言葉はこの場の締めにはふさわしく、皆そう判断しておもむろに動き出す。ギアは艦の発進準備にとりかかった。それを見て、フレッドが何の気なしに声をかける。
「どうせだしこのまま北の大陸に向かうか? 行って帰ってくるだけだろ」
ギアは入り口ハッチの手前で動きを止め、何かを堪えるように口元をひきつらせて苦笑いをつくった。そのまま引き返してくるのを、フレッドはわけがわからず首を傾げて待つ。
「とーっても残念だけどね、その行って帰ってくるだけのことが無理な状態。誰かさんと押し問答してめちゃくちゃやったから結構大破してる。このまま飛んだら確実に海にボッチャンだね」
わざとらしいくらい全開の笑顔をつくるも、眼鏡の奥の瞳がこれっぽっちも笑っていない。放出される負のオーラに耐えかねて、フレッドは何も反論できずただ後ずさった。