God alone knows Chapter 21

「……立てるか?」
死神に届かぬように呟いた。クレスが頷いたのを確認すると彼女の腕を取り上方に引く。今度はしっかりと彼女の手を握りなおした。そのまますぐ後ろにあるばかでかい窓の縁に足をかける。視界は青一色、美しい空がどこまでも続くばかり。
「ま、待って! まさか飛ぶ気じゃないでしょうね! 高さ分かってる!?」
クレスの雄たけびはとりあえず聞き流す。フレッドは振り返ってありったけの威圧を死神に送った。それがフレッドの無言の宣戦布告、クレスの手をまた強く握りなおした。
「絶対死なないっ、信じろ!」
クレスが否定の言葉を口走ろうとしたのを遮るため、フレッドは言うや否や強行手段に及んだ。倒れこむように空に身をゆだねる。当然、手を離さない限りクレスは道連れだ。死神は事の成り行きをただ見守っていた。見守りながらその小さな体を上下左右に揺らす。正確には、揺れているのは塔の方だった。徐々に確実に、激しさを増す揺れにもろい壁や天井が崩れ始めた。
「……いいよフレッド。残された時間は君とのゲームを楽しもう。歴史を賭けた、最高のゲームを」
 塔が崩壊を辿る中で死神は独りごちた。小さな手のなかにおさまりきらない銀の懐中時計の蓋を、無造作に開ける。針は動かない。死神はまた、妖艶に笑った。
 ドシンッ、ゴキッ! ──空中では鳴り得ない鈍い音が響く。落下二秒後、二人は板張りの床に尻もちをついた。計画通りこうなったと言えばかなり聞こえはいいが、フレッドが認識していたのは窓のすぐそばにギアの戦艦が寄せられていたという事実だけで、後は飛び下りれば何とかしてくれるだろうと踏んでのことだった。そして予想通り、ギアが抜群のタイミングと座標でハッチを開けてくれた。要するに二人が無事に帰還できたのも、ほとんどはギアの功績によるが彼を崇めたてまつる時間はない。
「無茶なことするなぁ! 一歩間違えればかなり間抜けな結果になってたぞ」
 急いでハッチを閉める。空圧で艦内はいろいろなものが舞いあがったが、それも気に留めていられない。ギアの眼鏡があらぬ方向にずれていようがミレイが壁にたたきつけられていようが、シルフィのツインテールがとぐろを巻いていようが今はどうでもいい。フレッドは起き上がるなり一目散にフロントガラスに駆け寄った。
「ちょっと待てよ……! 何で塔が崩れ始めてんだ、いつから?」
「君らが飛び降りてくるほんの前。何か気に食わないことがあったんだろうね~、神様的に」
「言ってる場合かよっ。ギア、すぐ引き返してくれ! ……中にまだルレオがいる」
フレッドが噛み潰した奥歯の音がやたらに響く。皆が沈黙しても、状況が静寂を許さなかった。黙れば黙るほど塔が崩壊していく凄まじい音がこだまする。あれだけぼんやりしていた輪郭が、こういうときばかりは人一倍くっきりと浮かび上がっていた。フロントガラスの向こうに広がる壮大な光景、それは確かにギアの眼鏡にも映っていた。しかし彼はおもむろにかぶりを振る。
「無理だ。いくら俺の艦でも塔の崩壊なんかに巻き込まれたらひとたまりもない。残念だけど……諦めるしかない」
この男の発言には毎度のことながら嫌な説得力がある。すぐに反論が思いつかなかった。思いついてもそれが正論になり得ないことは知れている。
「ね、ねえ。何とか塔に寄ることできない? もしかしたらルレオもダイブしてくるかもしれないよっ」
「そうですよっ! ルレオさんのことだから文句言いながらその辺まで来てるかも……!」
シルフィとミレイの希望を遮るようにギアが再度かぶりを振る。今度は強く、眉もしかめた。
「例えそうだとしても俺は行かない。いいかい? どっちにしたってここに居ればこの艦は潰される。だったら優先順位は決まってるだろう。……全員ここで心中したいなら話は別だけどね」
何となく分かりきっていた返答だけにフレッドはそれ以上の働きかけができずにいた。ギアの性格なら間違いなくこうなるだろうし、どの点におていも間違いはない。一殺多生は少し頭が切れる者なら迷わず選ぶ安全な選択肢だ。
「あっきれた~! フレッド、こんな血も涙もないような奴の言うことなんか聞くことないよ! ルレオは嫌な奴だけど……いなくなっちゃうのはもっとやだもん!」
シルフィは判断をフレッドにゆだねた。ミレイも、何も口をはさめないクレスも、最終決断を彼に託す。それはフレッドの最も苦手とする状況だった。誰かの命運を左右してしまう選択を、そういう状況と立場を避けて生きてきた。フレッドは伏し目のまま口を開く気配を見せない。
「……懸命な判断だ。ベオグラード隊長やスイングでもそうすると思うよ。急いでここを離れよう」
ミレイが肩を落とし露骨に落胆の色を見せる。フレッドに向けてなのか、一拍置いて淡々とした嘆息も追加された。シルフィはミレイとは対照的にただ真っ直ぐにフレッドを見つめた。澄み切った曇りのない瞳で、じっとフレッドの瞳の奥を見透かした。
 ギアが操縦桿を握った矢先、フレッドはすぐさま振り返ってギアの腕ごと操縦桿を左手へ大きく傾けた。当然機体は命令された通りがむしゃらに旋回し、塔へ突っ込んでいく。
「バカかフレッド! 全員道連れにしたいのかっ?」
抵抗(と言っても微力だが)するギアを完全に抑えつけて、フレッドは力の限り操縦桿をきる。
「やってみなきゃ分かんないだろ! 俺にはあんたみたいなやり方はできない、そういう風に生きたいとも思えない!」
引き合いに出されたベオグラードやスイングのように、自分がそうなれないことをいつしか悟っていた。そして、そうなる必要がないことも今ならもう分かる。
 ゴゴゴゴゴォオ──地響き、それがきちんと鼓膜を通して聞こえるものなのか、直接体の芯を通っているのか分からなくなるほど大きい。揺れはいつしか、口を開けば舌を噛み切りそうなほどで、彼・ルレオはすぐそばで何度となく煉瓦が無音で割れていくのを見送った。
「遅せぇな。今度は何のへましやがったんだよあの野郎……」
色あせた煉瓦に左手を、その壁全体に背中を押しつけたままルレオは力なく座り込んでいた。壁は未だにあがりきっている。左手がしびれを通り越して大きく震えていたが、塔全体に激震が走っているのだから少々のふるえなど気にしている余裕もない。
 ルレオは来るはずの通行者を待っていた。視線だけは常に通路の奥へ向けている。
「……くそっ。ダセー……」
自分の判断ひとつでここを退くことはできた。それをしない理由ももはや分からなくなっている。自分に向けて嘆息したが、すぐに息が上がり吐いた分の酸素がもったいないように思えた。
「あのへたれ……次会ったらぜってー二三発ぶん殴ってやる」
口だけがいつものように細やかに動く。残された僅かな体力を自ら無駄に消費するあたりが哀しいが、黙っていると意識がもうろうとする。自分を保つにはできるだけ、この今に関係することを考えていなくてはならなかった。そうすると自然とフレッドに対する文句しかでてこない。
 立ち上がる気力はもうなかった。それでもルレオは二人が走ってくるのを待った。フレッドがいつも以上に喚き散らしながら戻ってくるのを、信じて待った。



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