Previous Life Chapter 22

 結局クレスの口利きで、ベルトニアから一隻船を借りた。航路となると、そのたびにいつぞやの刺客襲撃事件を思い出さずにはいられない。ベルトニア側も同じ轍は踏まないように、それなりの大きさの船を貸してくれた。
「ベルトニアはどっかの軍事大国と違って気前がいいよなあ~。そのどっかの国の護衛隊長殿は支援も『協力しないと制限つき』なのにな」
遠回しにベオグラードを批難するルレオ、フレッドが同意を示して深々と頷く。
 船の規模はそこそこあるし、波も今回は穏やかだ。揺れも少なく船酔いの心配もなさそうだった。
「これなら海境も楽に渡れそうね。到着まで時間があるし、もうひと眠りしようかなー」
クレスは惜しげもなくあくびを漏らして伸びをする。ベルトニアで“死神の本当の目的”というやつを説明してから後、彼女はよく寝る。死神の傍であれだけ気を張っていたのだから無理もない。そういう意味ではフレッドも全身がだるかった。
「なに? さっきからジロジロ人の顔見てるけど」
唐突にクレスが眼前に顔を出した。驚いてのけぞると、クレスは心外そうに肩を竦めた。
「いや、別に。疲れてるんならゆっくり寝てろよ」
「そうね、そうする。着いたら起こして」
クレスはあっさりフレッドの前を通り過ぎる。珍しく気だるそうに手を振って船室に向かった。それを横目で見送って、フレッドは逆方向の船室へ向かう。丸い窓から中を覗き込んで、目当ての人間がいるのを確認すると深呼吸して扉を開けた。
「シルフィ、ひとりか?」
それを確認して入ってきたのだから、わざとらしいといえばわざとらしい。シルフィはいつものように反射的に満面の笑みを浮かべた。
「うん、さっき言ってたことだよね? とりあえず紅茶でも淹れるねー」
座っていた椅子から飛び降りて、シルフィは鼻歌交じりに簡易キッチンに向かう。フレッドはその近くの椅子を引き寄せてそれを待った。しばらくして、トレイに二つのティーカップを乗せてシルフィが戻る。芳しい香りを乗せた湯気が、ゆらゆらと揺れた。そのひとつをフレッドに手渡す。
「でも本当に見せるだけしかできないよ。手助けしたり、邪魔したり、そういうのはまったくできないんだけど」
「それで十分」
フレッドの目の前に椅子を移動させて、ぬいぐるみのようにちょこんと座るシルフィ。同じ大きさのティーカップが、彼女の分だけ大きく見えた。
 蜃気楼の塔で死神が言っていたことが、ひっかかっていた。フレッドには『大罪』がある、それを代わりに受けたのが妹のマリィ──だとしたら、フレッドは前世で何かしらの罪を犯しているはずだ。第一ラインが解放されたとき、彼に『大罪』がもたらす心身の異変は現れなかった。ということは第二ラインに封印された罪──世界大戦に関わるそれ──である可能性が高い。死神に触れられたとき、確かに見て聞いた自分と瓜二つの人物の存在、それを確かめる鍵は前世にあると考えた。
 シルフィの力でそれが何とかならないかを事前に相談したのである。彼女の答えはイエスだった。神が記す日記、『フレッドという個体』のそれを閲覧するという論理なら、ラインの守人に与えられた能力で十分に可能なのだという。
「じゃあフレッドの魂に時間魔法をかけるから、そのまま眠っちゃって。夢を見るのと同じ感覚だと思ってくれればいいから。つまり、覚めちゃったら終わり、だからね」
フレッドは頷きながらソファーに横になると、おもむろに目を閉じた。
「俺の記憶がぶっとんだりはしないんだよな?」
「脳に魔法をかけるわけじゃないもん、魂はその人の一部であってその人が関与できない領域なの」
分かったかどうかはおいておいて、フレッドはまた深く頷いた。シルフィが聞き覚えのない言語で早口に何かを呟くのを、まぶたの向こうに感じながら眠りに落ちる。意識と同時に抱いていた期待と不安が遠のいて行く。
 フレッドの呼吸が穏やかな寝息に変わると、シルフィは詠唱を止めた。
「行ってらっしゃい……フレッド」
フレッドを見送って、シルフィはまだ中身の残ったティーカップを片付け始めた。


 落ちていく──深く暗い谷に。底は見えない。夢にしてはやけにリアルで、風圧でひきつる口元と落下速度がもたらす恐怖は不必要なくらい臨場感にあふれていた。
「シルフィの奴……っ、何が見えるだけだよ! かなり来るぞ、コレ!」
何を言っても独り言にしかならないから虚しい。ひたすらに谷底にたたきつけられるイメージを振り払おうと、無意味にもがいた。
「死んだら毎晩夢に出てやるからなぁぁ! ……って来たぁ! ごめんなさぁぁぁぁぁ──」
 毎夜の夢に登場となれば、シルフィにとってはこの上ないプレゼントとなろう。脅し文句をよく吟味する余裕もないままフレッドは谷底を視認した。視認して、誰への何に対するものかもはっきりしない謝罪を全力で叫んだ。それから数十秒、一分が経ち、二分が経った。彼の危惧をよそに、それらしい衝撃はなかった。恐る恐る瞼を開けてみる。そこからが夢の始まり、フレッドのフレッドという存在である前の日記。
「一応、無事みたいだな。よしよし。さぁて、ここは?」
汚れてもいない膝をはたいて、とりあえず周囲を見渡してみる。状況把握には多少時間がかかりそうだった。急傾斜の屋根を持つ民家が点々と並び、その向こうに針葉樹林が果てしなく続く。辺りは一面ほのかな雪化粧で、頭上では今も真っ白な雪が踊っていた。
 風景に見覚えがあった。デジャブでも前世の記憶でもなく、フレッドという存在としてこの景色を目にしたことがある。眼前に広がる景観は、北の大陸のそれに酷似していた。
「北の大陸、ね。まさかシルフィの前世ってわけじゃないだろうな」
雪は降り始めたばかりなのか、地面はところどころ顔を出している。それを踏みしめて佇んでいると、自分の立場とこの“夢”のシステムが少しだけ分かってくる。フレッドのからだはほとんど透明で、降ってくる雪はためらいなく全身を突き抜けていく。かろうじて見える自分のからだの輪郭を確かめるように、フレッドは何度か握りこぶしを作ったが違和感が抜けない。
(ここでこうしてても仕方ないか……)
雪はだんだんと勢いを増している。寒さは感じないから凍えるわけではなかったが、「覚めてしまったら終わり」の夢で悠長に構えているわけにはいかなかった。
 一番近い民家の扉に標的をしぼった。フレッドは生唾を飲み込んでドアノブに手を伸ばしたが当然握れるはずもなく、勢い余って前のめりになる。不干渉システムを再認識する前にドアは何者かによってすんなり押し開かれた。いつの間にか後方から現われた女が、フレッドの体を当然のようにすり抜けてノブを廻したのだった。胸中で礼を言ってみたりする。ノックもなしにずかずかと上がり込む女の後を追って、フレッドも屋内に立ち入る。金髪のブロンドをアップにした若い女だった。その後ろ姿を改めて目にするなり、フレッドはぎくりとした。予想外のことが起こって驚いたのではない、予想が的中し過ぎて困惑したのだ。
 死神との戦闘の最中に垣間見た白昼夢、彼女は紛れもなくその正体だった。手持無沙汰に後頭部を掻く。女はクレスに似すぎていて、直視し続けるには神経の太さが足りない。
「あのなぁ……何度も言わせるなよ。ノックくらいしろって」
 女を出迎えたのはこの上なく不快を顕わにした男の声だった。これには驚きより、恥ずかしさより、吐き気を覚える。鏡を見ているのかと思うほど、男はフレッドに酷似していた。自分と瓜二つの顔が自分のあずかり知らぬところで眉を潜め、肩を竦めている。その光景が思っていたよりずっと不気味で、これはこれで直視する勇気がない。
 驚きはなかった。どの時点においてもなかった。この男こそフレッドの前世だ。そしてこの女が誰の前世で、なんてことは語るだけ無駄である。
「ノック? 何を今さらっ。そんな小言を言われるためにわざわざ来たんじゃないわ」
「じゃあ何だよ。一人で外うろうろしたら危ないだろ」
「平気よ、雪が降り出したもの。大陸の奴らもここの雪にはお手上げって感じでしょ? 積もれば一週間は大丈夫じゃない?」
 前世のフレッドは分厚いカーテンをほんの少しだけ開けて外の様子を窺った。雪は先刻に比べ勢いを増し、窓目がけて突進してくるように見える。風が出てきたようだった。
「……積もるな。今のうちに帰れよ。一週間も面倒見切れねぇよ、おばさんにも怒られるし」
「逆。そのために来たの。積もったら当分動けないから……ランス料理しないし、私がいなかったら食べるのも忘れて仕事するじゃない」
 ランス──呼ばれて反応するところを見るに、おそらくこの前世のフレッドの名前だろう。
「それはまあ有難いけど……。でも駄目だ。どうせおばさんたちには黙って来たろ? 心配するよ」
「私はあなたの心配をしてるのよ。……ねえ分かってる? 分かってないよね。雪が止んだらみんな死ぬかもしれない。私たちだって……」



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