Previous Life Chapter 22

 前世のクレスが俯く。ランスは特に動じることもなく先刻まで自分が腰かけていた椅子に再び腰をおろした。机上には何か細かな部品や設計図のようなものが広げられている。
「長老たちもここを捨てて、住民みんなで逃げるようなこと話してるって」
「知ってるよ。ラインの守備に精鋭だけ残して、島民は脱出しようって話だろ。俺もそれがいいと思う。ここは……直に占領されるよ」
 女は呆れて思いきり肩を竦めた。彼もそれを冗談まじりに真似して見せる。
「他人事みたいに言わないでっ。やっぱり分かってないじゃない!」
子どものように地団駄を踏む彼女に、ランスは堪え切れず笑いを噴出した。
「ソフィアー、何怒ってんだよ。心配しなくてもうまくいくよ、長老たちも馬鹿じゃない」
 ソフィア、それがこの少し可愛げのある前世のクレスの名前らしい。容姿や声は瓜二つだが、ソフィアはどちらかというと素直な性格のようだ。
「だから! 私が心配してるのはランスの方。……胸騒ぎっていうか、最近ずっと夢に見る。ランスがどこか遠くに行っちゃうような、よくわからないけど悲しい夢」
ソフィアの表情に冗談はひとかけらもない。しかし同意を示すにはいささか根拠が曖昧すぎる。ランスはソフィアの情動的な面をもちろん理解していたし、それをいちいち否定するような真似はしないが賛同するようなこともしない。
「ねえ、ランス」
「……ん?」
「どこにも行かないよね……? ここに、居て。ずっと私から離れないで。いい?」
それは小さな子どもに諭すようでもあったし、強大な何かにすがるように頼りなげでもあった。どちらにしろ何かが歪んでいる感情だということは、見ているフレッドにも伝わってきた。が、ランスはその彼女を受け入れていたしソフィア自身も自らの異様な情動を知っていたから、彼らにとってそれは日常のやりとりのひとつでしかなかった。ランスが仕方なさそうに笑う。それがこの二人の間に流れる空気の在り方だった。
 時は遡ること千年、まだ第二ラインさえ無い世界。前世のフレッド──ランスが生きるのは、その時代の北の大陸だった。舞台は“世界戦争”の真っただ中。ファーレン、ベルトニアをはじめその他諸々の小国までもが、この北の大陸をめぐって抗争を始め侵略と略奪、そして虐殺を繰り返す動乱の世。戦場は世界中、敵は全人類、そんな世界。その中心にいるのがランスたちラインの守人である。
 フレッドの前世はゴキブリでもミジンコでもなく、あのラインの守人だった。
「ねえ、ランス」
クレスの声──声の主はソフィアだったが、フレッドが知っているその声は間違いなくクレスのものだ。それが甘く響く。いつも正しい言葉だけを厳選し、凛とした調子を保つクレスとは決定的に違ってソフィアは言葉を選ばない。必要以上にランスの名を呼んでは甘ったるい口調でくだらないことをささやいている。そのささやきに、いちいち律儀に笑っては彼女の髪をなでるランス。二人のやりとりを見ているのはいろいろな意味で苦痛だ。
「……いいものやろうか。失くすなよ、すげー特別だからな」
ランスは唐突にそう言うと、ベッドの横のチェストから銀の光を放つ鎖を引っ張り出した。黙って待つソフィアの首にそれを掛ける。彼女はすぐさま胸元で光るそれを手に取った。
「懐中時計? どうしたのこれ。……止まってるけど」
無造作に蓋を開けて半眼になる。特別だと言われたはずのものをぞんざいに振りまわした。
「俺が作った。なかなかよくできてるだろ? 振りまわすなよ、特別だって言ったろ」
ソフィアは目を丸くして鎖を弄ぶのを止めた。フレッドもその横で目を丸くしていたが、彼の驚愕の理由はかなり複雑で様々な要素が絡み合っている。
「作った? ランスが作ったの? ……器用すぎるというか、なんというか。トクベツって?」
ランスは待ってましたと言わんばかりに口角を上げ、ソフィアの手の中から時計を引き寄せた。
「時間魔法に対応して動くんだ、だからいつもは止まってる」
「あ、なるほど。でもよくそんなの作れたね? まあランスならわけないのか。……でも時間魔法なんてめったなことじゃな使わないじゃない」
「だからだよ。この時計、針を進めれば時間が高速で進む。戻せば、戻る。つまり、禁忌を犯して時間魔法を使わなくても時間を自由に操れるんだ。もう一特典あげるとすれば……、お前にしか動かせないように作ってある。な、特別だろ?」
今度ははっきりと、ソフィアは動きを止めた。ランスを見上げる。
「“時間”をプレゼント。やるよ、お前に。俺の時間も、世界も、星も」
「……いらない」
ソフィアは確かな恐怖心を抱いて時計から手を離す。
「私は……ランスの時間さえあればいい。世界なんて必要ない」
ソフィアが首の鎖に手をかけるのをランスは静かに制した。
「いいから。使わなくたっていいんだ、そんなつもりで作ったわけでもない。ソフィアが持っててくれればそれでいいんだよ」
少し考えた素振りを見せて、ソフィアは頷いた。時計の銀細工は恐ろしく映えて輝く。その清楚な輝きは彼女によく似合っていた。それは彼女のために造られたという証でもあった。
「分かった、大事にする。ランスが作ってくれたならそれだけで十分特別よ。私には」
苦笑するランスにソフィアは動じることなく応じた。
 フレッドは部屋の隅で(寒さは感じなかったが何となく暖炉のそばで)二人の会話を聞いていた。黙って耳に神経を集中し思いを馳せた。今の自分、前世の自分、そして今ここにある銀の懐中時計へ。


 あれから前世では三日が過ぎた。予想通り雪は大地を覆い尽くし、視界はひたすらに白くなった。降雪はいくぶん和らいだ。それが降りつくした故の収まりなのか、嵐の前の静けさなのかは断定できない。
「ランス? ラーンースー」
 ランスは朝から居ない。ソフィアが目を覚ます前にこそこそと身支度を整えてどこかへ出かけた。落ち着きなくあちこちを探し回るソフィア、教えてやりたかったがそんなことができるはずもなく、フレッドはもどかしくそれを見ていた。
「何よ、黙って出かけるなんて……まだ降ってるのに」
ソフィアがふてくされて独りごちた直後、
 ダン! ──けたたましく鳴ったドアの音にフレッドもソフィアも、そろって体を震わせた。
 ダンダンダン! ──ソフィアは訝しげに、且つ警戒心を持ってドアに近づく。ランスならこんな乱暴な真似はしない。そもそも自分の家にノックをして入ってくるはずがない。
「……誰っ!」
音が止んだ。ソフィアはドアから三メートル以上距離をとって武器になりそうなものを探す。
「ソフィアか! 良かった、やっぱりここに居たかっ。あけてくれっ」
声には聞き覚えがあるらしい、ソフィアは慌てて扉のつがいを外した。着ぐるみのように全身に毛皮をまとった男が肩に雪を積もらせたまま無作法に室内にあがりこんできた。ソフィアは目を丸くしてそれを見守るだけである。
「どうしたの……? 寒かったでしょ、まだ降って──」
男はソフィアの適当な出迎えをうざったそうにあしらって、手渡された毛布を押し返した。
「いい、いい。ったく探したんだぞこっちは。まさかこの非常時に家にいないなんて思ってなかったからな……っ。その調子じゃ何も聞いてないな?」
「何をよ」
 男は頭を抱えて疲労を込めた溜息をつく。心外そうに顔をしかめるソフィア、彼女としてはさっさと用件済ませてランスを探したいところなのだ。
「決まったんだよ、島を放棄する。全員で脱出するんだ、もう女こどもは船に乗り始めてる。ソフィアも急いで家に帰って荷物をまとめな。置いていかれちまうぞ」
男はくたびれた表情で踵を返──そうとしたのをソフィアが無理やり引きとめた。もううんざりを言わんばかりにいやいや振り向く。
「ちょっと待ってよ! 何、なんでそんな突然に……!」
「だから! お前がこんなところにいるから伝達が遅れたの! みんなはもう準備万端なの! 分かったら帰る、支度する、船に乗る! いいな?」
やけくそに言い捨てて今度こそ踵を、返せない。先にも増して勢いよく腕を掴まれ男はよろめいた。
「だから何!」
「ランスは? 朝からいないのっ、ちゃんと伝わってんの?」
「ああ、ランスは──……船に乗ってるよ。長老たちにいろいろ仕事押し付けられてんだろ、あいつデキるし。……分かったら急げよ?」
ソフィアが手を離す。男が念を押して神妙な顔をつくるのを半ばどうでもよさそうに受け流した。
 腑に落ちない点は多々ある。男の忠告を無視してソフィアは暫く誰もいなくなった部屋の中央で考え込んでいた。同じようにフレッドも、納得のいかない表情で誰に届くわけでもない唸り声をあげた。やがてソフィアは首をかしげながらも自宅へ向かい、フレッドは姿の見えない「もう一人の自分」を探すため家を出た。



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