「そろそろ帰らないかなあと思って。他の二人もあんなだし」
「あのねぇ……何のためにここにいると思ってるの? 大罪を治す手掛かりがここにしかないって言ったのはあなたでしょ?」
「いや、まあ。あるとしたらここだって言っただけで、だいたい分かってたけど大罪に治療法なんてないよ。これ以上探したってくたびれ儲けだよ」
呆れかえって空いた口がふさがらないクレス、を押しのけて流石にフレッドが頭を抱えて出てきた。
「ちょっと待てよ。確信があったならなんでわざわざここまで来たんだよっ」
「んー、単純に一回来てみたかったから? ラインの守人の生活って興味あったし」
すかさず、目に着くもので一番重量のありそうな百科事典を持ち上げてギアに振りかぶるフレッド。それをクレスがぎりぎりのところで羽交い絞めにした。のけ反ったギアは苦笑いでずれた眼鏡をかけ直す。
「ってのは半分冗談で、治せはしないけどスイングを覚醒させることくらいはできるって言いたかったんだよ。四肢の不随は大罪によるものだと思うけど、昏睡状態は精神的なものだったり体力的なものだったりするからさ。北の大陸にのみ生息する──」
おもむろにフレッドに歩み寄り、その手に握られていた百科事典を取る。手際良く頁をくってとある項を開いて見せた。
「この花の根にそういった覚醒作用がある」
「花? こんな雪だらけのところに花なんか咲くのかよ」
「案外咲くもんだよ。植物は僕らと違って適応能力もあるしタフだからね」
分かったような分からないような顔のフレッドの横で、シルフィが辞典を覗き込み声をあげる。
「その花なら知ってるよ、あたし。昔おじいちゃんが若返るとか言って煎じて飲んでたもん。あたしには飲ませてくれなかったけど」
「何だよ、漢方薬かなんかか?」
フレッドの疑問にギアは答えず含み笑いをこぼすだけだ。何はともあれその謎の薬づくりに事態は発展したわけで、事が定まるとクレスがてきぱきとメンバーを割り振る。シルフィとクレスが花の採取へ、残る男性陣と南国生まれが部屋の片づけ係となった。
「だっりぃー。んだよ、またかよー。もう見飽きったっつーの、古本は! ……またこれだもんな、『正しいカヌーの作り方~応用編~』もういいっつーの!」
片づけを始めて数分と経たないうちに先刻と似たような文句を並べながらルレオがしぶしぶ古本と格闘する。冷ややかな目で見つめているものの、内心ミレイも暇を持て余していた。
「なー、その漢方薬できたら俺にもくれよ。ここんとこつまんねーことだらけで眠くってしょうがねー」
言っているそばから大あくびを漏らすルレオに、ギアは和やかに反対する。
「いいけど君には必要ないと思うよ。十分若いわけだし」
あくびを途中でやめてルレオは疑問符を浮かべる。フレッドも積み上げていた本を置いて話に割り込んだ。
「結局どういう薬なわけ? 若返り薬ってわけじゃないんだろ」
「そうとれなくもないけどね。元気も出てやる気も出て体力満点っていったらひとつしかないでしょ」
「はあ?」
「精力剤」
どうやら小馬鹿にされたようでフレッドは気分を害してそっぽを向いた。最近気づけばギアのおもちゃにされているようで面白くない。ちなみに二人の会話はごく小声で交わされており、ルレオには届いていない。彼の場合気分を損ねればふてくされて終わるわけもなく、確実に乱闘だ。ギアも弄る相手は選んでいるようで、そこがまた腹立たしい。
ルレオのあくびとミレイのくしゃみが何度か繰り返された後、入口のドアが開く音がした。同時に冷気が室内に流れ込む。
「たっだいまー! みんなちゃんと掃除してたー?」
フードに雪を積もらせて元気に帰宅のシルフィ、その後ろでクレスが雪女さながらに白い顔で唇を震わせている。フレッドが苦笑して毛布を手渡した。
「どうだった?」
小さく礼を言いながらクレスが手に持っていた籠をそれごと差し出す。籠の中には小さな赤い花をつけた例の薬の素がぎっしりつまっていた。ギアが横からそれを満足そうに横どりして台所へ向かった。
「でも良かったですね。これでスイングさんも意識が戻るし」
毛布にくるまったまま横着に話をまとめようとするミレイ、その手には紅茶の入ったカップが握られており、凍えきったクレスの冷ややかな視線を浴びる。
「戻るんだかどうだか……(精力剤だし)」
フレッドがぼやいたところで、ギアが湯がいた花の根をこんもり皿に盛ってきた。立ち上る湯気に乗って漂う香りは、それほど悪いものではない。
「後は乾燥するだけー。船の中で日干しにすれば十分だと思うよ。完成したらクレスも飲むかい?」
満面の笑みを浮かべるギアの後頭部を、フレッドがとっさにはたく。くだらない冗談をせき止めるには有効ではあったが、ギアは心外そうに後頭部をさすった。
「さてっ。一応の目的は果たしたわけだし、そろそろベルトニアに戻りましょうか」
クレスの一声で各々が重い腰を上げ始める。その中でフレッドだけが、何か考え込むように床を見つめていた。考えがまとまると、頷いてクレスを呼びとめた。
「何?」
「散歩してきていいか、ちょっと」
フレッドの思わぬ進言に、いましがた凍えてきたばかりのクレスは思いきり奇声を上げた。
「なんでまた……」
「……前世の自分の、墓参り、かな」
理由もまた、クレスの予想に及ばないものだった。が、彼女は何度か頷くと自分がまきつけていたストールをほどいてフレッドの首にぐるぐると巻いた。
「あまり遅くならないようにね、いってらっしゃい」
「……さんきゅー」
フレッドはクレスの好意にまとめて礼を言うと、だらだらと船に向かう連中の間をすり抜けて記憶を頼りにラインの麓へ向かった。雪道を一歩一歩確かめるように踏みしめて進む。
この道をフレッド自身は知らない。が、脳内にはしっかりと地図が刻まれていて、しかも進むごとにあり得ない感情が湧いた。
「この辺……だったよな、確か」
懐かしい、と単純にそう思った。来たことも見たこともない風景を、白い吐息に包まれていく雪の結晶を、不思議な気持ちでしばらく眺める。その視界には穏やかな海が広がっていた。フレッドが立つ岬からは、小さな浜辺とこの壮大な海が一望できる。
わけもわからず涙が出た。
「なあ、……ランス」
囁くように呼びかけた。千年前に同じ気持ちでこの場所に立った男へ。
「お前がこんなところでぼさーとしてるから、海が真っ二つに割れちまったんだよ。頭いいんならもうちょっと考えろっての。ソフィアだって守れたはずだぜ、あの時くだらない使命感さえ持たなけりゃな」
前世の自分はここで世界の終末を見届けた。そう思うと妙な気分だ。同じ魂を持つ者が同じ場所に立ち同じ風景を眺める、そうすることが何か意味を持つかと言われれば答えにくいが、少なくともフレッドにとって、それは必要な儀式だった。
「俺はあんたとは違う。第三のラインなんて絶対つくらせない。……俺はあんたとは違う道を行くよ、できるだけ傍で守りたい人がいるから。そこは偶然、同じ趣味みたいなんだけどな」
確かめたのは自らの信念と覚悟、誓いを立てるにはあまりにも切ない雪景色だった。