夢が終わる。無我夢中でフレッドは夢から逃げてきた。そうしなければあの世界に取り残される気がした。凄まじい吐き気と頭痛が体を駆け巡り、起き上がると同時に口元を覆う。
「気持ち悪ぃ……」
適当にかけられたシーツを握りしめる。何かの感覚を確かめて、現世の自分であることの確証を得たかった。最後に見た紫の閃光が、未だに眼球の奥で点滅を繰り返している。それを振り払おうと頭を振ると、今度は頭痛がついてくる。
「……大丈夫?」
その声に、フレッドは過剰反応を示して顔を上げた。一番はじめに飛び込んでくるのはシルフィの声だと決めてかかっていたせいもある、夢の中でいやというほど聞いたその声が耳元すぐ近くでささやかれるのを、フレッドはある種の恐怖感と共に認識した。
「クレス……なんで」
続きが出てこない。まともに喋る前に、まともに呼吸する方が先決だ。口元を押さえたまま俯くフレッド、まずは混乱を制すことに専念した。
「フレッドがあんまりうなされてたから心配でみんな呼んじゃった。ご、ごめん」
今度こそシルフィの声だ。問題ないと返そうとして、そうでもないことに気が付き再び目を見張る。みんな──つまりクレスの他、ルレオもミレイも、ギアさえも興味深げにこちらを覗き込んでいる。とりわけルレオは言うまでもなく終始にやにやとうすら笑いを浮かべていた。フレッドが惜しげもなく頭を抱える。
「ごめんフレッド! でも心配でつい……っ」
「いや、いいよ。確かにちょっとやばかったかもしれないし」
再び心配の色に染まるシルフィを窘めるように、フレッドは無理やり笑みをつくった。
面倒なことになったのは事実だ、こうまで雁首揃えられると事情を説明しなくてはならない。が、今見た夢の内容で話せることなどごくわずかだ。黙秘権はおそらくない。かなり厳選して、なおかつ慎重に言葉を発さなくてはならない。
「で? どうだったんだよ前世旅行は。じーっくり話聞かせてもらいてぇな。ゴキブリか? ミジンコか?」
更に頭を抱える。一番話したくない相手が今回に限ってやけに関心を持っているようだ。
フレッドは腹を決めて、前世での出来事を頭の中で整理し始めた。
数分後、まだ鈍痛の残る脳天をさすりながらフレッドが船室を出てくる。数分という時間内で彼が何をどのように話したか。
「ちょっと! 納得いかないんだけどっ」
答えは何一つ話していない、である。クレスが言葉のままの表情で、彼の後を追って船室を出てきた。
「だから……そのまんまだって。世界戦争の真っただ中で、海の上にラインの光ががーーって走って、おしまい」
露骨に冷ややかな視線を浴びせてくるクレスに、フレッドは愛想笑いで対抗する他ない。やがてクレスの方がしびれを切らして、肩を竦めた。
「ま、いいけど別に。そろそろ北の大陸だから、降りる準備しといてね」
フレッドは必要以上に終始笑顔をつくって、うさんくさいほど元気に返事をした。それからふと我に帰る。半ば忘れかけていたが、当初の目的は“スイングを治すために北の大陸に情報収集に行こう”だ。シルフィは故郷に帰れる嬉しさから、そんなことははなから頭にないし、おそらくギアは北の大陸そのものに興味を持っているだけであろうし、計画したフレッド本人が忘れかけているのだから、この船旅は限りなく無意味に思われた。
「フレッドー! もう着いちゃうよー!」
「今行く!」
いつまでも黄昏ているわけにもいかない、シルフィの呼び声に答えて踵を返した瞬間だった。足元がふらついて体が斜めに傾く。慌ててバランスを保ったが、思わず船室の壁に手をついた。まだ気分がすぐれない、というのは確かにあったが彼がふらついたのはそういう理由ではない。一瞬視界が白く曇った。
「なにやってんの? おいてくよ」
不躾に下から顔をのぞかせるシルフィ。フレッドは何事もなかったかのように微笑んで、彼女の手を引いて皆と合流した。とりあえず妙な違和感をぬぐうため何度か目をこする。視界には白く美しい北の大陸が映るだけで何の異常もない。
船は碇を下ろし停泊、シルフィが跳ねるように上陸一番を決めこんむと、それに続いて観光客気取りの五人が気だるそうに雪の大地を踏みしめる。空にはめずらしく太陽がのぞいていた。
「めっずらしー、晴れてんじゃん。からっと」
「今は短い高温期なの。って言っても雪はもちろん降るんだけど、猛吹雪にはならないよ」
得意満面に解説をくれるガイドに、ギア以外は苦笑いをかましていた。つまりはフレッドたちが初めて訪れたあのときが、まさに豪雪シーズンだったというわけで、そのバッドタイミングにわざわざ半ば遭難気味に出向いたのだからやるせなさもこみ上げてくるというものだ。
「ま、とにかく来たからにはやることやっちまおうぜ。シルフィんちの家宅捜索」
「カタクソウサク?」
「よっしゃ! 野郎ども、塵ひとつ見逃すな! 怪しいもんは片っ端から目ぇ通せ!」
「え、え? ちょっと、何やんの? え?」
「おー!」
シルフィの不安の声を遮って思い思いに拳を掲げる面々。家主をさしおいてさっさと屋内になだれ込んだ。ある者は物置を、ある者は書棚を、またある者は何やら食糧庫を漁って捜索を始める。全てはスイングを救うため! 彼の大罪を治すため! ──という気合いは、小一時間で尽き果てた。
「だりぃーー! なんだよ、絵本とか辞書とか、挙句の果ては『正しいカヌーの作り方~中級編~』かよ! ふざけんな!」
一番先に音を上げたのあ案の定ルレオだ、身も蓋もない言い分だが間違ってはいない。
「どっかで聞いたことあるなそれ」
フレッドもなんだかんだと手を止める。正義の家宅捜索は時間が経つにつれ、単なる大掃成り下がっていた。元よりこういったことには熱をあげない人間ばかりだ。
「そうかなー。案外掘り出し物多いよ、この家」
「掘り出し物って……のみの市じゃないんだから」
例外もいる。ろくにチェックもせずに本を積み上げていくルレオとは対照的に、ギアは真剣そのもので、どう考えても大罪に直接関係のないものも隅々まで目を通している。言ってしまえば両極端でどちらも役立たずであることに変わりはない。
「もうっ。何のためにここまで来たんですか。ちゃんと探してください」
一見まじめに取り組んでいるかのようなミレイの口ぶりだが、とぐろを撒いたように毛布にくるまって正論を述べられても説得力は欠片もない。
「みんな人の家漁ってるんだから真面目にやろうよぉ。これじゃ泥棒だよ」
「シルフィの言う通りよ。やる気がないんなら邪魔だから別の部屋行ってくれない? そこの散らかし屋と読書家と南国生まれさん! はい、散った散った」
クレスが先の役立たずたちをまとめて隣室に追いやる。居ても居なくても同じなら部屋は広いほうがいい。残された青年と少女は茫然として冷や汗を流すばかりだ。
「シルフィ、真面目にやったほうが良さそうだぞ」
「う、うん、そうだね」
クレスが戻ってきたときには、打ち合わせ済みの二人は黙々と作業に専念していた。ルレオが積み上げていった本の塔に、クレスが改めて手をつけた矢先。
「あのー」
「何? まだなんかあるの?」
おずおずと顔を出すギアにすかさず切り返すクレス、残りの二人はやはり我関せずを貫いていた。