Fairy Tale Chapter 23

 フレッドは暇を持て余してた。ベルトニアの、用意された客室の天井を寝転んで眺めている。身体を横にしていればいずれ睡魔が訪れるだろうと思っていたが、いつまで待っても夢の遣いは降臨する気配さえ見せない。寝返りをうって、フレッドは冴えた目を無理やりに閉じた。ベルトニアに到着して半日が過ぎようとしていた。
 船旅の間にギアが調合した薬(精力剤)を持って、彼らがベルトニアになだれこんできたのが正午過ぎ。スイングの寝室に群がって、ギアの作業を興味深そうにのぞきこんでいた。
「どのくらいで効くんですか? これって」
「さあ? 個人差もあるだろうけど二時間くらいかかるんじゃないかな」
ミレイの質問に答える。その手は長いチューブをてきぱきと、スイングの口から胃に向けて突っ込んでいる最中だ。明らかに目を背けているフレッドやクレスとは対照的に、ミレイは興味津々に一部始終を眺めている。
「で、この……チューブから、直接流し込むってわけね」
あからさまに拒絶反応を見せるクレスの傍らで、ギアは適当に頷きながら何の躊躇もなく他人の食道にぐいぐい突っ込んでいく。
「まあ気持ちのいいもんじゃないよねぇ。腹掻っ捌いて、よりダイレクトに摂取させるって手もあるけど、それだともっと気の毒だしね」
自分の提案に自分で笑うギアには当然誰も賛同しない。話を振ったクレスだけが、妙な責任感から苦笑いを返した。
「後は流しこむだけだからみんなは部屋に戻ってもらっても構わないよ」
ルレオがそそくさと、しかし足早に部屋を出る。次いでシルフィとミレイも。フレッドは立場上薬剤投与が終了するまでは立ち会わなければならないだろう、つくづくこの兄にはろくな目に合わされない。
「じゃ、流すよー」
ズズッズズズ……── フレッドは平静を保つことができず、チューブの随所で取っ掛かり突っかかり流れていく薬剤を渋い顔つきでいやいや見届けた。鼓膜に長く残りそうな歯切れの悪い音にも身震いをかます。
「これで二時間放置か。じゃ、俺部屋もどるから」
胃をさすりながらドアノブに手をかけるフレッドをギアが呼び止める。
「そろそろ着いてると思うから城門まで迎えに行ってあげてくれないかな。スイングとしても俺が付き添いしてるよりずっといいだろうし」
「は? 誰を?」
咄嗟に振り向いてしまったのは大失敗だった。ギアはいつもの調子でしゃべりながら、用済みとなったチューブをいそいそと引っこ抜いている。その末端を引き上げた瞬間、ギアは満足そうに微笑んで、フレッドはこみ上げてくる胃液を寸前で飲み込んだ。
「言わなくても分かるだろ。病は気からって昔から言うでしょ」
 フレッドは急いでドアを開けて城門へ走った。確かにギアの言うとおりだ、そう思ったから行動に移したのであって、気持ち悪さからくる逃亡ではない。そこまで頭がまわらなかった自分をとことん情けなく思いながら、門の前の桟橋に立つ人影に胸中でわびる。心もとなげに城壁を見上げて、彼女は誰かを待っているようだった。
「フィリア! 悪いっ」
城門をくぐる前に呼びかけると、人影はこちらに気づいて軽く手を振った。少し痩せた、細い腕をおろすと同時にフレッドが桟橋に駆け込む。
「ギアが呼んだって? っていうのをさっき聞いたんだ。どれくらい待ってた?」
「いいの、ついさっき来たから。……って言ってあげたいけど一時間待ったわよ! 退屈だし、足は痛いし……!」
「悪かったって。……ま、思ったより元気そうで良かったよ」
フィリアの顰め面に呆れながらも安堵のため息を深くつく。彼女の笑顔に多少の無理があろうとも、それに騙されたようにみせるのが良いと思った。フィリアがここまできたのは、フレッドと立ち話をするためではない。フレッドは会話を切り上げて、彼女を城内に通した。スイングが占拠している一室に、ゆっくりと足を踏み入れる。
「お、来た来た。はじめまして、ギアです」
フィリアに椅子を明け渡そうと、ギアが立ち上がって握手を求めた。フィリアはまた柔らかく微笑んでその手をとる。
「呼んでくださってありがとう。義弟はちっとも気が利かないもので。クレスさんも、お久しぶりね。無事で本当に良かったわ。お義父さんもマリィちゃんも随分心配してたのよ、あっ、もちろん私も、ね」
フレッドとギアが仲良く疑問符を浮かべるのは当然だ。クレスが死神に拉致された際、まさかフレッドの家で昼食をご馳走になったあげく倉庫を物色したなどとは誰も思わない。知っているのはここではフィリアとクレス、それに退室済みのルレオだけだ。
「あのときは本当にご迷惑をっ。ろくにお礼もしないままですみません」
「いいのいいの、気にしないで。ほら、みんなはもう休んだら? そのために私を呼び出したんでしょ。どうせこの人、まだまだ起きなさそうだし」
この人──眉ひとつ動かさず昏々と眠り続けるスイング。フィリアがそばにいることで状況が劇的に変化するわけではなかったが、これもギアの言うとおり「病は気から」だ。フレッドが無言のまま踵を返す。クレスも察してそれに倣った。
「ギアは?」
「俺は残るよ。何かあったときに対処しやすいように」
ギアも流石にばつが悪そうだったが仕方がない。クレスが頷いてドアを閉めると、フレッドはもうあくび交じりに先を歩いていた。
「だー! もー! くそったれ!」
 ベッドに突っ伏していたフレッドが、突然前触れもなく絶叫して飛び起きた。今日一日の出来事を振り返ってみたところで、結局眠気というやつは来なかった。ギアは二時間だと言ったが、時計は既に八回周回している。こうなるともう無期限の待ち時間を覚悟するしかない。
 子どものようにふかふかベッドに転がって足をばたつかせていた矢先だった。ノックが響く。
「フレッド、起きてるか?」
ドア越しに聞こえたギアの声に、フレッドは返事よりも先に廊下に飛び出した。その妙な迅速さにギアが後ずさる。
「何か変化あった!?」
「あ、うん。ようやく王子様の目が覚めたから呼びにきたんだけど。どうする? みんなも集めたほうが──」
ギアを押しのけてフレッドは走った。今日はこんな風に走ってばかりだ、ギアが後方で肩をすくめているのも気にせず、城内を駆け抜ける。
 ドアを開けた途端、上半身を起こして出迎える兄と目があった。目が、あったのである。焦点がはっきりした瞳でフレッドを見据えるスイングに、まず思ったのは感動だとか郷愁ではなく、苛立ちだった。それは兄に対して、一番慣れ親しんだ感情でもあった。スイングが今までに見せたことのないような穏やかな笑みを携えていることも、苛立ちに拍車をかけた。
「……もう土下座は済んだのかよ」
「いや……そうだな、これからするところだ」
フィリアは隣で笑いをこらえている。彼女が隣にいることで、それだけでスイングのこぼす笑顔がなんら不自然なものでなくなる。スイングは見せたことのない表情を晒しているわけではなかった。ただフレッドが見ようとしなかっただけで、彼はいつもそういう顔を見せていたのだから。
「……あのさ──」
「フレッド! 目覚ましたってほんと!?」
のど元まで出かけた言葉を半強制的に飲み込む羽目になり、フレッドは開け広げられたドアをにらみつけた。不躾に乱入してきたのはクレスを先頭にした残りのメンバーだ。
「……みたいね」
状況を把握するとクレスはそそくさと隅の方に身を寄せた。フィリアは一部始終をほほえましく見守っている。入り口付近で団子状態の連中の中から、小さな影が飛び出した。



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