Fairy Tale Chapter 23

「それって、聞いた時点でもう意味なくないか?」
恐ろしく平静な自分がいる。そいつがギアの真面目なのか不真面目なのか分からない発言に、思わず苦笑いをこぼしていた。そして発狂寸前の自分もいる。心臓を殴り続けるのはそいつの仕業かもしれない。
「そうだな、じゃあはっきり言うよ。蜃気楼の塔で死神に触れたな? おそらくはそのときに『大罪』をもらったんだろう。ほっとけば悪化するのは目に見えてる」
ギアは抑揚の無い声で淡々と見解だけを述べた。彼の見解は、すなわち事実だ。しばらく頭の中が真っ白になったが、数秒も経たぬうちに思考回路は機能を回復した。鼓動が徐々に落ち着きを取り戻す。それを助長すべく深呼吸した。
「そっか。まあ、仕方ないか」
フレッドのその態度を見て、ギアは何か不服そうな顔をした。何が気に食わないのかは分からないが、いちいちギアの機嫌をとっている余裕もない。精神的にも、時間的にもだ。フレッドは部屋の隅にある図体のでかい柱時計に目を配った。そろそろクレスが帰ってくる、その前に言っておかなければならないことがひとつだけあった。
「ギア、ひとつだけ頼んでいいか」
「……ひとつだけならね」
ギアはカップ三つに湯を注ぎながらくだらない冗談を返す。
「クレスや、みんなには黙っててほしい。……直接関係ないし、言ったって余計な心配かける」
三人分の紅茶がカップに注がれた。ギアが振り向くと同時にドアが軽快に開かれた。思ったとおり、バゲッドを小脇に抱えたクレスの登場だ。
「オーケー。男に二言はない」
どこまでも食えない男だ、それともクレスのタイミングが良すぎたのか。帰還するなり意味深な台詞を吐かれて場を締められたのでは、クレスの極上の顰め面も当然のことだ。
「何なのよ……」
「何でもないよ」
「そっそ。強いて言うなら男同士の熱い誓いってやつだよ。まぁ、ひとつお茶でも」
今すぐその銀縁メガネをぶち破ってやりたかったが、拳を握り締めるだけにとどめておく。訝しげに小首を傾げるクレス、渡された紅茶に口をつけたがすぐに置いた。
「何でもいいけど早いとこ帰らない? 必要なものは手に入ったわけだし」
「やけに急かすね。自分でついてきといて」
「そうなんだけど、なんだか胸騒ぎがするっていうか……落ち着かないから」
クレスの神妙な顔つきは、フレッドの腰を上げさせた。肩をすくめてギアも、最後の一口を勢い良く流し込む。
「先に船に戻るわ。用意ができたらすぐに出航しましょう」
「俺もお先に」
クレスとフレッドは相次いで港に向かう。当然のことながら家主のギアが食器の後片付けをする羽目になった。
「面倒なことになったな……」
食器洗いにか、フレッドの行く末にか、どちらともつかない嘆息を添えてギアは独りごちた。
 フレッドは平穏が好きだった。だから例え暇を持て余すようなことがあっても、それを心底苦痛に感じたりはしない。クレスもどちらかといえば、平穏が好きだった。けれど暇を持て余すような時間は好まなかった。常に何かから平穏を勝ち取ることが彼女の仕事であり、生きがいであったから、ギアはそれを察して彼女のことを〝根っからの軍人″と称したのである。フレッドにとっての一時の安息と、クレスにとっての長すぎるブランク、いずれにせよこの二ヶ月という期間の平穏は、彼らの視界の外で確実に崩れ去ろうとしていた。
「……嫌な風だな」
出航して二時間、ギアのこぼした不吉な言葉にフレッドは眉をひそめた。
「何根拠にまた……」
「かすかに硝煙のにおいがする。それに空の色、よく見てみろ」
言われるままに首を上方にもたげる。夕焼けにはまだ時間があるにも関わらず、西の空は少しよどんで赤茶けていた。クレスのデッキから身を乗り出して、険しい形相でベルトニア上空を注視した。
「まさか……よね」
「俺ならそのまさかだと思うね。うすうす感づいてたから急いで戻ってきたんだろ? まあどっちにしろ帰った瞬間、クレスの嫌いな暇ってやつはないわけだ。仕事に励んでもらわなくちゃあな」
ギアに他意はない。分かってはいたがクレスにはずしりと重かった。彼女は、死神よ早く事を起こしてくれと望んでいたわけではない。誰かがそう望んでいたとしても、その結果起こった出来事ではない。責任を感じる必要はみじんもなかったが、状況がそうさせてはくれなかった。
「しっかりしてくれよ、放心している暇はないぜ?」
「分かってるわ。ベルトニアに着いたらまず国王の無事を確認、それから必要に応じて分かれて行動しましょう。人命救助を最優先に」
「了解」
クレスは軍人だ。「根っからの」というギアのお墨付きでもある。フレッドの気遣いなど無用であることは彼女の目を見ればすぐに分かることだった。ただ、良くも悪くも彼女が、感情を捨てられない人間であることもフレッドは十分に承知していた。
 ベルトニア湾に入り、港が近づく。どこか遠い空の出来事のように思えた戦火の色と臭いは、まぎれもない現実の出来事として眼前に展開されていた。
「港に突っ込むからそのつもりで衝撃に備えろよ!」
そういうわけでギアは停泊位置を思い切り無視して、荒っぽく港の石畳に船を乗り上げた。顎が上下に激しく震動し、反射的に歯を食いしばる。
「無茶苦茶やるなあっ。普通そのまま突っ込むかあ?」
「飛び降りるわよ! ぼやぼやしてないでついてきて!」
クレスはまだ振動する船から軽やかに飛ぶ。それに倣ってフレッドもぎこちなく降り立った。横目で見た船首は無茶な入港のせいで見るも無残な姿に変わり果てていた。ちなみにこれはベルトニアからの借り物だ、他人の船となるとこうもぞんざいな扱いができるギアはある意味潔い。
「……ファーレン総攻撃の時の比じゃない。これをたった一人でやったっていうの? ……化け物だわ……」
ギアがやらかした国王船の損傷など、たかが知れていた。赤茶けた空、立ち上る煙と灰、炎と熱、まるで景色の一部のように横たわった人々、視界に映るそれらにクレスは強く唇をかみ締めた。



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