Fairy Tale Chapter 23

 フレッドは不満顔を顔面全域に惜しげもなく爆発させていた。きらめく波も歌うかもめも、彼には恨めしいものでしかない。生粋の軍人であるクレスが平穏を退屈がるのは仕方が無いことなのかもしれないが、この男は違う。運命のいたずらで平穏を奪われただけの、いわば平穏第一主義の人間である。従って、やっと訪れたつかの間の安息をこうして人為的に奪われたことに腹を立てずにはいられない。
「そうカッカしないでよ。ベッドでごろごろしてるのって身体に良くないし、なまるでしょ? いい気分転換だと思って、ね」
「そこで何で俺なんだよ。いるだろ他に、シルフィとか、ミレイとか」
「強化作業が終わればどっちみちすぐにクリスタルラインに向かうことになるんだから、そのための準備運動だと思えばちょうどいいでしょ」
フレッドの反撃は難なくいなされ、不発に終わる。観念したのか、生返事をしてイズトフに到着するのを待った。
 イズトフの街の外れ、というより繁華街とは一線を画した鬱蒼とした林の中に、ギアの家はこじんまりと佇んでいた。自称天才の住処となれば、もっと凡人には理解しがたい構造なのかと思いきや、木造の簡素なものだ。森と調和した閑静な一軒家、といえば聞こえはいいが、フレッドの目には人嫌いのための仙人ハウスにしか見えない。
「イズトフの倉庫から随分離れてるのね。あれもギアの土地でしょう?」
「一応はね。作業場として使ってるからほとんどあいつらのものかな。こっちこっち、先にやること片付けちゃおう」
仙人ハウスを横切ると、裏手に二棟続きのログハウスがお目見えする。おそらくこれが噂の薬品倉庫とかいうやつだろう。ギアは、何重にもかけられた南京錠を手際よく外していく。錆付いてすぐに砕けてしまった作業倉庫に比べるとかなり厳重だ。
「俺は二番倉庫を開けてくるから、この紙に書いてあるやつを見つけてくれる?」
「探すたって……ここだけで何種あるんだよ、これ」
開け広げられた倉庫の中からはひんやりした風と、木のにおい、それからところ狭しと並ぶ薬品の独特な雰囲気が漂う。
「ひとつのロッジに約五万種程度収まってるから、二棟で十万種ってところかな。液状だから比較的探しやすいと思うよ、がんばってねー」
もはや無言でげんなりするだけのフレッド、ギアに笑顔でメモ紙を押し付けられて更に肩を落とす。コレクションだとか豪語した割りに整理されていないことが腹立たしい。一見隅から隅まできちんと陳列されているように見えるが、その順番にはなんら脈絡がないことは探し始めてすぐに判明した。
「……グニジリン。なんじゃそりゃ」
「ライン付近にしか生息しない突然変異種の鳥が作る皮膜だそうよ。気流の変化に耐えられるように粘液で身体全体をコーティングするんだって。なるほどってかんじよね」
「詳しいな……」
説明を聞いてもやはり、なんじゃそりゃとしか思えない。クレスは薬品名をつぶやきながら真面目に陳列棚に目を走らせている。フレッドもしぶしぶ端から物色しはじめた。
 薬品と一言で言っても固形のものから液体、粉末から気体までさまざまにある。コレクターははったりではなかったらしい、毎度のことながらフレッドは感心と同時にそれ以上の恐怖を覚えていた。
「本当にあるんだろうなぁ」
半信半疑になるのも無理はない。薬品による薬品のための薬品アイランドのようなこの場所で、人間二人は極めて異質だ。所狭しと羅列した棚の間に挟まって、フレッドは早く終わらせようといつになく真面目に取り組んだ。
 神経をすり減らすこと一時間強、茶色い瓶─同じものが棚の奥に数十本見える──のラベルに擦り切れた字で〝グニジリン″を走り書かれたものを見つける。
「……これ、か?」
「見つかったかー? なんかひとりで探してると空しくて。……フレッド、あった?」
 開け放したドアの縁に寄りかかって、ギアがタイミングよく顔を出す。位置関係としては、入り口のギアを基準とすると右端の棚の陰にフレッド、正反対の棚にクレスだから全体が見渡せるのはギアだけだ。クレスとフレッドの間には数十列の棚が並び、二人の視界を遮断している。フレッドにとっては、それが不幸中の幸いだった。
「……どうした? 固まっちゃって」
グニジリンの瓶を掴んだまま微動だにしないフレッド、ギアが心配そうに寄ってくると何かを振り払うようにかぶりを振って瓶を差し出した。
「これでいいんだよな。感謝しろよ、逆側から探してたら日が暮れるところだった」
「……ああ」
クレスが反対側から駆けつけてくる。フレッドよりも先に見つけたかったようで、悔しそうな顔で苦笑いしていた。大役を果たし、大きく伸びをするフレッドをギアは何故か険しい顔つきでにらんでいた。
「これで空母も完成ね。早くベルトニアに戻ってみんなに渡してあげなくちゃ」
「さっさと帰ろうぜ。どっと疲れが出た気がする」
クレスがいち早くロッジを出る。フレッドがそれに続き、ギアが最後に来たときと同じように厳重に鍵を閉めた。扉が開かないことを確認して、ギアは笑みをつくって振り向いた。
「クレス、おつかい頼んでもいいかな。バーゼルのところのバゲッド、みんなの好物なんだよね。せっかくイズトフに来たんだし、叔父さんに顔見せときなよ」
「え? 今から?」
ギアは内ポケットから何枚か紙幣を取り出してクレスに渡した。不審がる二人をもろもとせずに強引にクレスの背中を押す。
「でも……」
「頼むよ。フレッドとお茶入れて家の中で待ってるからさ。おつりでお菓子買っていいから」
確かにそれはおつかいの醍醐味だ、クレスが微笑して仕方なく承諾すると、ギアは半ば彼女を追い出すように手を振って見送った。ギアにとって今邪魔な存在であることは否めない。
「さて、と。家に案内するよ、ついてきて」
何かをたくらんでいることくらいフレッドにも分かる。不気味なくらい笑顔を保ってフレッドを招き入れると適当な椅子に座らせる。椅子もテーブルも木製の手作りで、下手に装飾がない分すわり心地がいい。ものめずらしさが手伝って、しばらくは屋内に視線を走らせていたがすぐにそれにも飽きる。男二人、会話に花が咲くはずもない。
「何のつもりだよ。クレス追い出して俺と二人になる意味あんの? 何たくらんでるんだよ」
意を決してフレッドが沈黙を破った。ギアがその瞬間不快を露骨に顔に出す。
「そっくりそのまま、フレッドに返すよ。よくもまあ上手に隠してきたもんだな、俺まで騙せると思ってた? ……今は見えてるんだろうな、その目」
 心臓が大きく跳ねた。
「何のことか分かんねぇんだけど」
「あんまり俺をイライラさせるなよ。今も、北の大陸に向かう船の中でもそうだったな。何を隠してる? 瓶をもらったときも焦点が合ってなかった」
鼓動がうるさいくらい早く、大きく響く。笑ってごまかせば何とか乗り切れたかもしれない、唯一残された策をフレッドは選ばなかった。動揺を、そこからくる指先の振るえを、これ以上誤魔化すのは難しい。
「何でもお見通しってわけか。別に何も隠してたつもりはない、言う必要なんかないと思ってたんだよ」
はじめは本当にそう思っていたはずだ。それが度重なることで不安は確定的なものに変わっていった。突如として白く曇る視界、それが先刻はひどくはっきりと長い時間続いた。ギアの嘆息が深々と響く。
「……見せてみろ。最悪の事態かもしれない」
ギアの言う最悪の事態が何を意味するかくらいはフレッドにも分かる。うすうす考えてはいたことだ、しかしいざ他人の口から聞くと誤魔化しがきかなくなる。事実フレッドの心臓は、全力で殴られ続けているようにやかましく鳴り、痛んだ。
 眼球をひとしきり品定めしてギアはまた嘆息した。
「……こういう場合、宣告したほうがいいタイプ?」



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