「おいチビ、お前の相方どこ行ったよ。探してやってんのに出てこねぇってのはどういう了見だよ、なめやがって」
仮面舞踏会はとっくの昔に終了していたが、酔ったルレオにそんなことは関係がない。彼は気にいったのか仮面も付けっぱなしでフロアをうろうろしていた。見つけたシルフィの頭をわしづかみにして、相変わらずの理不尽な台詞を並べている。
「フレッドのこと? いないの? っていうか頭離してよっ、とんがりつり目!」
仮面を付けたままでもシルフィにしっかり認識されたのは声の調子とお粗末な言い草のせいだ。シルフィとこの仮面が案外に役立たずであることを悟ると、ルレオは仮面を外してその座りきった目で会場内に視線を走らせる。見つけた瞬間とって食いそうな勢いだ。と、次なるターゲットにリナレスを選んで走りよる。
「おい、フレッドのボケ知らねぇ? ええーと特徴はだな、やさっとしててぬへーっとしてて、白タイツの似合う……」
「酒くさっ。寄らないでよ、馬鹿がうつるでしょ! 説明めっちゃくちゃだし」
リナレスは露骨に嫌悪感を表して鼻をつまむ。そのまま本当に二三歩後ずさって距離をとった。ここまでされれば多少酔いも冷めるというものだ。
「……肝心なときにいやがらねぇ奴だな。もういい、俺一人で何とかする」
「何よ、なんか問題発生?」
「トーナメント制でアームレスリングやるんだとよ。優勝者にはお望みの品、っつーことで楽に大金が手に入るってわけ」
リナレスが聞こえよがしに、いやこの大きさならわざとだろう盛大に舌打ちをかます。反射的にルレオの額に青筋がたった。
「がめついっ。お望みの品って言われてどうしてそっこうーで金に結びつくのよ。信じらんないっ」
「はあ? 馬鹿かお前。お望みの品は金がありゃ手に入んだろうが、ちったぁ頭使えよ」
ルレオが負けじと唾付きの舌打ちをお見舞いする。リナレスは顔を真っ赤にして戦慄いたが言い返す言葉も見当たらず、瞳をお金マーク一色に変えたルレオをみすみす取り逃がすしかなかった。そのときは、だ。
(見てなさいよルレオ……! 総力あげてぶっつぶしてやる……!)
ルレオの腕力がどの程度のものかはさておき、こちらにはうまく言いくるめれば千人力の人材がいる。それに合わせてフレッド(やはりその実力のほどは定かではないが)を手中に収めてしまえば、ルレオごとき一ひねりのはずだ。リナレスは手早く根回しを行い、仕上げとばかりにフレッドを追って会場を後にした。先刻人知れず庭園に向かう彼の姿を見ている。足音を潜めたのは無意識というか職業上の癖というやつで他意はなかったが、結果的にそれが有効だったのは言うまでもない。
リナレスは庭園の入り口でフレッドの姿を確認した。確認し、数秒観察し、すぐに踵を返した。再び足音のしない全力疾走でパーティ会場へ帰還する。戻ったときには既にアームレスリング大会は始まっていて、中央を囲んでドーナツ型にギャラリーが群れていた。当初の目的だったそれもリナレスには半ばどうでもよくなっている。
「どこに行ってたんだリナレス。君もエントリーすれば結構いい線いったと思うがな」
「べべべベオグラードさんっ! そうですね! そのつもりだったんですが!」
無意味にテンションを上げて高笑いするリナレス。その引きつった笑みを見て、ベオグラードが興味津々に身を乗り出してきた。厄介なのに見咎められてしまった。のけぞってかわそうとすると、同じタイミングでギャラリーから歓声があがる。どうやら誰かが派手に勝ち越しているようだったが、もはやそれどころではない。
「で、何を見た? それとも聞いた、か。どっちにしろ全く見えんアームレスリングよりは面白そうだ」
ベオグラードの愚痴どおり、ギャラリーが群れすぎていて後方からは何がどうなっているのかさっぱり様子がつかめない。かといって人々を押しのけてまで見ようとも思えない。自然と好奇心はリナレスの握っている分かりやすいネタに移行するというわけだ。
「はあ、でもこれ言っていいものかどうか」
また歓声と指笛が響く。ベオグラードはちらりとそちらを気にしたようだったが、すぐに腕を組みなおして嫌らしく笑んだ。
「何を今更。言いたそうな顔をしてたから聞いてやろうと思ったんだ。なあに、俺は口が堅い。信用していいぞ」
「そ、そうですよねー! 黙ってるのは身体に毒ですもんね、やっぱり!」
「その通り。国家の護衛隊たるもの自らの健康くらい守れなくてはな」
その暗部たるもの機密保持くらいプライドを持ってほしいところだ。以前謹慎処分を受けた原因もこの手のことだったように思うが、今は言いくるめておく。
「その、えーと、さっき中庭にですねぇ、フレッドを探しに行ったんですが。ちょっと見てはいけないものを見てしまいまして」
「だから何だ、さっさと話せ」
「えーーーーと、ですからぁ、その、ク……クレスさんとぉ」
「チューでもしてたか」
リナレスがわざわざ言葉を濁したのも無視して、ベオグラードはさもつまらなそうに言い捨てる。本当につまらなかったのだから仕方が無い、もだえるリナレスに向けて思い切り唖嘆した。
「おい……随分もったいぶって本当にそれだけか」
「えぇ? それだけっていうか、ベオグラードさんご存じだったんですか?」
「知らんよそんなことは。いずれそうなるような気はしていたがな」
ワーー! ──また歓声がとどろく。先刻からひっきりなしだ、勝者はよほど強いのだろうか。
(そうかあいつらがな。まあ、なるようになったってところか)
ギャラリーの群れの中からどうやら敗退したらしいニースが、しょぼくれて抜け出してきた。ベオグラードとリナレスが群れを取り巻いているのを見つけて、苦笑しながら合流する。ベオグラードがやけに穏やかな笑みを浮かべているのに首をかしげた。
「なんだ見てたんですか。にやにやしちゃって、何かいいことでもありました?」
「まあちょっとな。しかしだらしがないなニース。ベルトニアの軟弱兵に負けてるようじゃ話にならんぞ」
リナレスが辺りを必要以上に見回しながらベオグラードを嗜める。護衛隊長が発言に気を遣わないようでは部下の口が軽かろうが、軟弱だろうが致し方ない。しかしニースはばつが悪そうに苦笑いするばかりだ。
「いや、それが……」
「すごいすごい! ルレオ選手十人抜きです、凄まじい形相です! 何かがとり憑いているのか、とり憑いているとしたら一体何なのか! もう誰も彼を止められません!」
レフリーがこらえきれず実況を始めたようだ。なるほどニースのやりきれない表情も頷ける、歓声の大本がルレオではベルトニア兵にのされるよりも後味が悪い。
「とり憑いてるのが何かって……」
「金の亡者でしょ」
目が血走ろうが歯茎から血が出ようが金のためなら何でもやる男だ、その執念がここまでとは恐れ入る。盛り上がる渦中を恨めしそうに見やってニースは右手をぶらつかせた。と、ベオグラードがにやつきながら腕を回しはじめた。
「さあて、そろそろ仕置きの時間だなあ」
「そうよっ。こっちにはベオグラードさんがいるんだから!」
対ルレオ最終兵器としてリナレスが仕込んでいたのがベオグラードだ。言うまでもなくベオグラードも順当にトーナメントを勝ち上がってここまできている。自信満々のファーレン護衛隊長の顔を目にして、流石にルレオも口をゆがめた。
「レディー……!」
ルレオとベオグラード、双方胡散臭い笑みを作ってにらみ合う。手を組み合って腰を落とした。
「ゴー!」
とたんに二人の顔つきが一転する。片方は血管が千切れんばかりに浮き立ち、片方は首まで真っ赤にして力んでいる。どちらも奇怪な歯のきしむ音がする点では同じだ。
「言っとくけど手加減なんざしねぇぞ! こっちは命かけてんだっ!」
「ほう、それは殊勝なことだ。だがそういうのは……負け犬の遠吠えってやつだな!」
ダン! ──辺りが静まり返る。ルレオ無双はここで敢無く終了、ファーレン護衛隊長の快挙に皆沸きあがった。ルレオがこの後数時間に渡ってこの世の終わりのようにへこんでいたとかいなかったとかいうのは、また別の話である。