The Dream In Sacred Night Chapter 25

「……そんなのご丁寧に締めてたらいざって時に動けないじゃない」
「そりゃそうだけど……そんな格好してまで暴れるつもりかよ……。まあそれだけ細けりゃわざわざ締め上げる必要もないか」
クレスはまた言葉を飲み込んだ。褒められたのかけなされたのか判断しにくい。どちらにしても早いところこの話題からは手を引いた方が身のためだ。
「もうみんなとは話してきたの?」
「話つってもな、そんなに今更改まって話すこともないし。……なんか、落ち着かなくて」
「ああ、うん……。私も、かな」
同意を示されると妙に安心感が沸いた。自分と同じ理由と目的で、彼女もここにいるような気になる。
 フレッドには、ここに腰を下ろした理由と目的があった。星はほとんどない。けれど青白く輝く月のおかげでさほど暗いわけでもない。ダンスタイムが終了したらしく、遠くこまくをくすぐっていた音色も気づけば止んでいた。静寂が訪れる。
「いろいろあったわね、今まで……。ありすぎて整理してる時間も無かった。じっくり状況を考えたり、気持ちを整理したり、そういう時間がなかったでしょう? 最後にいろいろ考えたかったからこういう時間はありがたいわ」
「そんな暇があったら今こうはしてないだろうな。自分を殺そうとしてた女とのんびり談話、とかな」
「そ、それは仕方のないことでしょう? ベオグラードの馬鹿な計画に乗ったりするからっ。それに加えて王位継承……。……あ、やめよ。思い出しても頭が痛い……」
かぶりを振るクレス。対してフレッドは他人事のように乾いた笑いをかましている。その件についてはもうこれでもかというほど悩まされてきたのだ、心外そうなクレスに合わせて頭を抱える必要はない。動揺しなかったのが面白くなかったのか、クレスは反撃第二段に出る。
「それにしてもフレッドの当初の印象ってすっごく悪かったわよ。っていうか態度? とりわけ私に対しての? ルレオにもそうだったっけ?」
痛いところを突いてくる女だ、それを言われると弁解の余地も無い。フレッドは頭をかいてクレスの容赦ない攻撃を受け流す。
「あのなあ、仕方ないだろ。いきなり国王とかになってテロリストだっつって追われてみろ、人に好意的になんかできるかよっ」
「怒んないでよ、始めはって話でしょ。フレッドも、ルレオも今は全然違うもの。あの時はいつか二人、どっちかがどっちかを殺しそうで内心冷や冷やしてたんだから」
「あ、それ何回も考えたなぁ……」
言われてみればルレオとの付き合いも長い。流石に当初のようないがみ合いをすることはなくなったが、互いに信と義を以て慈しみ合う関係かと言えば話は別だ。単に愛着、そう長い付き合い故の最も単純な情が奴にも沸いただけのことである。
「そういや、大喧嘩もしたな」
クレスは一瞬、誰との、どのやりとりのことかと視線を上向きにした。フレッドが嫌らしく笑っているところを見て、それが自分との仲たがいのことを指しているのだと気づく。
「あの時はみんなにめちゃくちゃ責められたなぁ……」
「当然でしょっ。私がもう少しのんびりしてたらみんな助からなかったかも」
「はいはい感謝してますよ。クレス様のありがたみが身にしみましたとも」
「分かればいいのよ、分かれば」
クレスは冗談めいた口調で笑ったが、フレッドにしてみれば本心からの言葉だった。あの決別と再会は、彼にとって契機だった。自分の気持ちのいろいろな変化をゆっくり見つめなおす良い機会だった。
 思い返すと確かにいろいろなことがありすぎて、疲れや懐かしさや、あるいはちょっとした痛みなんかが胸中をめぐった。深々と嘆息するフレッドの心情に同調して、クレスも軽く息をつく。
「死神のこと、時計のこと、大罪のこと……本当にいろいろあったわね。何て言うべきかな。フレッドにちゃんと、伝えようと思って考えてたんだけど」
フレッドは座ったままで顔を上げた。彼にはここに居る理由と目的があった。そしてそれはクレスにもあって当然のもので、フレッドは会話をしながら無意識にそれを計ろうとしていた。
 クレスは考えがまとまらないまま唐突に右手を差し伸べてきた。
「今日までお疲れ様……って、ちょっと違うかな。何て言えばいいんだろう」
フレッドは腰を上げ、クレスの右手をとるために歩み寄る。その手をとれば、彼女が言いたいことのおおよそは見当がつくような気がした。いや、既についている。それがフレッドの伝えたいものとは違っていることも分かる。
「フレッド」
差し出された右手をとった。
「今日まで、ありがとう。明日がんばりましょう。……って言うのは、変、かな……?」
「いや?」
フレッドがそれだけを自信満々に口にしたのがおかしくて、クレスは笑った。フレッドは右手に信頼をこめた。誓いをこめた。そしてこの右手だけでは伝わらない感情を、どうすべきか迷った。迷いながらゆっくり手を離した。
「……じゃ、私先に寝るわね。みんなにもあんまり羽目を外さないように言っておいて。おやすみなさい」
フレッドが小さく頷いたのを見て、クレスは安堵して歩き出した。遠ざかる足音と気配を背中に感じながらフレッドはただ突っ立っていた。渦巻いていた焦燥が急激に膨れ上がる。クレスの後姿を目で追った。──フレッドには、ここへ来た理由があった。
「あのさあ!」
半ばけんか腰に呼び止める。しまったと思いつつ、もう後には引けない。クレスは無言のまま続きを待っていた。それが想定外といえば想定外で、二人は距離を置いて向き合ったまましばらく沈黙を保っていた。
 フレッドは今更、頭の中を高速で整理し始めた。考えていたはずのことが散らかって収集がつかなくなっている。時間と風だけが無情に二人の間を通り過ぎていった。
(だめだ……! 言えっこねえ!)
そうしてたどり着いた結論がこれだった。涙ぐましい苦悩を重ねた末のこの結論、自分で自分が情けなくなって、走り回っていた鼓動も徐々に元気をなくしていった。眉をひそめて大きく嘆息した。
「……何?」
「いや、いいよ。……また今度で」
もう愛想笑いをする気力も無い。深々と、それはもう様々な思いを吐き出すように深々と嘆息してみせる。クレスの顔も周りの景色も見ないように努めた。だから彼女の優しい苦笑に気づくはずもなかった。クレスは声を殺してしばらく微笑んでから、もう一度バルコニーのほうへ歩み寄った。
「ねえ!」
フレッドに負けじと声を張り上げた。クレスの声は夜の冷えた空気になじんで、よく響いた。
「今度、歌劇でも見に行かない? ──できれば、二人で」
 クレスはフレッドがどういうつもりでここへ来たか、知っていた。つまりフレッドが何を言おうとしてやめたかを知っていたから、その言葉を選ぶことができた。その意図は無論フレッドに十二分に伝わる。彼は再び俯いて頭をかいた。今度はフレッドの方が背を向けて、先刻までクレスがそうしていたようにバルコニーから雄大な景色を眺めた。そこに立ってはじめて気づく。
「……ライン見てたんだとばっかり思ってたよ。すごいな、これ」
クレスはまだ帰らずにそこにいた。それが気配で分かっていたからフレッドも彼女を見ないまま話しかけた。
「びっくりしたでしょ、それ。今日そこに立ってみて初めて気がついたの。これだけ城内がぼろぼろになったのに……強いよね」
クレスがいつの間にか隣に立っていて、二人はライン──ではなく、自分たちの真下に咲く一面の鈴蘭を見下ろした。城壁の狭間にある僅かな大地に根を張って、日の光も届きにくいであろうその場所に力強く群生している。月明かりだけがその白く繊細な花たちを見つけ、より一層輝くようにと照らし出していた。フレッドは食い入るようにそれを見つめた。いろいろな綺麗なものを今のうちに瞼の裏に焼き付けておこうと思った。この一面の鈴蘭も、ラインも、月も、クレスの横顔も。
 クレスの手を握ったのはフレッドなりの無言の確認だった。彼女が瞼を閉じきる前に、フレッドは唇を重ねた。



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