A Lunar Eclipce Chapter 3

 フレッドに初めて本当の後悔の念を抱かせたのはベオグラードだった。誰もが全ての責任をフレッドに押し付けていく中でただ一人、彼だけはそうではなかった。開き直ることで押し隠していた罪悪感が一気に湧きあがってきたが今ベオグラードの行動を無駄にすることはできない。
「何をしている! 早くとどめをさせ!」
国王の怒声を合図代わりにフレッドは思い切り、あばら骨を折る勢いでベオグラードの腹部を蹴りあげる。妙な小芝居を完璧に演じきれる自信はなかったから、最後だけは本気で挑む。もちろんベオグラードは必要以上に派手に吹っ飛んで頭を腹を抱えてくれた。
「ルレオ、エンジン吹かせ! 飛び乗る!」
こちらが言う前にルレオは車に飛び乗って鍵を回していた。オンボロ車も空気を読んだか、一発で唸りをあげる。車は走り出しサークルの中央へ兵をなぎ倒しながら突っ込んできた。
 最後の最後で、フレッドは忘れていた例の“あれ”のことを思い出した。
「あの女……! 何やってんだよっ」
クレスは立ち上がり方を忘れたように茫然と座り込んでいる。このままここに置き去りにしていけば彼女の先は知れている、考えている間もルレオと車は待ってはくれない。
「今だ、飛び乗れ! しがみつけ!」
下手くそなりにハンドルをきってフレッドに車を寄せるルレオ。フレッドはためらわず車へ飛び乗った。もうここで時間を食うわけにはいかないし、失敗も許されない。それ故の判断、かと思いきや──。
「死にたくなかったら乗れ!! 夢見が悪いのは御免なんだよ!」
ドアをぶちあけて手を差し伸べる。クレスの返答がどうのこうのの前に手は彼女の腕をひっつかんで引き寄せていた。
「てめっ……何ふざけたことしてやがる! 振り落とせ!」
青ざめるルレオをよそにクレスは車内になだれこむ。同時にドアが閉まった。車はよろよろしながらも、やがて夜に消えた。
 後に残ったのはどうやら本当にあばら骨が折れたらしいベオグラードと唖然とする兵たち、そして戦慄く国王の姿だった。
「どこまでも私の邪魔をすると言うんだな……。良かろう、我がファーレンの名誉に賭けてあの者たちに最高の刑をくれてやるとしよう。ファーレン全領域にあいつらを指名手配しろ! この私の前に奴らの首を持ち帰れ!!」
 失態続きの国王軍は機敏に敬礼し、槍を立てる。ベオグラードも部下に支えられながら軽く額に手をあてた。
 事態はあまり好転していない。それだけは確かな事実だった。
「……クレス隊長の方はいかがいたしましょう。彼女にも形だけとはいえ処刑命令が下っていますが」
「クレス、か。小者は放っておいてよろしい。所詮女だ、王職を外れれば蟻同然の存在に過ぎん」
何人かの兵がばつが悪そうに頭を下げた。ベオグラードは口の中だけで深い溜息をつき、権力というマントを羽織った王の背中を殺気も隠さずににらみ続ける。
(あれだけ皇女に仕えさせておいてこの様か。私たち兵はチェス駒より軽い命かもしれないな……)
 恐怖と忠誠の間で揺れる兵、ベオグラード自身もその例外ではない。革命という列車は既にレールのない道を走り出していた。レールの終わりに取り残された自分と、列車に乗り続ける羽目になったフレッドたちの身を案じて目蓋を閉じる。
(生きてくれよ……。まだ始まったばかりなんだからな、革命は)


 ベオグラードの心配をよそに車は順調に畦道を突っ走っていた。おそらく、かなりの高確率でルレオは車の運転の経験がないのだろう、先刻からフレッドが話しかけても無反応を貫いている。
「なあっ! おいってば」
「話しかけんじゃねえ! 間違えんだろーが!!」
「どこに行くか分かってんのか? ベルトニア王国だぞ、お隣さん」
ベオグラードに手渡された地図を後部座席から広げて見せるが、ルレオは目もくれず地図をはたきおとした。今一瞬でも前方から目をそらそうものならたちまち天国行きだ、その確定に近い予感が彼の眼を血走らせていた。
「本当に分かってるんだろうな……とっ」
 汗ばんだ左手はがむしゃらに女の細い腕を掴んだままだった。意識を向けた拍子にこれみよがしに腕を振り払われる。確かに長いこと手加減なしに掴まれていれば気分は良くないだろうがこの仕打ちはあんまりだ。
「悪かったなっ、加減してる暇なんてなかったんだよ……。それでも礼くらい言ってほしいけどな」
「頼んでなど……ないはずよ。何故、助けたの」
手首にフレッドの手形が赤い刺青のようにくっきり残っている。クレスの視線はこうなった今でも変わることなく鋭利だ。
「さあ……何故、とか言われてもな。誰だってそうしたんじゃないか、普通」
語尾が弱まったのは、絶対にそうしない少数派の長が運転席に収まっているせいだ。バックミラーに視線を送るも、長は自分との戦いに没頭中で後部座席のやりとりになど構っている余裕はなさそうだ。
「そういうものなのかもしれないわね。普通、は」
クレスもバックミラーに視線を配った。かつてないほどに意識を一点に集中させたルレオが映る。それは彼女にとっては確認作業であった。向き直ったかと思うと全体重をかけてフレッドを押し倒す。
「ちょっ、はあ!?」
装飾ナイフがフレッドの頸動脈に突きつけられる。すぐさま鏡越しに助けを求めるも、相変わらず目を血走らせたルレオはわざとなのか不可抗力なのか見向きもしない。
「……何のつもりだよ」
「こうするのが普通でしょ。あなたたちはテロリストで私はそれを取り締まる者なんだから。車を止めて、降りなさい。仲間が死ぬわよ」
ルレオは当てつけのようにアクセルを踏み込んだ。車はとどまることなく加速していく。ハンドルを切り盛りするルレオにアクセルとブレーキの区別がついているのかいないのかはこの際置いておいて、とにかく彼に車を止める意思はないらしいことが判明した。
「まだ分からないみたいだな。アホかお前。切られたんだよ、国王に。兵士なんて公認された捨て駒同然──」
「王は理由なくそんなことなさらないわ!」
「だったら何であんたは自害を命じられたんだよ! 何で事実確認も無しに処刑命令が下る!? ……理由なんかなかったろ」
 フレッドが苛立ちを露わにした矢先、車は突然停止した。バランスを崩したクレスはナイフを手から滑り落とす。フレッドが安堵して身を起こそうとしたそのとき、ナイフとは別の冷たい刃が首筋に当てられた。
「ごちゃごちゃうるせえんだよ。てめぇ自分がしでかしたことの重大さが分かってんのか? 今ここでお前が死ねば全て丸く収まんだよ!」
ボウガンを構える音が耳元でこだまする。フレッドが極限まで眼球を移動させても確認できるのはボウガンの矢尻のみで、ルレオの表情までは映らない。それだから余計に、馬を支配した殺気と狂気に身が強張る。
「……あんまり調子こいてんじゃねえぞ。こっちはもう我慢の限界とっくに超えてんだ、いつぶっ殺したっていいんだぜ……」
両手でボウガンを固定し片目をつぶる。後は引き金を引くだけで終わりだ、そんな異常な光景をしばし虚ろに見ていたクレスが正気を取り戻すや否やボウガンを蹴り上げた。三回転半宙を舞い、ボウガンはガラクタじみた音と共に地面に転がる。
「あなた仲間なんでしょう!? 人の命を何だと……!」
「そいつは是非どっかの馬鹿国王に言ってほしい台詞だな」
クレスが口ごもる。ルレオは嘆息して、つまらなそうにボウガンを拾い上げた。
 本当につまらない現実だ。革命は失敗し、ベオグラードを始めとする仲間の安否も不確かとなり、ましてや自分たちの身の保証もない。ルレオにとって仕事はあくあで金のためで金は生きるためのものであったから、この状況は割に合わなすぎた。
 三人は無言のまま再び車に乗り込む。エンジン音だけがうるさく響き渡った。


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