A Lunar Eclipce Chapter 3

「お待ちください陛下、公正な裁判もなしに処分を決めるなど……!」
 遂にこの時がきた。身を潜めていた脊柱から飛び出したクレスが動き出そうとする兵を足止めした。
「おお、これは丁度良いところに。クレス隊長、報告を聞こう。無論テロリスト共は捕まえたのだろうな」
質問と返答がかみ合わない会話に胸中で苦虫を潰しながらも、クレスはそれをおくびにも出さず王の前にひざまずいた。
「恐れながら申し上げます。テロリストの弁論や証人も無しに今ここで刑を決定するおつもりですか? 死刑に値する罪かどうかまだ分かりません」
「……この在り様が死刑以外でどう解決するというのだ。私に指図するつもりかね、たかだ騎士団長風情が」
「指図など──しかしむやみに民の命を奪うことはおやめください。どうかお取消しを」
そこでクレスの説得は止まった。国王の視線と顎先により近衛兵の槍が一斉にクレスに向けられる。人形のように無表情を決め込んで刃を突きつける兵たちに、クレスは鋭い眼球を向けた。
「あなたたちどういうつもり……? 私に刃を向ける意味が分かってるの?」
兵を見渡しても誰一人として応答してこない。申し訳なさそうに目を逸らした何人かがクレス当人の部下だ。再び王の口元へ視線をあげる。
「どういうおつもりですか」
「……命令したはずだ。テロリストについて報告しろと」
クレスは見えないように奥歯を噛みしめてからゆっくり口を開いた。
「テロリストは少なくとも三名、内一人は女です。皇女にお怪我はございません」
「そんなことはどうでもいい。捕まえたのだろうな」
「……いえ。城内の何者かが手引をしたと見られ逃走路まで入念に計画されていました。
実行犯の居場所の目安はついていますが、危険なのは寧ろ城内の──」
「もう結構」
王の冷めた言葉にクレスは思わず訝しげな顔を晒した。
「思ったより無能な人間でがっかりだ。そこまで調べ上げる余裕があったなら一人くらい
捉えられないものかね? 君のそれはただの飾りか?」
「そのようなことは……!」
国王の目が汚物を蔑むように細まり、その隙間はクレスのナイフを指し示した。
「一歩間違えばセルシナだけでなく国家崩壊の危機を招いていたところだ。……城内の手引、か。貴様、まさかわざと取り逃がしたか?」
「わたくしを……疑っておられるのですか」
「責任を取れと言っている。もう一度言おう、君のそれはただの飾りか? 阿呆でなければ自害したまえ。不愉快だ」
 驚愕に顔を歪めたのはクレス、だけではなかった。事態を見守っていたフレッドとルレオも顔を見合わせる。視線はそのままでルレオが声をひそめた。
「妙なことになりやがったな……! ばらされる前にずらかるぞっ」
確かに今このときはまたとない絶好のチャンスである。腰を浮かせたルレオの判断は正しい。間違っているのはどう見てもフレッドで、ゆっくり後ずさるルレオとは逆方向に体を乗り出していた。
「おい! 首突っ込むなよ!! あの女が死ねば俺たちも助かる」
「んなこと分かってるよ。でもこのままじゃ……」
 彼女の瞳にもはや生気はなかった。仕えてきた主からあっさり切り捨てられた事実と、自分が慈しみ育ててきた部下たちに刃を向けさせる現実が同時に彼女にたたみかける。
「私は腹が立っているんだよクレス隊長。本来ならば私直々にその首を落としたいくらいだ。……何か申し開きはあるかね?」
クレスは黙って俯き、かぶりを振った。ほんの数秒だけ間をおいてナイフを引き抜く。
 このまま数秒間見守っていればフレッドたちの痕跡は闇に葬られ一件落着である。ルレオは二、三度頷いて再びフレッドに視線を送った。その瞬間、彼の両目は極限まで見開かれた。
 フレッドの姿がない──認識するや否やルレオの四肢は表情ともども凍りついた。
「あのくそったれ……! 今がどういう状況か分かってんのかよ! 戻れタコ!!」
既にスタートを切っているフレッドの背中に向けて叫ぶ。それがダメ押しになり、二人の存在が周囲に知れ渡ることとなった。
「貴様が──! 捕えろ! 射殺して構わん!」
クレスを取り囲んでいた兵たちは混乱しながらもフレッドに向けて大きく槍を引く。フレッドはその間を縫うようにただ全力で走って放心状態のクレスに体当たりした。ナイフだけを上手に蹴りあげたりだとか、一瞬でどこそこの壺をついて気絶させるだとかの芸当が彼にできるはずもない。十回に一回はもしかしたらできるのかもしれないが、今は一回で一回を成功させなければならない重要なポイントだ、従ってこの変態チックな体当たりは正当性が保証される。
「何するのよ!」
「そのまま大人しく死んでやるつもりかよ! 胸くそ悪い!」
フレッドの鬼気迫る表情にクレスも思わず言葉を飲み込んだ。のんびり口論をしている余裕はないのだ、こうしている間にも後方で槍を構えなおす音がガチャガチャ鳴っている。
「なるほど、お前たちがそうか。黙って隠れておればよいものを、のこのこと姿を現しおって……国に牙を向くことがどういうことか教えてやろう。ベオグラード!」
 国王が口にした名にフレッドとルレオの顔つきが変わる。呼ばれた男はすばやく敬礼して王の傍らに跪いた。それは間違いなく、この件の首謀者であるベオグラードその人で、その目の前の光景は二人の胸中をこれでもかというほどかき乱した。
(ベオグラードさん……!)
冷や汗が背中を伝う。
「ベオグラード。テロリスト二名と騎士団長クレスの処刑をお前に命じる。ファーレン国家の力を思い知らせてやれ!」
「……は!」
低い返事をしてベオグラードはちらりとルレオを見やった。ルレオはその一瞬の合図を見逃さず、国王軍の群れの中へ矢を放った。
「ボケ男。逃げるぞ! 来いっ!」
ルレオの声でフレッドも正気を取り戻す。ルレオは半分背を向け、片手で大きく手招きしていた。その両者の狭間に剣をかまえたベオグラードが立ちはだかった。一瞬視線を交わしたがフレッドに彼の真意は読めず、振り下ろされた大剣に青ざめる他なかった。
「何を……!」
「隣国の王のもとへ行け。ベルトニア王なら手を貸してくれる」
独りごとのように小さく、ベオグラードが呟く。フレッドはわざと足を踏み外して仰向けに倒れると、そのタイミングに合わせてベオグラードが剣を床につきたてた。
「こんなことになってすまない……。後は俺が何とかするから、それまで逃げのびてくれ」
再び虫のような小さな声で囁いて、ベオグラードはフレッドの手に紙切れを握らせた。


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