The Heavy Pressure Chapter 4

 あれからどれほどの距離を走ったのか見当もつかない。時間から考えてさほど儀式殿から遠のいた気はしないし、実際まだ遠目にファーレンの灯りが見えた。
 沈黙が続く中、フレッドは何も考えずにただ流れゆく風景を眺めている。何かを考え始めたら終わりのような気がして、敢えてぼんやりしていた。
「ベオグラードが……首謀者だったのね……」
一瞬ぎくりとしたが、これも敢えて聞こえないふりでやり過ごした。クレスにいちいち反応していたらどんどんルレオのご機嫌が悪くなる。
 頬杖をついていた腕が少々のしびれを感じ始めたころ、フレッドはふと地図に目をやった。
(ルレオの野郎、このままライン越えするつもりか……? 検問所で引っかかるのがオチだぞ)
 車の進行方向は真東だった。このまま走行すればファーレン王国とベルトニア王国の国境である山脈に突き当たる。一つの大陸にある二つの対立国を隙間なく隔てたその山脈を人々は国境の意味合いも含めて『ライン』と呼んだ。その土地の隆起ははこの大陸だけでなく、海底も含め星を東西に真っ二つに分断するよう一直線に走っている。要するに星をぐるりと一周山が囲んでいるわけである。
 『ライン』はもうひとつ、土地の沈降による北半球と南半球を隔てたものがあり、その大部分は海底の底なし谷として存在するだけで、人々の目に触れることもない。しかしラインが走る海面の色は一様に漆黒で、その海底渓谷の底なしの深さを物語っていた。この星は、この二つの『ライン』により星そのものの意志として四分割されているのである。
 フレッドたちは今第一ライン、ファーレンとベルトニア両国の国境に向かっている。ベルトニアに行く一番手っ取り早い方法ではあるがそれは通常時の話だ。
「おい、ルレオ! ラインは囲まれるぞ。別のルートを考えないと……」
「うるせえよ。俺に指図するんじゃねえ」
 ルレオの静かな応答にフレッドが口をつぐむ。代わりにクレスが首をつっこんできた。
「ちょっと、どうして仲間の助言を無視するの! 私もラインは避けるべきだと思うわ、みすみす捕まりに行くつもり?」
「うるせえ!!」
ルレオの拳が助手席の頭部に叩きつけられた。これにはクレスも思わず体を強張らせた。彼もどうやら車の操作に慣れてきたようで、気づけば片手運転なんて人並の芸当ができるようになっていた。
「冗談じゃねぇんだよ、処刑なんざ……! お前ら殺しても殺し足りねえくらい頭キてんだ! 黙っとけ!!」
クレスが反論しようと身を乗り出したのを見計らってルレオはスピードを上げた。気づけば二百メートルほど先、国境の検問所の灯りが穏やかに漏れている。強制的に座らされたクレスはそれを目にするや否やすぐさま起き上った。車は加速をやめない。
「何やってんのよ! ブレーキはそっちじゃないでしょ!? このままじゃ検問所に突っ込んじゃうじゃない!」
慌てふためくクレスを振り落とさんばかりにむやみにハンドルを切りまくるルレオ、後部座席でフレッドともみくちゃになりながらもクレスは抵抗し続けた。
「このまま突き抜けるつもり!? 無茶よ! ここから先は舗装された道でもないのにっ」
「もう遅ぇーんだよ! 他にベルトニアに行く道があんのかあ!? ねえだろうが!」
ルレオは言いながらアクセルに全体重をかけた。
 バキャ! ──“立ち入り禁止”の古い板と、それを繋いでいた鎖をぶち破る。振動が車内をこれ以上ないほどにパニックに陥らせていた。座席から転がり落ちるフレッドとクレス、二人の説得を無視してルレオは検問所を強行突破した。


 車は山道へ分け入り、右往左往しながら本来車輪が走るはずもない通りをひた走っている。不思議なことに誰も文句を吐かなくなっていたし悲鳴も上げなくなっていた。互いが互いをいがみ合って怒りと苛立ちが頂点に達したせいだろう、心情争いは冷戦と化していた。
「どうなってんだよ、道はないのか」
「だから言ったじゃない! ライン……国境付近はいろいろ複雑で整備できないのよ。ましてやこちら側はベルトニア領でしょうから」
 道なき道、正にそう呼ぶにふさわしい草むらの上を車は進んでいる。後部の二人は半ば諦めていて、上下に揺れる車体にもはや抗おうともせず尻を浮かせたり前のめりになったりしている。顎ががくがくするのも、弾き飛ばされた石つぶてが顔に当たるのもこの際どうでも良くなっていた。
(どうせこのままわけわかんねえとこに辿りついてさんざん歩いた挙句山の中で野たれ死ぬんだろうな。ちょっとはチームワークってのを考えろってんだ)
 フレッドが不吉な考えを巡らせていた矢先の出来事、素人の予言にしては上出来な運びで事は始まった。今までで一番妙な揺れを数秒間続けた後、車は無情にも歩みを止めた。情けない断末魔をあげて、実に穏やかに静止する。
「なんなんだよ! 動けってんだ、このボロ車!」
車の鍵を戻しては回し、また戻しては回すといったルレオの懸命な努力を冷やかな視線と嘆息で見守ることにしてフレッドは車を降りた。伸び放題の雑草がフレッドの脛のあたりで揺れている。クレスも無言で車を降りた。彼女もルレオの一人芝居をあきれ顔で眺めている。
「くそっ! 動け動け動きやがれ!」
エンジンは老いぼれた馬の鳴き声のような詰まり方を最後にうんともすんとも言わなくなった。既に下車して立ち尽くす二人は苛立つルレオを蔑むように見ている。
 やがて諦めたのか一発重たい蹴りを入れてルレオはドアを後ろでに閉めた。ルレオの口から小さく舌打ちが漏れる。
「来い! 歩くぞ!」
 予想第二幕も見事に的中、このまま三幕までいくと野垂れ死に決定だ。深々と嘆息してフレッドは言われるまま足を進めた。
「歩くって、どこへ……? こんなけもの道をがむしゃらに歩くなんて」
クレスは言いかけて、途中でやめた。ルレオは無視を決め込んでいるようだし、それをいち早く悟ったフレッドが前方でかぶりを振っていた。仕方なく彼女も重い足取りで歩き始める。
「……東に向かって進めば、うまくいけばベルトニア兵が拾ってくれる。あんた、一応王職だろ?」
「うまくいけばでしょ、どう考えたって馬鹿げてる。助けが来るのを待つ方が利口ってものじゃない?」
フレッドも、苛立ちは頂点間際だった。クレスの相変わらずの嫌味な口調に耐えるのもそろそろ限界だ、ギリギリのところで自分を制してフレッドはまた嘆息した。
「いいから黙って歩けよ。山ん中入ってたいして進んでないんだ、ここで座り込んだら助けより早く追手が来る。……あんたと口論してる場合じゃねえんだよ」
 黙り込んだクレスを尻目にフレッドは先を急いだ。急がなければ自己中大将軍を見失いかねない。後方の女に気を配っている余裕ははっきり言って無かった。

 月は相変わらず隠れたままで、真っ暗な夜空を見上げても何一つ目印になるものはない。昨夜空を眺めていたときは、こんな山の中をつっきっている自分など想像もしていなかった。少なくとも、仕事が失敗するとは思っていなかった。
 フレッドは不意にマリィやニース、家族のことを想った。そして、あれきり話していないフィリアのことを、想った。

 

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