ルレオの宛てにならない感覚を頼りに、三人はほぼ一定の間隔をおいて歩いている。先陣を切っているのはルレオ、五メートル後方をフレッドが、更にその五メートル後方で二人を追うのがクレスだ。
(おっせーなあの女……、これでファーレン騎士団長かよ)
心配、というよりは疑念を抱きつつフレッドは横目にクレスを見やった。我関せずにルレオにも気を配りつつ立ち止まる。息切れするほど歩いた覚えはなかったが、現に目の前の女は呼吸を荒らげているし抜群にペースが遅い。
「へこたれるには早いと思うぜ。もう少しペース上げてもらわねぇと……あれ、見失う」
無造作に指差したのは草の根を蹴散らしながら鬼神のごとき勢いで進むルレオ、確かに少し立ち止まっただけで距離はおよそ二十メートル、慌てざるを得ない。
クレスは一息ついてせき込むと頼りない足取りで歩みを再開した。その、いくつかの仕草が妙に目にとまり、フレッドは訝しげに注視した。
「足。折った、か?」
独り言のつもりがルレオまで足止めできる声量になった。彼はさも面倒くさそうに後戻りしてくる。自業自得だが、ルレオが合流してまさに面倒な展開になる前に事実だけは確認しておきたい、そう視線でクレスに訴えた。
「大丈夫よ。今は一刻も早く山を下らないと」
「意外と根拠のないこと言うな、あんた」
頭をかきながらフレッドが歩み寄る。クレスの目の前で腰をかがめて青く腫れた足首を品定めした。後方でルレオが腕組みして待機しているがとりあえず今は無視を貫く。
「……捻挫ってとこか。その分じゃ歩くのは難しいな」
しかし今の今までこの女は自分たちとほぼ同じペースで山道を歩いていた。フレッドは先刻の胸中での台詞を、やはり胸中で詫びた。
「歩けねぇってんなら足手まといだな。かと言って捨ててって足がつくのもごめんだ。おい、お前」
「は? 俺?」
田舎者、ボケ男と来て終には“お前”呼ばわり、未婚の身で熟年夫婦の気持ちを味わうことになろうとは──皮肉だけは胸に秘めながらも反抗せず、大人しく続きを待った。
「お前がその女おぶって歩け」
「はあ!? なんで俺なんだよ! あんたの方が腕力はあるだろ!」
「だから? お前に選択権なんかねえんだよ。さっさとやれよ、日が暮れる前にな」
残念ながらとっくの昔に日は暮れている。が、今はルレオのあげ足をとる余裕すらなく、吐き捨てられた不条理な命令にフレッドは言葉を詰まらせるしかなかった。返答する前にルレオはさっさと踵を返す。
「分かったよ! やればいいんだろ!」
片足で雑草を蹴り上げて苛立ちを小出しにし、ゆっくり地に片膝をつける。特に言葉もかけず、一度きり、手を振ってクレスを呼び寄せた。無論彼女は躊躇するわけだが、そんなものを受け入れる時間もない。何しろ今のフレッドにはあらゆる選択権が無いのだ。
半ば強制的に負傷者を持ち上げて立ち上がる。思ったよりも軽い。
「一応力入れといてくれよ。全体重とか預けられても歩けないし」
「え、うん。その……ごめんなさい」
軽くジャンプして体勢を整える。顔をあげるとしかめ面で待つルレオが見えた。わざと視線を泳がせてフレッドは歩き始めた。
「言っとくけど恩とか別に売る気ないから。進んでやってるわけじゃないし、できればあいつもぶん殴ってやりたいけど、そうもいかないしな。ある人との約束もあるし」
「ベオグラードね……?」
耳元にクレスの呼吸を感じる。聞こえないわけはなかったが、返す最善の言葉が咄嗟に思いつかず結果的にフレッドは無視する形になった。
「なぜ彼がこんなことをやりだしたのか皆目見当もつかないけれど……これだけは確かよ。あなたたちはやっぱり法で裁かれるべきだわ。それまであまり弱みは握られたくなかったんだけど」
おぶわれている分際でよくもまあここまで肩意地張れるものだ、廃棄しようとも考えたが後先を思い断念する。
そうして何度か背中の荷物を持ち直してフレッドは懸命に歩き続ける。一定だった呼吸が徐々に乱れ始めていた。気温はさほど高くはない、にも関わらずフレッドの額には多量の汗がにじんでいた。一歩踏み出すごとに頬を伝って地面に落ちる。
「ねえ、大丈夫……? 辛そうだし、歩こうか?」
無視。
大きく息を吐きながらフレッドは黙々と草木をかきわける。立ち止まって片手で汗をぬぐうと少し先で待ちくたびれた顔のルレオが目に入った。
「だ、か、ら、遅えって言ってんだろ。家族で楽しく登山してるわけじゃねえんだよ、危機感ってのを持ちやがれ!」
言うだけ言ってすぐさま振り返ろうとするルレオを、フレッドは今度はせきとめた。
右も左も不確かな夜の森林の中、鬱蒼とした雑草に囲まれていると気が変になりそうだった。ただでさえ胸中では様々な葛藤が生まれている。そんな中でこれ以上ルレオに指図されるのは精神的に限界だ。
「さっきから黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって。あんたにこれっぽっちの非もないって言うのかよ? 粋がんのもいい加減にしろよ」
「ああ!? 誰に向かって口利いてんだてめえ! 何もかもお前のくだらねえ失敗から始まったんだろうが、身の程わきまえろ!」
フレッドは奥歯をかみしめる。かみ合わずに軋む音がクレスの耳にも届いた。
「じゃあ今、きちんとした方向も分からないでやみくもに歩いてんのは誰のせいだよ。滅茶苦茶な運転して車駄目にしたのはどこのどいつだよ。全部あんただろ!? 人のこと言う前に自分の非を詫びろってんだ!」
「んだとぉ……!!」
「人の意見無視してこんな山道に突っ込みやがって。本当に道分かってんのか? あんたの気まぐれに付き合わされるのはもううんざりなんだよ!」
頭が、ぐらぐらする──積りにつもった鬱憤を口走りながら、フレッドは爽快感よりも更に強い嘔吐感に襲われていた。ルレオとの口論のために立ち止まって随分たつ。それなのに呼吸は前にも増して困難になっていた。自然に肩が上下に動く。
「上等じゃねえか……。気に食わなかったんだよ、はじめから! 何でも適当にやってりゃうまくいくと思いやがって!!」
ルレオも怒髪メーターを振り切ったらしい、なりふり構わずフレッドに詰め寄ってその胸座を掴み取った。両手はクレスの体を支えているし抵抗のしようがない。ジタバタしている内に気道は完全に締め付けられて咳込むことさえ許されない。
「お前みたいなガキが一番ムカつくんだよ! たいして能力もねえくせして口だけは達者なお前みたいなのがな! ……お前なんか居てもいなくても歴史にゃ何の影響もねーんだ、だったら……今ここで死んでくれよ。少なくとも俺は感謝してやるぜ?」
ルレオは心底そう願っていた。青ざめたフレッドをこれ以上見ていると半殺しじゃ済まなくなりそうで、歯を食いしばって殺意を抑制する。
腕の力を緩めた。反論はない。
「ちょっと……! しっかりしてよ、冗談でしょ!?」
ルレオがゆっくり手を離す。フレッドは咳き込むわけでも襟を整えるわけでもなく力なく地面に倒れこんだ。その際クレスもバランスを崩して落下する。それらしい音を立ててフレッドのからだは高い草にうずもれた。
「死んだんじゃねえだろうな」
こともなげに言い捨てるルレオを横目にクレスは足を引きずってフレッドの動脈に手を当てた。脈はあるし呼吸もかろうじて繋がれている。しかしそれらは安堵の要素にはならなかった。