The Heavy Pressure Chapter 4

 ルレオの怒りと混乱を鎮めるためにフレッドは適当に謝罪してみたがあまり効果は無く、ルレオはダークなオーラを放出して他者の怯えに拍車をかけた。
「いやね、この人がいきなり山からおりてきて『保護してくれ』なんて言うもんだから。この人身分証も通行証も持ってないでしょ? 仲間がいるって言うからここまで登ってきたんだよ」
 年配のベルトニア兵の口から聞き慣れない単語が飛び出した。都合のよいときだけのインスタントナカマ扱いに、フレッドも思わずルレオを睨みつける。彼は素知らぬ顔で口笛を吹いていた。
「……っていうことは、ここはもうベルトニア領なんですか?」
「勿論。しかしまたあんたたち、何だってこんな真夜中にライン越えなんて……。夜は野生の獣も徘徊して危ないんだよ、旧道は。密入国するならせめて朝方にしないとっ」
軽快に笑いはじめるベルトニア兵の妙なテンションに、クレスは目を丸くするばかりだ。これにつきあいながら下りた山を再び登ってきたルレオの堪忍袋は、もはや袋ごとはちきれんばかりに張りつめている。
「だから!! どこに保護を求める密入国者がいるんだよ!」
逆に言えばベルトニア兵は四六時中マジギレモードのルレオにつきあっていたことになる。フレッドは胸中でひそかにお疲れ様などとつぶやいた。
「そうは言ってもねえ、通行証がないんじゃ警吏に突き出す他ないだろう? ここは見逃しといてあげるから、どうかな。明日の朝にでも再チャレンジしてみたら」
ルレオの口元がみるみるうちにひきつっていくのを見て、クレスは慌てて二人の間に割って入った。とってつけたような愛想笑いを双方にかましてその場を必死に取り繕う。
 ルレオをあたふたさせる中年親父の図、なかなかの喜劇だったがそろそろ洒落にならなくなる。洒落の間にフレッドが一枚の紙切れを差し出した。
「これ。ファーレン騎士団長ベオグラードの紹介状です。これで通行証代わりになりませんか」
 傍で事の顛末を見守っていた若いベルトニア兵紙切れを見せる。てんやわんやだったその場の全員が若兵の口元に注目した。
「え、あ、いや。自分では何とも……」
視線をそのまま中年のベルトニア兵に流す。
「どれ、私が見よう」
ルレオと戯れていた兵が急に真面目な面持ちで目を細めた。紙切れを近づけたり遠ざけたりして慎重に見定めている。少しの吐息を漏らして彼は紙切れをフレッドに手渡した。
「駄目、ですか」
「いや……確かにベオグラード殿の字だ。君、それをどこで? 疑うつもりはないが念のため聞いておこう」
「本人からです。緊急だったんで正式なものじゃないですけど」
「ふうむ……」
生返事をして中年ベルトニア兵は顎に手を添える。
 一介の下級兵、ましてやただの夜警にこういった判断はできない。が、彼はベオグラードの字を知っている。それは期待を抱いても良い条件を満たしている気がした。
 腐った豆のような死んだ瞳から一転、僅かに輝きを取り戻したフレッドたちとは反対に、ベオグラード兵は渋い顔つきを晒した。
「知っての通り今ベルトニアとファーレンはあまり良い関係とは言えない。国王も国家間問題には慎重になっておられるんだ。……しかしベオグラード殿が内密に送った使者となると追い返すわけにもいくまいなあ」
「それでは……!」
クレスのすがるような視線に、ベオグラード兵は柔らかい表情で頷く。どうやら顰めつらはポーズだったようだ、場が安堵の空気に包まれる。安堵の溜息が同時に漏れた。無論、彼を除いての話だ。
 ボゴッ!! ──後頭部を骨部分で殴られ、痛みに座り込むフレッド。こらえきれずうめき声が漏れる。
「持ってたんならとっとと出せ! もたもたしやがってっ、余計な汚名着せられるとこだったじゃねえか!」
世間ではこういった現象を俗にやつあたりと呼ぶ。感謝されるならまだしもぶん殴られたとあってはフレッドの腹の虫も収まらない。しかし、学習した彼は文句を吐くのをぎりぎりで堪える。今は、今だけは我慢が必要だ。
「城に案内しよう。時間を取らせて済まなかったね、王には私から話しておくから安心しておきなさい。さ、戻ろうか」
 今までの倦怠感は何だったのかベルトニア兵二人は慣れた足取りで山を下っていく。疲れ切った体に鞭打って三人は懸命にその後を追った。フレッドが少しだけ足を速めて中年の兵に歩調を合わせる。
「ベオグラードさんと知り合いなんですか? 筆跡、知ってるようでしたけど」
「知り合いか、そんな大それたものじゃないよ。城に会談でいらっしゃったときに何度か立ち会っただけで個人的に親しいというわけではない」
「はあ……」
「君たちこそベオグラード殿とどういう関係が? 見たところファーレン騎士団の出で立ちではないし君たち自体も中の良い友人同士、というわけではなさそうだ」
 墓穴を掘った。実は一人、そんな肩書の持ち主がいるにはいるが、そうは見えないと言われたのだから訂正してやる義理もない。やけに鋭い相手方の洞察力にフレッドは感心しながらも内心びくついていた。
「昔からの知り合いで……。俺にとってはよく遊んでもらった気の良いおっちゃんなんですけど、普通からするとやっぱり凄い人なんでしょうね」
割と真面目に切り返したつもりだったがベルトニア兵は辺りはばからず笑い声をあげて腹を抱えた。思ってもない反応にフレッドは小首をかしげる。
「いやあ、悪いっ。そうか、気の良いおっちゃんね。私にしてみればベオグラード殿はやはり凄い方だ。あの若さで護衛隊長になっただけのことはある。治安の悪いファーレンをあれだけ統制しているのだからね」
そう言われるとなんだかとてつもなく凄い人のように思えてくる。実際ベオグラードは他の大臣や側近をたちを抑えて国王に次ぐ地位だとか謳われているし、フレッド自身ももちろん尊敬はしている。ただそれと同時に彼の調子の良さも長年に渡って目の当たりにしてきたものだから、純粋に敬意の対象とは言い難かった。
 この場にいないベオグラードを通じて少しだけ安らぎを覚えていた矢先、クレスが突然訝しげな顔で横から割り込んできた。
「あの、失礼ですけどお名前を伺ってもよろしいですか」
「私かい? そういえば自己紹介していなかったね。ベルトニア護衛隊所属サンドリアだ。そうだ、君たちの名前もまだ聞いて──」
「失礼致しました! ベルトニア護衛総隊長サンドリア殿ですよね? 何度かお顔を拝見したことがあります」
即座にかしこまって敬礼するクレス、フレッドとルレオは見事に後ずさっていた。サンドリアは照れ臭そうに頭をかくと彼女の方に向き直る。
「確かにそうだが、君は?」
「紹介が遅れて申し訳ございません。ファーレン第一皇女セルシナ付き護衛隊長のクレスです。お噂はかねがね伺っております、お目にかかれて光栄です」
教科書に載っているような挨拶をしてサンドリアを握手を交わす。フレッドとルレオは、めずらしく仲良く立ち尽くしていた。
「君が噂の女隊長かっ。こんなところで会うとは思わなんだ。もう少し二等兵気分を味わっていたかったが、ばれてしまったね」
軽快に笑い飛ばすサンドリアを若い方の兵はくたびれた顔つきで眺めている。ベオグラードといい、彼といい国の護衛隊長はこんな人物ばかりかと思うと各国の将来が危ぶまれる気がした。
 フレッドは淡々と嘆息した。視界に映る馬鹿でかい城壁に足を止める。気づけば“ライン”は背中に聳え、彼らの国ファーレンは一寸たりとも見えなくなっていた。大きな不運の中のほんの小さな幸運が、彼らをこのベルトニア王国に導いた。
 サンドリアが手招きする。フレッドは息を呑み、城門へ踏み入った。



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