The Heavy Pressure Chapter 4

 フレッドの眉間に微妙に皺が寄る。もう一息とばかりに頬を叩き続けると再びうめき声が漏れた。
「もしもし! 気がついたんでしょ? フレッド!」
呑気に寝がえりを打とうとするフレッドを無理やりせき止める。彼は無意識になのか、そんなクレスの手をハエでもあしらうようにはたいた。クレスは青筋を浮かべてフレッドの両頬に強めの一発をお見舞いした。静寂を裂く軽快な音が山中にこだまする。
 フレッドが目覚めて最初に感じたのは両頬の熱と刺激と、クレスの手のひらの感触だった。
「目、覚めたみたいね。気分はどう?」
大の字に寝そべったまま、フレッドは視線だけを彼女に向けた。疲れ切った顔で腰に手を当てて立ち上がる、一瞬母親めいた印象を受けたがすぐに違うことに気づいてフレッドも慌てて身を起こそうと試みた。と、頭上から何かが足元に転がる。
「ぬれタオル……?」
訝しげに額をさすっているとクレスがそれを取り上げた。
「近くに沢があったのが幸いだったわね。熱は随分ひいたみたい。さっきまで死体みたいだったけど顔色もいいし……」
「は? 熱って……熱? ああ、ぶっ倒れたんだっけ、俺。どれくらい……寝てた?」
辺りの暗さと静けさに、フレッドは訊きながらポケットの中を漁った。生憎時計は止まっている。そそくさとしまいながらクレスの反応を待った。
「そうね、二時間弱ってところ。そんなに長くはなかったはず」
「二時間か、まずいな」
フレッドは鉛のように重い体をおもむろに起こし、立ち上がった。まだ何となく気分は悪いがそうも言っていられない、汚れた膝小僧を適当にはたいて間接をほぐし始める。
「もう少し休んだ方がいいんじゃない? なんであんな高熱が出たか分かってるの?」
「さあ。知ってんのか?」
あっけらかんとした反応にクレスはがっくりと肩を落とした。さも心外だと言わんばかりのフレッドのしかめ面に口元をひきつらせながらも何とか苛立ちを制す。
「言いたくはないけど、あなたが飲んだ聖水はただの水じゃないわ。王位継承の最終儀式に用いられる特別な水よ。あれを飲めばこの国の指導権を握るわけだけど、その代わりとして今みたいな試練……いろんな副作用に見舞われる。これくらいで済んでラッキーな方なのよ? ちょっと回復したからって完全に治ったとは限らないじゃない」
クレス本人は釘を刺すつもりで言ったのだが、フレッドはそんな懸念をさらりと受け流して一心にクレスの足首を見つめている。気づいたクレスは露骨に後ずさった。
「な、なに」
「別に。ただそっちの足も随分良くなったみたいだなと思って」
顎先で“そっちの足”を示す。捻挫していたクレスの足も、そう言えば腫れがひいていた。今思えばただのひねりの痛みだったのかもしれないがフレッドは特に文句も言わずすぐに視線をそらした。そのまま何事もなかったかのように片膝ついて靴ひもを結びなおす。
「そういえばあいつは? ルレオ。どこ行った?」
「ああ、あの人ならあなたが倒れてすぐひとりで先に行ったわ。……引き留めはしたんだけど。たぶん今頃下山してるんじゃない?」
ルレオが進んだ方向をうつろに見つめるクレス。フレッドは頭をかいた。
「殺されなかっただけマシか……。あいつが居ない方がやりやすいし、まあ、いいか」
両方の靴紐をきつく結んで腰をあげる。クレスに目で合図を送ってとりあえずルレオの後を追うことにした。内心迷ってでも別ルートを辿りたかったがこれ以上時間をロスするわけにはいかない。一分一秒でも早く、ベルトニア領に入ることが今は先決だった。
 フレッドが憂鬱そうに足を踏み出した矢先──。
「あ、フレッド」
思い出したように名前を呼ばれて立ち止まる。それからすぐに小首を傾げた。フレッドの記憶が正しければ、クレスには名を名乗ってはいないはずである。それとは裏腹に、目の前の女は自分の名前を確信して叫んだ。一気に不信感が生じる。
「何で俺の名前……俺、あんたには名乗ってないはずだよな」
クレスも今気づいたらしい、一応口を覆ってはみせるがさほど困ったような顔はしなかった。
「悪いとは思ったけど所持品、見せてもらった。得体の知れない人と行動するほど危ないことはないでしょう? 悪かったと思ってる」
フレッドは淡々と嘆息してあっさり諦めを覚えた。本来なら食ってかかるところだがそんな気力も失せていた。
「それで? 呼んだからには用があるんだろ? 答えられる範囲なら聞いてやるよ」
体裁を保つのはなかなか困難だ。介抱された借りはあるが、へたに低姿勢に出るわけにもいかない。もはや義務的に無愛想を貫くフレッドに、慣れてしまったのかクレスはそのまま続けた。
「身分証に書いてあったけど、あなた楽器屋の主人なのよね」
フレッドの表情が止まる。クーデターの理由だとかベオグラードの本意だとかを問われると思って身構えていた彼にとっては恐ろしく意外な質問だった。そして恐ろしく不躾でもある。
「……片田舎の小さい店だよ。大して品数もないし客も少ない。親父の代で店じまいだろ」
「またそういう言い方……」
「他に何か? もう充分だろ、ないならさっさと進もうぜ。……あんたみたいな高貴な貴族様には関わりのないところだしな」
 それっきりクレスの言葉は発せられなかった。クレスだけでなく何故かフレッドも沈黙を保った。ただひたすらに無言で雑踏をかき分ける。
 胸中でフレッドは子供じみた皮肉を口走ったことを後悔していた。だから余計に話しかけたくないのかもしれない、いったん会話が途切れると次に始めるのは困難だ。本当のことを嫌味っぽく口走っただけだから謝るのも変だ。それに今更話を蒸し返したくもない。自己嫌悪の堂々巡りが始まるか否かのところで、フレッドの思考は途切れた。
 ガサッ──原因はこの派手な雑音である。乱暴に草木を蹴散らす音が鮮明にこまくを揺らす。二人は警戒し、周囲に視線を走らせた。徐々に音は近付いてくる。それもひとつではない、複数の足音で迷わずこちらへ向かってくる。
(おいでなすったな……思ったより早いけど人数も少ない。切り抜けられそうか……?)
緊張で鋭くなった眼球をクレスに向けて確認をとってからフレッドは抜刀の準備をした。鞘と刀身の間に指を滑らせる。冷や汗が背中を一直線に流れ落ちた。
「居やがった! くそっ、捜させやがっ……」
人影が現れるや否やフレッドは間髪いれずに刀身を振りおろした。目標物一歩手前の地面に剣は突き刺さる。舌打ちして、その場を離れようとした直後、場違いなほど温和な声が後方から響いた。
「ちょっと君~! 歩くの速いよ、だいたい本当にファーレンから来たのかあ?」
「まさか私たちを嵌めようとしてるんじゃないだろうね。仲間だって人たちも一向に見当たらんし……」
場違いな会話だと思いきや場違いだったのはフレッドの行動の方で、それは切り損ねた人影が教えてくれた。血管をここぞとばかりに浮き彫りにした見慣れた男がフレッドの前で戦慄いている。フレッドは今度こそ改めて、きちんと舌打ちしてみせた。
「てめえ~~……!! 俺を切り殺す気か!? 何考えてやがる!」
半分涙目のルレオ、その後ろにベルトニア兵らしき男が二人、肩を竦めていた。
「冗談じゃねえぞ!! ここまで後戻りして斬られてみろ! シャレになんねぇ! だいたいなんで生きてんだお前! くたばったんじゃなかったのかよ!!」
そこらじゅうに唾液を飛ばしながら言いたい放題のルレオ、とかく無視してフレッドは冷静に剣を鞘におさめた。


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