Mad Tea Party Chapter 7

 船を下りてすぐ、フレッドは怪訝そうに周囲を見渡した。ファーレンでは珍しい濃い霧が、町全体を覆っている。いつもは活気に溢れている港の市場もひっそりとしていた。
 ファーレン南端に位置する港町エマ、その面影は無いに等しい。
「ここ、エマだよな。なんか……俺の知らない町みたいだ」
帰還の喜びや安堵は完全に消え失せた。人っ子ひとり見当たらないかと思えば町の至るところにルーヴェンスの兵がうろついている。我が物顔で闊歩する彼らの眼を避けるように、道の隅には毛布をかぶった家族や、うずくまったまま動かない子ども、老人、やつれきった若者、この町のかつての住人たちが皆一様に虚ろな眼差しを空に向けている。
「エマはもうルーヴェンスに制圧されたみたいね。私がファーレンを発つまではかろうじて抵抗してるみたいだったけど……」
リナレスが誰に、というわけでもなく小声でつぶやくのを皆複雑な面持ちで聞いていた。
 民家から煙が立ち込めている。中に人はいないのか、それとも先刻道端に座り込んでいた連中の中にいたのだろうか、考えていると次々に似た情景が繰り返されていく。フレッドはかぶりを振った。
(確かに、同じ光景ではあるよな、あのときと)
崩壊した家々、生気のない人々、仰々しく武装した兵たち、それらは全て十三か月戦争のキーワードである。フレッドはできるだけそれらを見ないようにひたすら地面を見つめて歩いた。
「さてと! こんな辛気臭ぇ町ともお前らともさっさとおさらばするかっ。もう用もねえしな」
 この場には不釣り合いなほど声を張り上げてルレオがひとり立ち止まる。フレッドもクレスも何事もなかったように素知らぬ顔をしていたがリナレスだけは威勢よく振り返った。
「は? 今なんて? ……どういうつもりなの」
「どうもこうもねえだろ。これ以上お前らにつきあって何になる。悪いけど俺はお前らと仲良くボランティアなんて御免だね」
鼻で笑い飛ばしてルレオはさも当然のように言い放った。呆れて開いた口が塞がらないらしい、リナレスは青筋を浮かべたまま口をひきつらせた。
「頭きた! この状況見て何でそんなことが言えるわけ!? 自己中、自己中とは思ってたけどここまで非人道的とは思わなかった! あんたには心ってもんがないの!? 心ってもんがぁ!」
これみよがしに両手で耳を塞ぐルレオに二歩三歩とリナレスが詰め寄る。その間にフレッドが割って入った。
「気持ちは分かるけど、こいつに何言っても無駄だって。もうほっとこうぜっ、な?」
「でも……!!」
クレスも肩を竦めてかぶりを振っている。全てを悟ったような二人の態度にリナレスも言いかけた言葉を呑みこんだ。満足そうなルレオの顔を見て派手に舌打ちをかます。
 これで一件落着、のはずだった。何件ある内の一件かは知る由もないが、とにかくルレオの離脱を以てひとつ何かが片付くはずだった。それは間際で阻止される。聞いたこともない、心臓に重くのしかかるような鐘楼の音が町中に響き渡り、戦慄が走る。
「兵だ! ルーヴェンスの騎兵隊が多勢でこっちに向かってる! 敵襲だー!」
力任せに鐘を鳴らして、男が声を枯れんばかりに張り上げた。エマの町が騒然となる。子どもが泣き叫び老人は諦めたようにかぶりを振る。外に投げ出された人たちは皆震えるばかりだ。
「おい……! なんで今更陥落した拠点に騎兵隊がくるんだよ……!」
フレッドが言うが早いか、家屋からぞろぞろと男衆が出てくるのが見える。
「陥落一歩手前、だったみたいね……」
リナレスが冗談めかすも、その表情は強張ったままだった。
「戦闘になるわ! 急いで住民を避難させないと!」
「へっ、そんな暇あるかよ! 見えるところまで来てんだぜ!」
焦りを隠せないクレス、一時間後の町の行く末がどうなるかくらい容易に想像がつく。足並みのそろわない彼らの真横で、野太い唸り声が鳴った。
「いいか皆! 俺たちの町は俺たちの手で守るんだ! これ以上あいつらの好き勝手にさせてたまるか!」
「おお!!」
町民は各々の手に槍や鍬を携えてそれを高く掲げた。
「家族は全力で守る、それが俺たちの使命だ! 行くぞー!」
「おおー!!」
 町民の気迫に圧倒されていたクレスが二度目の掛け声で我に帰る。そして何を血迷ったか町民の列の前に立ちはだかって行く手を阻んだ。
「おいおいっ、何やってんだよあいつ!」
途端にフレッドが青ざめる。タイミングを逃して離脱し損ねたルレオも彼女の行動に大きく目を見開いていた。
 クレスは唇を真一文字に縛って両手を広げる。
「どけ女! 邪魔するな!」
「いいえ。どうかこのまま引き返してください。ルーヴェンスの騎兵隊の数はご存じでしょう……?」
見えている結果を促すわけにはいかなかった。彼女はそういった職業に就いていたし、そういった人間であった。しかし彼女の言動は、焼け石に水でしかなかったのも事実だった。
「だからどうした。俺たちは自分の家族を守るために戦うんだ、相手が強いからといって怖気づいていては十三カ月戦争のときと同じだ!」
「そうだ! 町を守るんだ!」
 一度倒れたドミノは止まらない。次々と連鎖反応を起こして町民の列は進んでいく。彼らの視界にはクレスなど映っていないかのようにひたすら前へ前へ、足を踏み出す。
「お願いです! 止まってください!」
住民の波に埋もれながらもクレスは懸命に叫び続けた。しかし誰一人として耳を傾ける者はいない。皆ただただ波に逆らう者を無造作に押しのけていくだけだ。
 波は大きく広がり、棒立ちだったフレッドたちのところまで及ぶと彼らもろとも押し流していく。
「ちょっとちょっとっ、どうすんの!? このままじゃ騎兵隊と正面衝突なんだけど!」
「やるしかないだろ! とりあえず自分の身を守るのが最優先ってことで!」
何人か知らぬ顔を挟んでフレッドとリナレスがやけくそな確認を交わす。反対側でアップアップしているルレオは露骨に不機嫌な顔をして住民(ルレオはどうやら彼らも敵とみなしたらしい)を力任せに押しのけている。
「結局ボランティアかよ……! お前らと揉めたせいでまたつまんねぇことに巻き込まれたじゃねえか! 責任とれよ!」
遠ざかるルレオの捨て台詞にリナレスが恨みのこもったアカンベーをした。そんなことをしている場合でもないのだが。フレッドは苦笑して団子状になった群れに流され続けた。
 いくつかの覚悟をする猶予があったことは、幸いだったと言えよう。フレッドは長剣の柄を握り締めた。そしてできるだけ呼吸を落ちつけようと努めた。
「止まってください!! お願い!」
随分遠くでクレスの悲鳴のような声が聞こえた気がした。フレッドはそれを意図的に思考から追い出した。住民の唸り声がそれを手助けする。
 群衆の波はやがて緩やかになり、止まる。いくらか呼吸は楽になったが一息つく間はもうなかった。恐れていた事態はその戦闘の皮切りとして起こってしまった。



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