Dead or Alive Chapter 9

 その男は全てを悉く台無しにしていた。フレッドの複雑な心境やクレスの固い決意、あるいは本来場を取り巻いているはずの緊張感だとかの諸々をたったひとりでぶち壊していた。
「着いた……! 着いたよな!? 早く降ろせっ。俺を早くこの白タイツ帝国から解放してくれ!」
ルレオが一通り馬鹿げたことを絶叫した後、全ての元凶である男は心外そうに顔をしかめて馬車を止めた。咳払いで平静を装っている。
「できれば僕もあなたたちから解放されたいですよ。失礼って言葉ご存じないんですか?」
「いや、すまんな。ちょっといろいろあってな。これで勘弁してくれ」
そう言うとベオグラードは代金よりも少し多めの金を握らせた。何か悪どい取引のようだがあくまで健全なお詫びの金だ、馬車ひきも文句を垂れた甲斐あって棚からぼたもちお金持ちとなる。緊張の糸がこれでもかというほど緩和した中、フレッドはひたすら浮き出た青筋を押し戻そうと努めていた。
 馬車が去ると穏やかさも笑い声も次いでなくなる。後に残るのは先刻欠けていた緊張感と各々の意気込みだけだ。
「確認するぞ。フレッド、リナレス、俺の三人がルーヴェンスの確保、ルレオとクレス隊長が王、皇女、一般市民の救出。とやかく指示は出さんから的確な判断で行動してくれ」
 大通りを横切って数分走ればあの牢獄のような城壁が見える。固く閉ざされているそれを至極簡単に開く方法というのがいくつかある。城門に辿りついてすぐ、ルレオがボウガンの矢をセットした。
「どうするつもりだよ、城門。閉まってるぞ」
「それをこれからこじ開けるんだよ……! 邪魔だ、どけ」
手際よく矢尻に火を点ける。城門の真上に狙いを定めて軽快に引き金を引く。空高く突き進む矢は城門真上で大きく弧を描いて勢いをつけて城内に降り注いだ。門の向うで聞こえるうろたえた兵の声、それをつまみにしてルレオは間髪いれず次々と矢を放つ。
「何なんだこの火炎弓は! 門を開けろ、応戦するぞ!」
重い城門が厳かに口を開き始めた。
「さあて……出てくるぞー、虫けらどもが」
ルレオは一発目の矢を放って以降絶えず笑顔だった。やけくそな気迫がにじみ出た悪魔の笑みである。城門が完全に開かれると、彼の察し通り応戦準備万端の兵たちが待ち構えていた。
「捕えろ! 反乱分子だ!」
砂煙をあげて走り出すルーヴェンス兵、クレスが無造作に剣を抜いた。
「とりあえずここはルレオを私で何とかするわ。ベオグラードたちは城内へ」
頷くフレッド、そしてベオグラードとリナレス、網目を縫うように兵を掻き分け死に物狂いで城門を突破した。時に向かってくる兵を振り切って三人は城内へ潜入、いや乱入した。これだけ派手に暴れていれば身を隠すことなどに意味はない。むしろ名乗りながら行進してもいいくらいだ。
「玉座の間を目指す! ついて来い!」
ベオグラードが剣を抜いた。太く重い、鉄の剣を。その仕草ひとつで城内の兵が尻ごみしたのが分かる、彼らは皆元はベオグラードの部下だ。はじめから剣を抜こうとしない者、応戦しようとする兵を制する者、視線を逸らす者、間接的ではあったが多くがベオグラードに協力的だった。
「何をしている! 剣を抜け!」
その中でこういう空気読まずの台詞を叫ぶのがルーヴェンス側だ。
「全員“大罪”を受けたいらしいな。賢い者はどうすべきか分かるはずだ」
ひとり、剣を抜いた。するとまたひとり、連鎖を起こして次々と剣を抜く。満足そうに笑みを漏らす部隊長をよそに皆視線を床に落としていた。
「“大罪”か。なるほど噂は本当のようだ」
「ご理解が早くて結構、流石はベオグラード隊長殿だ。ご覧の通り貴殿に味方しようなどという愚か者はひとりもおらん。投降をおすすめするが?」
ベオグラードは堪え切れず含み笑いをこぼした。それが極端にわざとらしいのがこの男の性格の悪さをにおわせる。フレッドはいつでも抜刀できるよう一応剣の柄を握っていたが、体勢はほぼ棒立ちに等しかった。つまり形だけで、加勢する気はない。
「……何がおかしい」
「失敬。絵にかいたような恐怖政治だと思ってね」
「貴様も“大罪”が欲しいらしいな」
「今お前がどうこうできるというものでもないだろう、粋がるな」
 虎の威を借る狐に対してベオグラードが怯えるはずもなく、鬼を宿したような鋭い視線を送り腰を落とした。低い唸り声を一瞬上げてそのまま大剣を一振りする。その士気が空気を震わせ、再び兵たちの戦気を奪う。向かってくる数人に満たないルーヴェンスの親衛隊にベオグラードは容赦なく剣をふるった。
「加勢しないの?」
「むしろ先に行っていいのか迷ってる」
この場で剣を抜きもしないフレッドとリナレス、場違いとも思える会話ですっかり観客と化している。ベオグラードひとりの大立ち回りでこの場が支配されているのだから、残りの二人の存在感は無いに等しい。このままうっすらと玉座の間に乗り込むのもありだと思っていた、刹那──。
 フレッドは瞬時に剣を抜いた。背筋の凍るような冷たい汗がゆっくりと体中を伝う。無意識に生唾を呑みこんでただ一点を凝視する。
(なんだこの感じ……! 身体が動かない……っ)
今の彼の状態を金縛りと呼ぶのなら本能が危険を察知しているのだろう。何もない螺旋階段の先のバルコニーからフレッドは視線をそらせずにいた。そこに現れたのが赤い髪の少年、無関心そうな表情で下階を見降ろしたがすぐに視線を前方に戻して無表情のまま戦場を去った。
 カシャッ──フレッドの手から剣が、音を立てて床に落ちる。
「……フレッド、どうしたの?」
口の中が渇いていた。ろくに戦闘したわけでもないのにたった数秒間の出来事で彼の衣服は汗でぐっしょり濡れていた。
(あの子ども……まさか……)
フレッドはただならぬ恐怖を覚えていた。全てを見透かして蔑むようなあの眼にフレッドの中の時が一瞬止まった。剣を拾おうとかがんだが、両手はまだ小さく震えていた。
「どうしたフレッドっ。顔色が悪いぞ」
あらかた兵をなぎ倒して(この際部下もへったくれもなかったようだ)ベオグラードが駆け寄ってくる。リナレスも心配そうに目を細めていた。
「いえ……何でもないです。玉座の間に急ぎましょう、時間もくったし」
「そうだな。もたもたしている時間はない。先を急ごう」
適当にはぐらかして今度こそ寝転がっている剣を拾い上げた。まだ心臓は早鐘を打っているがそれを悟られないように平常心を心がける。そうすることが今は一番だと思った。
 血で塗りたくったような深紅の髪、目に焼きついて離れないその色と死んだような冷たい視線にフレッドは確信を持っていた。
(あれがベオグラードさんが言ってたルーヴェンス勢力の鍵だとしたら……)
「フレッド、準備はいいか」
不意にベオグラードの声がしてフレッドは慌てて返事をした。金の装飾が仰々しい両開き扉はそこが目的地であることを告げていた。



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