Dead or Alive Chapter 9

「……十フロア目を突きぬければ中庭の噴水近くに出る。ずっと使用してない出入り口だから外から塞いでいるけど、この人数で体当たりでもすれば何とかなるでしょう」
「それを早く言えよ! びびらせやがって!」
あくまで高圧的態度を貫くルレオにクレスが目を吊り上げる。戻るという選択肢が取れない以上体当たりでも頭突きでもして進まなければ仕方がない。立ち止まっている猶予もないのだ、クレスは躊躇なく次の扉を開けた。
 すぐさま一番手前の牢でうつ伏せている女が目に入る。膝を抱えているため顔は見えないがひどく衰弱して呼吸も弱い。クレスは思わず鉄格子に駆け寄った。
「おい、そんなのに構ってる余裕はねえぞ」
人の声を聞いて女も顔を上げた。素の顔立ちは端正なのだろう、顔色も悪く痩せこけていたが貧相というよりはどこか儚げにすら見えた。しきりに何か言おうと口を動かしているが体力が底をついているのか声にならない。その様子を見守っていた皇女がクレス同様傍に寄って片膝をついた。
「この方……存じています。声が出ないようですが『大罪』ではないようですね。クレス、鍵を」
言われるままに牢の鍵を開けて中の女を引きずりだす。女はよほど安心したのかクレスが手をかけるや否やもたれかかってそのまま気を失った。近くで見るとやはり目鼻立ちの整った美しい女である。
「これ以上荷物増やしてどうすんだっ。余計なことばっかりしやがって」
いつもの調子で独りごちた皮肉、まともに反応など返ってこないのが常なのだが今回ばかりは例外だ。
「申し訳ありません、しかし民を見捨てて自分たちだけが助かるわけには参りません。どうか、分かってください」
ルレオはばつが悪そうに頭を掻いた。生気の欠片もないぼんくら王に比べて皇女は驚くほど誠実だ、クレスがセルシナ皇女を支持しているわけが何となく分かったような気がした。
「それにこの方は──」
先刻から意味深な口ぶりで倒れた女をまじまじと見つめる皇女。ルレオが耐えきれず皇女に問うた。


 再び玉座の間──。フレッドは膝をついていたものの上半身を起こしていた。剣を杖代わりに床に突き立ててかろうじて体勢を保っている。口内に残る鉄の味がする液体を吐きだしてフレッドはゆっくり立ち上がった。
「流石はスイングの弟と言ったところか。と言ってももう立ち上がるので精一杯か」
何度となく拝まされたルーヴェンスの嘲笑、今となってはルレオの数倍腹が立つ。
「ベオグラードも前線を退いて腕が落ちたようだな。……束になってこの様だ」
「うるせえな……」
スイングは変わらない。冷淡な眼差しをフレッドに向け続ける。玉座に退屈そうに座るルーヴェンス、その前に倒れたまま動かないベオグラードとリナレス、立っているのもそろそろ限界に近い自分を含め勝敗は明らかだった。ファーレン護衛総隊長があっさりやられる相手にフレッドが太刀打ちできるはずもない、考えれば考えるほどここから先が悪あがきでしかないことを思い知るだけだ。頼りない手つきでそれでも剣を構えた。
「フレッド、もう一度だけ言う。……退け」
聞こえないふりをしてもう一度唾液に絡まった血を吐きだす。思った以上に多く、足元に血だまりができた。
「成長しないな。お前は流されるままにここに立っているだけだ」
「何が言いたいんだよ……」
「歴史はこの場所を起点にこれから大きく動く。その舞台にお前が立つべきではない」
「……で、あんたはそこに立つのか? ……笑わせるな」
 フレッドの瞳の、嫌悪の色がより一層濃くなる。そのせいか視界がいつからかひどく淀んでいた。スイングは無造作に剣を構え、横たわるベオグラードの腕へ一気に突き刺した。身動き一つしなかったベオグラードが激しく痙攣して仰け反る。
「ぐぅああ!!」
内から染み出るような苦痛の声にフレッドの顔色が変わる。暫く瞬きさえできずに放心していたが二度目の悲鳴で手足が勝手に動いて、次の瞬間にはスイングに斬りかかっていた。ベオグラードに突き立てた剣を抜いて、スイングもそれに応戦する。
「スイング……!! 何でここまで! 何故!」
何度となくこの質問を口にした。それを今更知ったところでおそらくこの憎悪を消し去ることは不可能だ。それでも一縷の望みとして繰り返した。スイングの斬撃は気力だけで動くフレッドの一動作よりも数段速い。夥しい血が花弁のように舞い、フレッドは赤く染まった腹部を押さえ床に崩れた。もううめき声ひとつ出せない。ルーヴェンスの拍手が高らかにこだました。
「素晴らしい! 兄弟すら切り捨てるその冷酷さ。やはり君はこの戦の勝利には欠かせない男だ。もはや私の邪魔をする者はない! ファーレンも、この椅子も私の物だ!」
 バァン!! ──入口の扉が不躾に開かれた。息を切らして駆け付けたクレスたち、状況を一瞥して事の次第を悟ると玉座にふんぞり返っているルーヴェンスとスイングを睨みつけた。
「これはこれは……生きておいででしたかクレス隊長。ここは玉座の間ですよ。ファーレン王家の家臣は皆礼儀がないようだ」
「勝手なことを! 神聖なる玉座の間を血で染めたのは貴方の方よ!」
ルーヴェンスはおどけて肩を竦めて見せる。その横でスイングが淡々と剣についた血を拭っていた。
「貴方が……やったの」
「それを知ってどうする。お前が仇をとるか」
顔色ひとつ変えないスイングにクレスは憎悪と嫌悪を覚えた。一歩一歩、動かないフレッドに近寄りながら剣を、抜く。
「ファーレン護衛隊長として……人として! あなたは決して許さない! 私が相手よ!」
「クレス、やめとけ……。イライラするだけだぜ」
足元からフレッドの掠れた声が耳に届いた。肩を貸そうとしゃがむ前にフレッドの方が勝手にクレスの腕にしがみついて立ち上がろうとする。クレスの方から支えなければならないほど彼にほとんど力は残されていなかった。
「さっきのクレスの言葉、そのままあんたに送ってやる。俺はあんたを許さないし、絶対に……あんたの思い通りにはさせない! そのためだったら王にでもなんでもなってやる。もうあんたにだけは負けない!」
 そのときのフレッドには国も、王位も、ましてや戦争など視野にはなくただスイングに対する怒りだけが彼を奮い立たせていた。
「はっはっ! 貴様らに何ができる。せいぜい吠えるだけ吠えるがいい。そこの腑抜けた男もセルシナも、もう価値などありはしない。今確かなのは私がスイングを手中に収めているということだけだ! そしてこの戦いは……それがすべてだ」
「何ということを……!」
侮辱されても反論の余地は皇女にも、ましてやファーレン十三世にもない。
 全ての雑音が止んだ玉座の間に、ルーヴェンスの高笑いだけが響き渡った。
「クレスとか言ったな。全員連れて撤退しろ、俺がお前たちにやる最後のチャンスだ」
律儀に名を呼ばれてクレスは苦虫を噛んだ。イエスとノーが頭の中でせめぎ合う、が彼女のとるべき行動はスイングの言うとおりでしかない。宣戦布告したフレッドの意識が見るからに朦朧としているのだからそれも仕方がなかった。
「……ベオグラードに伝えろ。次俺の前に立ちはだかる者は皆斬る。……誰であろうとな」
 スイングの声が遠ざかる。その言葉にクレスがどのように切り返したかは分からずじまいとなった。五感が同時に機能を停止する。あるいはそれらを束ねていた脳の電源が落ちたのか、とにかくフレッドは完全に気を失った。



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